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『私は今、旅をしています』という本を観光学的に読み取ってみた。

久の"!観光学の記事だ!!!


突然であるが、「私は今、旅をしています。」というイラストコミック集をご存じだろうか。サケはらすというイラストレーターが作ったもので、「旅」や「観光」をモチーフに、風景を届けてくれる一冊だ。

しかし、ただ紹介するだけではつまらない。今回は、大学で学んだことを用いながら、「私は今、旅をしています。」というイラストコミック集を観光学の視点から(と云っていいかはわからないが)メタ的に、読み取ってみたいと思う。

まぁいわば、「私は今、旅をしています。」の観光学的ターヘルアナトミア(解体新書)ですかね?

では参りましょう。

テーマは、「イメージの確認」

まず、このイラストコミック集のメインテーマは、イメージの確認ではないかと私は思います。

主人公の「さけ子」は、謎の存在の導くままに旅を行うことになるのですが、実は行く先々で、ある少女のことをさけ子は思い出すことになります。「こんなことを知らないな・・・」と思っていた風景や行き先が、実は自分にとって既になじみのあるものであると、薄々ではあるが、勘づいていたのでしょうか。

ということは、これは「さけ子」の記憶の中にある、昔のイメージ・思い出・風景に対する印象を確認する旅であることが分かります。そこはまったく初めての場所というよりもむしろ、自分がイメージを当てはめることの出来る場所ばかりだったということです。

おそらくこの時さけ子は、自分が向かう先の情報をスマホで調べている描写はありませんが、その記憶を探る旅は、スマホで情報をしらべてそのイメージを確認しに行く作業と似ているところがあると思います。

肌では感じたことのない場所への期待・不安と、同じイメージがこの目に映ることと、それを感じることだ出来た時の安心感。

旅によくありがちな心理状態が、「忘れてしまっていたある記憶と、旅を経るごとに思い出すある記憶」という形で、表現されているのではないでしょうか?

帯びには「懐かしく、かけがえのない風景」という文章があります。「かけがえのない」ということは、元々は「かけておらず」、欠けそうになっているということ。それを取り戻すそうとすることが、「かけがえのない」という言葉に現れているのでしょう。

そしてこの言葉が、「(かつての)イメージの確認」というテーマにもつなっがって来る気がします・・・!


イラスト向けになる写真

この作品の中で、さけ子は、「写真のモデルになって!」という風に言伝されます。その設定も相まって、いやそれがあるからこそ、この「私は今、旅をしています。」というイラストコミック集としてのテーマに合うようになてしるのでしょうか。

イラストコミック集を見ていると、写真がSNS上にあるものとなんら大差ないのだと知ります。写真が、二次元に加工し直され、主人公(二次元)がそこにあたかも存在しているかのように見える。

まるでさけ子が実際に旅をしてきた過程を、そのまま収めたような作品が、この「私は今、旅をしています。」というイラストコミック集なのではないのかと思います。

文章の多くない「紀行」のようなものでしょうか?

さて少し話が逸れましたが、重要なのは「イラスト向けになる写真」というこのイラストコミック集の根幹をなす要素です。

なぜ重要なのかと言うと、この「イラスト向けになる写真」というものが、おそらく観光で写真を撮ろうとして生まれた写真と似ているということだからです。

イラストコミック集ほどの精度や緻密さは無いかもしれマセンが、「それっぽい」「外向けの」写真を撮ろうと言う意味では、このイラストコミック集も、SNSの旅行写真も、ほぼ一緒であるような気がします。


なぜ「観光」ではなく、「旅」なのか?


ところで、このイラストコミック集のタイトルは、『私は今、観光をしています』ではなくて、『私は今、旅をしています』というものになっています。では、なぜこうなっているのでしょうか?

先ほど、この本のテーマは、「イメージの確認」だと書きましたが、そこにはある一つの部分だけ、「未知」の部分があります。

それが、「誰がこの旅を仕組んだのか?」ということです。通常の観光の中に、何か大きな謎が残った状態というのは、あまり多くはないというか、ほぼ無いでしょう。

観光という形を取ってものでも、何か一つ「分からない」「不思議だ」「どうなっているのだ?」「どうして」「誰?」という要素があることによって、観光は「旅」になるということなのでしょか。(少々考えすぎでしょうかね?)


奇妙な「町の説明」

さて、いよいよ本編を見てみると、何やら奇妙なことに気づきます。

それが、「町の説明」というわけです。

そもそも、「町の説明」というものは、それ自体でなんだか不自然には感じませんか? 自分の住んでいる地域が、碌に観光客も来ないような場所であればなおさら、「町の説明」にピンとこないかもしれません。(伝承や伝説があるならば話は別かもしれませんけどね・・・)

まぁつまり、「町の説明」自体が、ある意味で非常に観光的であるということです。

わざわざ自己紹介する時が、未知の他者と出会う時であるように、観光的とうストレンジャーに遭遇する時に、そこに「町の説明」ひいては、「観光地」「観光」というものが生まれるのではないでしょうか?

当たり前のように、町の名前の近くに、その町の説明が記載されている。しかしそれは、観光という文脈以外では、特に意味を示しません。

その観光地に何か特別な特徴、興味深い特徴を求める人がいるからこその、「町の説明」というわけではないかと、私は思います。

逆に「町の説明」というものに、大した違和感を感じないと言いうことは、観光が広く浸透してる、社会自体がいつの間にか観光的になっている、観光的に構造化しているということではないでしょうか?

そして

町の説明の中で、また興味深いものがあります。

富山県射水市の「内川」という場所。この説明文を引用したいと思います。

「日本のベニス」といわれる美しい町で、水路の両側に係留された漁船が連なり、個性的な12の橋が景色を彩る。(さけハラス、2019、34)

この内川という観光地は、又別のイタリアのヴェニスという観光地ありきなのです。ある意味で、ベニスの「コピー」でもあり、しかしそれ自体は本物観光地として成り立つ「シュミラークル」でもあり、という風に観光地一つとっても、その構造は結構複雑なところがあるような気がします!

また「内川」の説明の中に、「個性的な12の橋が景色を彩る」というものがある。

これが何を意味するか? 

「景色を彩る」。何のため? 観光地として綺麗であるため。観光客にとっての綺麗な観光地であるため。畢竟、写真を撮るときに、綺麗に写るためでしょう。

このことからも、「町の説明」が、非常に観光的であることが分かるのではないでしょうか?


さて、非常に短いですが、観光学の視点から、イラストコミック集を見てみました。もし他に、これ観光学的に見たら面白いなと感じることが出来たら、記事にしようと思います・・・



今日も大学生は惟っている。



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