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LINEの使い方

椅子は座るものだ。箸は、食べ物を取るものだ。バットは、打球の為のものだ。ものは、そういう風に使われると想定されて、形づくられる。けど、人間は面白い事に、想定された使われ方以外の使い方をする。そしてそのような例外的な使われ方は、あまりにも多岐にわたるために、具体例を挙げることはここではしない。

LINEというSNSは、結構多くの人が使っていることだとは思う。確かに便利。それはまぁ便利。火急の件の時には、本当に連絡が速く出来るから、非常に重宝している。重宝しているけれど、それは大学の課題とか、課外活動の時だけ。迅速な情報伝達が求められる、或いは知り合い程度の人物との情報のやり取り以外は、むしろ重宝しない。

LINEは、SNSの一部。つまり、ネット(巣)の中のもの。その中に存在する人間を繋ぐもの。思うに、ワタシたちは「繋がっている/繋がろうとしている」のではなく、「繋がざるを得ない」という状況にあると云った方がいいんのではないか。つまり、SNSを利用する人間は受動的な存在に成り果てて居るといってもいいかもしれないということだ。

LINE(SNS)の使い方には、二種類。そして緊急時の追加の一種類がある。まずは、仕事とか大学での関係者との連絡。主に友人(そして家族)とのコミュニケーション。そして、災害時の、大切な人との迅速な連絡。この三つ。特に注目したいのは、二つ目の「主に友人(そして家族)とのコミュニケーション」だ。

先ほども書いたが、SNSによって、人間は繋がろうと思って、繋がりを保つのではなくて、つながざるを得ないということになると思っている。(もちろんこの意見が妥当解だとは思っていない)SNSの驚くべき点は、(条件が成立していれば)いつでも連絡が可能な状態にあるということだ。相手が確認しているにせよそうでないにせよ、情報の伝達自体はいつでも行える。便利だが、同時に窮屈で怖ろしくもある。

「LINE」は、要は線のこと。しかしどこまでも広がっているように見える、直線に近いものではないか。しかしながらワタシは、「LINE」でも、線分的な使い方が必要になるのではないかと思う。線分は、「a segment of line」だ。つまり、何かの一部。どこまでも広がるものではない。それは、有限化された存在になる。ワタシはLINEで、「会話」のようなものを行うのが苦手なのだと以前知った。いつでも確認できる、時間差があっても情報の授受が行えるのが、SNSの特徴であるはずなのに、速く返信が来ないかと不安に思うというバカをやっていた時期があった。あれは、「LINE」の特徴を全くわかっていないことの証左だったのだろう。

LINEは終局、ただの情報確認ツールでいいのだと思う。そこで会話をするのは、あまりにも疲れてしまう。電話でもすればいいと、思ってしまう。その疲れは、「繋がざるを得ない」という状況に対するアレルギーの現れかもしれない。繋がろうと思って繋がるという主体的な行動というよりかは、その小さな画面に縛り付けられて、延々と終わりの無いコミュニケーションを繰り返している。

そこには、「身体」がないのだ。身を対面させている会話は、「身体」という制限がある。家が別別かもしれないし、時間の都合上一緒にいることが出来ないかもしれないし、或いはこのコロナ禍における状況で、「身体」同士が接近することが難しいかもしれない。そういう「身体」の制限が働いている。

しかし、「LINE」には、制限はない。「身体」という生物の基礎となるものがない。だからもしかしたら、どこで会話を切っていいか分からないという事態が起こりやすいのかもしれない。(LINEだけに限られないかもしれないけど・・・)そこには、「欠如」がない。「空白」がない。画面の下には、無限が拡がっているように見え、終わりが無いのが終わりかもしれないという言いようもない不安が垣間見えそうで。だから、LINEでの会話のようなものが苦手だ。

先ほど、「主に友人とのコミュニケーション」と書いたけど、あれはもちろんLINE上での会話ではない。正確には(LINE)電話だ。そりゃあ文字拘泥すれば、LINEでの会話だけれど、文字ではない。音声での会話の方が、話しやすい。相手の反応が分かるしね。電話だと割とすぐに疲れるから、そういう意味でそれが制限(身体における疲労)になってくれているのだろう。

後、LINE上での(文字による)会話が嫌いな理由がもう一つある。

会話で重要なのは、即応性、つまりどれだけ速く反応し、相手に話しを合わるか。それを文字で行おうとすると、当然、打ち込む単語がどんどん短くなる。ワタシはそれが嫌い。自分から湧き出てくる表現がどんどんカスカスになっていく気がするから。LINE上では、仕事や大学の関係者との情報の伝達を行う場合は、表現は短くなる。だからワタシも、マジで長いものを送られてきたら、え?とはなる。だって、やはり「LINE」では、表現が簡素(空洞化)になりやすいから。(話すならちゃんと話しましょうよ派かもね)

だからワタシも、LINE上では表現が簡素になる。でもそれはただ情報を迅速に伝達する時だけ。会話は絶対しない。どうやって複雑な感情や思考を、あれで伝えるのか、ワタシには分からないし、出来ないからね。


という風にLINEのようなSNSで絶対書くことの無い文(文章)を書くのが、ワタシの「note」の使い方ですかね~。



今日も大学生は惟っている。



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