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火霖、俗塵を排す


観光学入門を読み返していた。

大学一年生の時に受けていた授業では習ったことのなかった情報が、少なからずあることを識った。

そして、その観光学の研究分野は、4つに区分することができ、その区分の中に、「警告の土台」というものがある。


1970年代に、観光振興には文化の商品化その他のマイナス側面が伴うことを明らかにした, 擁護の土台に対する警告の土台。(岡本伸之、2001、22)


ある学問分野を学んでいるからといって、その学問を妄信し、恒久的に徳や利点を持った存在として見なしているわけではない。

もう少し解り易く言えば、ウルトラマンが好きだからといって、全面的にウルトラマンのやること成すことに賛成しているわけではない、ということだ。

この警告の土台は、メルロポンティの反哲学にあやかって言えば、「反観光学」とも表現できるかもしれない・・・。まぁ自称だけどね。

ところで

最近は、例の感染症ありますよね・・・。covidなんちゃら、みたいな妙に響きのカッコいい名前のついているあれですよぉ。

こいつのおかげで、今の観光業界は当然大不振。

裏を返せば、今観光対象となりうる名勝などの場所には、観光客の数が圧っっ倒的!!に、少ないわけですね。

言い換えると、

俗塵、つまり人々の暑苦しさから、観光地は大いに解放されているというわけです。

もし、

もしですよ・・・!

感染症を打ち消す抗体を、この肉体からまき散らすことができるのなら、そんでもって、身体にアイツが移らないのであれば、是非とも観光しに行きたい・・・。

人っ子一人いない観光地こそ、本当の意味で「非日常」「日常からの解放」という雰囲気を味わえるきがするから。

交通機関が、五月蠅くがなるほどに、張り巡らされていたり、人間ばかりがいる観光地なんて、そこのどこが一体「非日常」なんだろうか?

それは、「日常の延長線上」といっても差し替え無いと、断じることも出来るだろう。


これは予測の域を出ることは無いが

人々がいないような状況で、その土地の真の価値や特色が、最大限に発揮されるのだとしたら、

雪崩の如く人間が溢れる観光地で、人々が楽しんでいる、その土地の文化や特色って、純粋なものなのだろうか?


あいつらは確かに人の生を与奪する。

しかし、自然や名勝、歴史的価値のある建物に対して、人間が造り上げた存在に、命を吹き込んでいるような状況を創り出しているのであると解釈することも出来る

つまり

人間を殺し、人間の造り上げたものに生命の息吹を吹き込んでいるとしたら


なんと皮肉なことだろう・・・。


云ってしまえば・・・自粛の要請もあり、真の価値を醸し出している観光名所を直に目に焼き付けることも出来ない

外に出ることができるようになったとしても、一挙に人々は観光地に流れ込むことだろう

しかしそこには、依然俗塵にまみれた観光地があるばかり・・・


本当に皮肉なもんだ。



今日も大学生は悲嘆に暮れている。


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あと

ちなみに


火霖は、コロナって意味ね。


引用文献

岡本伸之. (2001). 観光学入門 ポスト・マスツーリズムの観光学. 有斐閣アルマ






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