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「情報」の対義語

情報の対義語って何だろうと、バイトをしている時に頭に降りてきました。ネットで(少しだけだが)調べてみても、「情報」という文言の対義語は存在しませんと書かれているばかりで、しかしだからといってそこではいそうですかと頭を縦に振るワタシではないです。なら、そこから「情報」の対義語はどんなものかと考えるのが、ここですること。

パッと思いついたのが、「情報」の対義語は、「自然」或いは「人間」ではないかということです。つい先日、「情報化する観光」という記事で、「情報化」とはなんぞやということについて、

まず、「情報化」という言葉についてですけれども、端的に言えばワタシは「同一化」「不変化」「人間事化」ではないかと思います。保存できるようにするためには、なるべく状態が変わってはいけない。

と書いています。つまり、情報に関わる言葉の意義素として共通しているのは、「変わらないこと」なのではないかと思います。「人間事化」という言葉に、人間と言う一言半句が含まれていますけれども、情報の対義語としての「人間」とは、もちろん異なる意味で使っています。人間事化の「人間」は、「変わらない」という意味に近く、対義語としての「人間」は「変わる」に近い意味と言って差し支えないと思います。

今まで書いてきたことに関して、ちょっち思い出したことがあります。大学一年生の時の夏に、中学校の時に同級生に出会いまして、その子(と言っていいかわかんないけど)、大学には行かずに(大学に行くのが当然だとは絶対思わねーが)音楽活動をやってる、そして少し不思議(だとワタシが思っている)人でして、他の一人も加えて歩道を歩きながら偶然の再開に少し酔いしれている時に、会話の中でこう切り出してきたんですね。

人間の対義語は信用だと思うんだよね

これを聞いたその瞬間は、多少疑義を呈してしまい、納得がよくできなかったんですけれども、今いろいろ学んで、案外その意見も的を射ているものなのかもしれないとも思えました。人間が、「信用」という言葉の対義語だとするなら、人間は信じるという動作の対象にはなり得ないということになります。「信用」とは、確かなものとして信じることだと思うので、その対義語の人間は、そうすることが出来ないということになります。

すこ~し前、芦田愛菜さん(ちゃん?)が、「信じる」という言葉を巡る考えを公で言った時に、随分話題になったことを覚えていますか? あの子(?)の発言も、結構見逃せないものがあると思います。彼女の良い分を非常に短くいうなら、「他人に一方的に理想像を押し付けているから、裏切られたという勘違いをするのでは?」だとワタシは思っています。ある意味では、他人が自分の常に思っているような人間であるという考えをぶち壊すものだとも言えます。(ワタシはこういうの大好物です。)

まとめると、人間とは、常に変化しつづける者。変化せずにはいられないものであり、「情報」とか、「信用」のように、変化しないものではないということでしょうか。なるほどこう考えると、中学校の同級生が不図口にした、「人間の対義語は信用だと思うんだよね」という発言にも、ある程度の納得がゆきます。また最初の最初に書いた、情報の対義語は、「自然」或いは「人間」ではないかということにもつながってきそうな気がします。

対義語の対義語が、常に同じような意味を持つわけではなく、この意味でワタシの言っていることは、論理的ではないかもしれませんけれども、ある意味で「情報」「信用」(変化しない)の対義語は、「自然」「人間」(変化する)なのではないでしょうか。

多分、「人間の対義語は信用だと思うんだよね」と言った子は、人間は裏切るものだということを表現したかったのだと思います(歌詞とか書いたりするから、婉曲的な表現になったのか)。「人間は絶対に裏切る!」と断ずることは難しいですが、「人間は裏切らないわけではない」というのは、間違いではないと思います。人間を、「信用」という言葉に近づけて評価するのは、人間を味気ない情報とみなしているとも言える気がします。少なくとも、人間(自然)は「情報」ではありません。「情報」もまた、人間(自然)そのものではありません。「裏切り」というのは、人間の「変化する」という性質を少し言いかえただけのような気がします。それを、良いとも悪いとも言えませんが。

芦田愛菜さんの発言も、これに似ていると思います。人間は変化する。個人の軟弱な構築イメージと、常に一致するはずがない。友達だの、親だの、きょうだいしまいだの、上司だの、先輩だの。それはたった一つ側面であるばかりか、いつ崩れるかも分からない虚弱なイメージでしかない、というのは少し言い過ぎかもしれませんが、人間(自然)を、固定的なものと見なすのは、ある意味では愚劣とも言えるかもしれないことかなと思います。まぁ知らんけど。

情報の対義語が、人間であり、人間の対義語は信用である(と旧友が零していたの思い出した)。なんとなく、そんなことを思いました。



今日も大学生は惟っている






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