Kay

そこらへんの男です。 写真を撮ったり英語の勉強したり。 感じたことを自分の言葉で。

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最近の記事

ロンドン旅行を振り返る

GW明けからロンドンに旅行に行ってきた。5月15日の夜に日本を発って20日の深夜に帰ってくるという日程。 ああ楽しかったなあで終わりにするのは何か勿体無い気がするので、写真とともに振り返りながら学びを言葉にしておきたい。 持ち物 今回の持ち物は以下の通り(パスポートなど当たり前すぎるものは省略) ・クレジットカード(今回は全てクレジットのタッチ決済。現金はなし) ・本(友達のおすすめ本を当日ブックオフで買った) ・Nikon Z6II ・NIKKOR Z 20mm f

    • 転職活動を振り返る。

      先日、転職活動が終わったので自分の脳内を整理しておきたい。個別指導塾講師から英語コーチへ転職する運びになった。私の簡単なプロフィールはこんな感じ。 転職活動を時系列で転職活動との出会い(2022年7月) 転職を意識し始めたのは入社2年目の夏(2022年7月)。休憩時間にこんなツイートをしていたようだ(フォロワーが数人しかいないメモ帳のような使い方をしているアカウントでのつぶやき)。 明らかに言葉足らずなので意図を補足させてほしい。上のツイートの意図は、この仕事が嫌いとい

      • 2023年のフォトグラファー生活を振り返る

        僕のインスタはこちらから はじめに タイトルにフォトグラファー生活と書いたが、僕はフォトグラファーなのか、自分でも正直わからない。写真家だと漢語の固い感じがなんか嫌だなと思った、ただそれだけ。そんなわけで今年の印象的だったカメラ活動を振り返ってみようと思う。思うままに書くので暇つぶしにでも読んでいただけたら嬉しい。 カメラを買った当初は風景をメインで撮っていた。やはり綺麗な風景を撮るのはとても楽しいし心が満たされる。でも、風景は何も反応しない。言葉を発しない。つまり自分

        • カメラを始めて1年が経ちました。-1年を振り返る-

          写真を撮ることが好きだった僕は、スワンさんというYouTuberさんのカメラレビューに影響されてカメラデビューをした。Z30というNikonのAPS-C機。それが2022年9月10日のこと。そこから何やかんや1年経ったので写真を見ながら振り返っていきたい。成長の過程を感じていただければ幸いである。以下にスワンさんの動画のリンクと僕のインスタを貼っておく。フォローしていただけたら嬉しい。 今までを写真とともに振り返る2022年9月 カメラの設定など何もわからないのでオートで

        ロンドン旅行を振り返る

          シドニー旅行で感じたこと

          タイトルにある通り、初海外に挑戦してきた。このnoteでは旅行を通じて感じたことを列挙しておきたいと思う。 出発当日までの流れはこちらからどうぞ。 感じたことを列挙していく。 日本語の自分と英語の自分、性格違うかも 最近、英語話者の写真を撮らせていただいているのだけれど、少し前の僕がみたらびっくりすると思う。というのも、僕はそんなに社交的な性格ではないから。街中で知らない人に話しかける度胸なんて持ち合わせていない。実際自分でもなんでそんなに社交的になれるのかわからない

          シドニー旅行で感じたこと

          シドニー旅行前日

          僕は明日の夜にシドニーに1人で飛び立つ。行く前に自分の気持ちを形に残しておこうとこれを書き始めた。 僕の経歴 社会人3年目の24歳男 TOEIC935点(2023年1月取得) 海外渡航経験なし 非英語関係の仕事 英語学習の話はこちらから 海外旅行が決まるまでの経緯 簡単にまとめると英語がちょっとできる純日本人が1人でオーストラリアに行くよということ。 実を言うと最初は家族でロンドンに行く予定だった。それは家族のひとりがロンドンにいるから。でも、ロンドンを満喫できる

          シドニー旅行前日

          英語を頑張ろうと思えている原体験

          現在は7/27(木)の0時。何かnoteを書きたくなったので久しぶりに開いた。 最近外国の方と知り合い、英語で会話する機会があった。実際に英語を話すことでモチベが爆あがりしている。このnoteでは書きたいたいことを徒然に書こうと思う。 先日のTOEICで935点を取得したnoteはこちらから 小学生から英語学習を初めて今では10年以上経った。今でも細々と学習を続けているのは自分でも自賛するほど。10年以上継続するのはだいぶすごいことなんじゃないかなあ。 ここでタイトル

          英語を頑張ろうと思えている原体験

          旅行をして感じたこと。

          最近アウトプットしていないなと思い、自分用の記録として旅行で感じたことを残しておきたい。郡山旅行を時系列でつらつら書いていく。チャプターをつけておくので気になったところだけでも読んでもらえたら嬉しい。 1日目~出発 有給と土日で4連休をいただけることになった。これはどこかに行きたいなと思い旅行先を探すことに。でも選択肢が多すぎて決められない。これは古くからの優柔不断のせいだろう。ホテルで行く場所を決めることにした。 私はドーミーイン信者なのでドーミーインのサイトを見る。

          旅行をして感じたこと。

          やっぱり人に会うのは大事だよねって話。

          今この記事を書いているのは2023年5月19日深夜1時46分。なんとなく自分の思考を言語化したくなり久しぶりにnoteを開いた。 ここで伝えたいのはタイトルにもあるように、人に会うべきということ、ただそれだけである。なぜそんなふうに考えるようになったのかを自分の備忘録としても書き残しておきたい。 今までの僕は1人が好きで、最近の言葉で言えばソロ充になるのであろう。大学の空きコマは大体図書館でYouTubeを見たり勉強したりしていたし、社会人になってからの休日は1人でふらっ

          やっぱり人に会うのは大事だよねって話。

          TOEICを520点から935点に伸ばした話

           第320回TOEIC公開テスト(2023年1月)で935点を取得できた。これにてTOEIC受験は終わり。今後は英検1級取得に向けて勉強をしていこうと思っている。  そんなわけで、今までの英語学習遍歴を、自分の記録としてまとめておこうとこれを書き始めた。 僕の経歴 ・24歳社会人2年目 ・英語学習が趣味 ・センター試験英語で180点 ・marchレベルの大学卒 ・法学部卒 スコアの変遷 520点(大学1年4月)L250 R270  IP       535点(大学

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          TOEICを520点から935点に伸ばした話

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          病んでいる時こそ人に会うべきという話【就活】

          このnoteで伝えたいことはただ1つ。タイトルにもある通り、 病みは人と会うことで軽減される ということである。僕の経験をお話ししたい。 原体験 時は大学3年生に遡る。僕は教材制作などの編集者を志望して就活をしていた。編集者は募集人数が極めて少なく倍率はとても高い。さらに募集している企業を少ない。  そんな中、就活開始当時の僕はどうにかなるだろうと慢心していた。今、回顧すればTOEIC865点を持っていたことで根拠のない自信を持ってしまっていたのだと思う。  結論か

          病んでいる時こそ人に会うべきという話【就活】

          努力したことがないと思い込んでいた話

          努力することは想像以上にとてもハードルが高い。今や、ネットで調べれば超短期で結果を出した人が目立つ。ダイエットのビフォーアフターや英語試験のスコアなど。広告はそんなものばかりだ。 僕自身、努力の経験がないということがコンプレックスだった。 ふと、「ととのう月曜日」というYouTubeチャンネルにお便りを送ってみた。視聴者からオールジャンルでお便りを募集していて僕は毎週習慣として聞いている。落ち着いた声がどうも好きだ。僕が送ったのは大体こんな内容。 このお便りについて、スワ

          努力したことがないと思い込んでいた話

          時が経てば英語は日本語になる

          コロナウイルス関連の報道で横文字をよく見かけたものだ。ステイホームに始まりクラスター、ソーシャルディスタンスなど耳慣れない言葉が乱用されていたように思う。 これらカタカナ語に対し「わかりにくい」「日本語を使え」「英語にする必要ない」などと否定的な意見が散見された。これについて私見を展開したい。 そもそも英語が嫌なのか個人的に感じていることは「カタカナ語が嫌なのではなく、意味不明な言葉に抵抗感があるのでは?」ということである。「英語を使うな」という意見は、英語の使用を否定す

          時が経てば英語は日本語になる

          人の悪口を言わないって決意した話

          ある日の出来事。とある人からこんなことを言われた。 「あの人って何歳なんだろうね。肌がちょっと綺麗じゃないから年上かな。」 その場では特に気にならなかったけれど考え直してみると違和感を覚えた。 違和感の正体は「それ、いう必要なくない?」ということ。 言ったことでその人の年齢はわからないし、悪口を言われてなんなら僕に不快感が残った。こんな感じの気持ち。 そしてもう1つ感じたことがある。 「この人、もしかしたら僕の悪口も言ってるかもしれないな」ということ。僕にだけ悪口を

          人の悪口を言わないって決意した話

          人に弱みを見せられなかった

          僕は完璧を求めすぎていた。全てを完璧にこなせる技量も持ち合わせていないのに。だから、目標が達成できない故に自己肯定感は無い。成功体験がないんだもの。 思えば幼少期から完璧じゃないといけないと思い込んでいたのかもしれないな。失敗はダメだと。だから人に弱みを見せられなかった。人に弱みを見せられないからこそ、深い友達も数多くいない。 失敗を見せた方が人と仲良くなれるとよく聞くけど、本当にその通りだと身にしみている。 今まで一人で抱え込んで生きてきたのかもしれない。最近ある本を

          人に弱みを見せられなかった

          「ありがとうございました」の違和感

          最近ふと思うことがある。それはタイトルにも書いてあるとおり、「ありがとうございました」という言葉の違和感である。以下で具体的に説明したい。 僕の主張から先に述べると「ありがとうございました」よりも「ありがとございます」の方が適切な気がするということである。 「ありがとうございました」の「た」は過去形を意味する。だから「ありがとうございました」という言葉には、感謝の気持ちが過去にあったものの、現在は無いということを暗示しているような気がしてならない。つまり、「今は感謝してな

          「ありがとうございました」の違和感