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【多分哲学】先駆的決意性とエネルゲイア的思考

これはつまり、どう生きるかという問題においての、今私が考えうる二つのオパターンだ。先駆的決意性という文言は、確かハイデガーから、エネルゲイアは、多分アリストテレスの可能態という言葉から。

先駆的決意性を胸に生きる。これは、「何れ自分は死ぬ」ということを意識することである。いつか死ぬのだから、その死まで、懸命に生きてやろうという風に解釈することもできるし、或いはどうせ死ぬのなら、何をしたって意味がないというナマケモノのパラドックス的な考えをあてはめることも出来る。

まぁどちらにせよ、人生が線分のようなもの、生を起点とし、死で終わるという考えであることには間違いない。

エネルゲイアを人生に当てはめるということは、未来には何が起こるか分からないという考えを、持つということである。この考えは、先駆的決意性に比べて、決定性を欠いている。未来は、本当のどうなるか分からないのだ。朝が来るなんて保証、どこにもないし。もしかしたら、あなたは不死かもしれない。突然世界が終わるかもしれない。

未来は、決して解ることのないものだ。エネルゲイアを採用するなら、「今」をただ生きるということが、人生の過ごし方として考えられる。先駆的決意性では、ある意味で「死」という未来が確定しているが、エネルゲイアでは、未来は確定してはいない。

大抵の人間は、先駆的決意性を選択する。もちろんそれが、悪い選択肢であるとも、良い選択肢であるとも言わない。いうつもりは無いし、言い切ることも出来ない。

でも不思議だ。人生100年時代なんで言われちゃいるけどさ、だからといって明日死ななとは限らないのに。

人間の限らず、物事の存在の周りを取り囲む者は、限りなくエネルゲイアに近いものではないだろうか。未来なんて、わかりっこないのだから。大抵の人間は、未来を想定し、生きている。それは、未来が無いからだ。(まぁ当たり前(?)かもしれないけれど)

ところで、ここ思うのは、「先駆的決意性とエネルゲイア的思考」という二項対立で人生を捉えていいのかということだ。最近、二項対立を超えて考えようよという本を読んだので、「先駆的決意性とエネルゲイア的思考」という二項対立に縛られない価値体系を見つけなければならないなぁと感じます。


今日も大学生は惟っている。


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