「おもて『無』」は人間的?
最近「おもて『無』」というのが話題になりました。
私が注目したのは
「庶民の料理ではなくフレンチ料理!?」とか
「合理的だよね~」とか
「堅苦しくなくていい!」
とか、ではなく
それって「人間的なんですか????」というもの。
消費者的視点でものを言いがちな日本人ですが、「労働者」からの視点で、おもて無について見ていこうとおもいます。
人間的?
そもそも人間的とはどういった意味をもっているのでしょうか?
行動や考えに、人間として当然あるべき感情の感じられるさま。人間らしい配慮や思いやりのあるさま 出典 Weblio辞書:https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%BA%E9%96%93%E7%9A%84
Weblio辞書によるとこんな意味を持っているそう。
では「おもて無」について見ていきましょう。
この「おもて無」は、料理を提供する以外のサービスを極力行わないことです。
A.R.ホックシールドの感情労働という観点に基づけば、この労働の形態は「感情の自由」を侵されてはいないから、より人間らしいと言えるかもしれない。
でもそれって、仮に料理を上手に作るロボットがいたとして、それらとどう異なるのかと私勝手に思ってしまいました。
ただ料理を作ることに専念するということは、ある意味で「人間性の喪失」であると考えられるかもしれません。
おもてなし
だからといって、「おもてなし」も人間的であるかと言われればそうとも断定し難い。
おもてなしとはつまり消費者重視の考え方。
消費者のあらゆる行動を代行し、消費者の負担を可能な限り減らす。
その分労働者の負担が増えてしまいますが・・・。
この場合でも労働者が消費者に比べて、人間的な尊厳や権利が軽んじられている気がします。
あれ?
こっちも「人間的」じゃない?
と
今日も大学生は答えを見つけられない。
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