朗読教室ウツクシキ

少し変わった朗読会と朗読教室を企画・開催しています。ギャラリーや美術館で開催したり、古…

朗読教室ウツクシキ

少し変わった朗読会と朗読教室を企画・開催しています。ギャラリーや美術館で開催したり、古い建物や特別な空間で行ったり、時には森の中で自由に歩きながら読んでみたり。言葉や物語が空間に立ち上がるお手伝いをしています。 http://utukusiki.com

マガジン

  • 朗読テキストを考える

    朗読教室ウツクシキでは、教室で使用するテキストを月代わりで選んでいきます。 ・宮沢賢治コース:宮沢賢治の作品を、毎月ひとつづつご紹介します ・ブンガクコース:一人の作家の一作品を取り上げ、作家の生涯とともにご紹介します ・アーカイブコース:このnote「朗読テキストを考える」からお選びいただきます ・初めてコース:朗読が初めて、朗読教室が初めてという方はまずこちらから 教室で扱うテキストについて、選んだ理由や考えたことなどをご紹介していきます。 朗読教室ウツクシキ  http://utukusiki.com/class/

  • ウツクシキ ハナシ

最近の記事

『風立ちぬ』(堀辰雄)

―すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。 風立ちぬ、いざ生きめやも。    ―(本文より) 「風立ちぬ。いざ生きめやも」は、その一句だけでとても意志の強い言葉です。生きることや前を向くことへ気持ちが運ばれて、小説の内容を知らなくても自然と身体に力が湧き起こります。 レッスンでは、この有名な一句を含む冒頭を朗読し、『風立ちぬ』の世界に触れてみます。

    • 『グスコーブドリの伝記』

      まもなく新米の季節が到来・・・と言いたいところですが、世間では絶賛米不足です。なくなって初めてそのありがたみがわかること、今回も痛感しています。 今月の賢治コースは、宮沢賢治が生前に発表した数少ない作品のひとつ、『グスコーブドリの伝記』を取り上げます。主人公の少年ブドリは、冷害による飢饉がおこり両親を失い妹と生き別れ、農業に携わったのちにクーボー博士と出会い学問の道に進みます。噴火被害を軽減したり、雨と一緒に肥料を降らせたり、農作物の収穫に尽力しながら、物語の中で最も重要な穀

      • 『門』(夏目漱石)

        「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。 「なぜ」 「なぜって、いくら容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違ったような気がする。しまいには見れば見るほど今らしくなくなって来る。――御前そんな事を経験した事はないかい」 「まさか」 「おれだけかな」と宗助は頭へ手を当てた。 「あなたどうかしていらっしゃるのよ」 「やっぱり神経衰弱のせいかも知れない」 「

        • 『気のいい火山弾』(宮沢賢治)

           苔は、むしられて泣きました。火山弾はからだを、ていねいに、きれいな藁や、むしろに包まれながら、云ひました。 「みなさん。ながながお世話でした。苔さん。さよなら。さっきの歌を、あとで一ぺんでも、うたって下さい。私の行くところは、こゝのやうに明るい楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません。さよなら。みなさん。」 「東京帝国大学校地質学教室行、」と書いた大きな札がつけられました。  そして、みんなは、「よいしょ。よいしょ。」と云

        『風立ちぬ』(堀辰雄)

        マガジン

        • 朗読テキストを考える
          88本
        • ウツクシキ ハナシ
          3本

        記事

          『オツベルと象』(宮沢賢治)

          「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」オツベルは房のついた赤い帽子をかぶり、両手をかくしにつっ込んで、次の日象にそう言った。 「ああ、ぼくたきぎを持って来よう。いい天気だねえ。ぼくはぜんたい森へ行くのは大すきなんだ」象はわらってこう言った。  オツベルは少しぎょっとして、パイプを手からあぶなく落としそうにしたがもうあのときは、象がいかにも愉快なふうで、ゆっくりあるきだしたので、また安心してパイプをくわえ、小さな咳を一つして、百姓どもの仕事の方を

          『オツベルと象』(宮沢賢治)

          『それから』(夏目漱石)

          6月から三ヶ月間、オンラインのブンガクコースでは夏目漱石を連続して取り上げます。6月は『三四郎』、7月は『それから』、8月は『門』、この3作品は前期三部作と言われています。それぞれ主人公の名前は異なりますが、まるで一人の人間の成長過程を描いたかのよう。今年の夏も暑そうですが、「時の流れを感じながら本を読んだ」という思い出をご一緒できたらと思います。 「なに大丈夫だ。彼奴も大分変ったからね」と云って、平岡は代助を見た。代助はその眸の内に危しい恐れを感じた。ことによると、この夫

          『それから』(夏目漱石)

          『三四郎』(夏目漱石)

           三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。  ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消

          『三四郎』(夏目漱石)

          『土神ときつね』(宮沢賢治)

          夏のはじめのある晩でした。樺には新らしい柔らかな葉がいっぱいについていいかおりがそこら中いっぱい、空にはもう天の川がしらしらと渡り星はいちめんふるえたりゆれたり灯ったり消えたりしていました。  その下を狐が詩集をもって遊びに行ったのでした。仕立おろしの紺の背広を着、赤革の靴もキッキッと鳴ったのです。 「実にしずかな晩ですねえ。」 「ええ。」樺の木はそっと返事をしました。 「蝎ぼしが向うを這っていますね。あの赤い大きなやつを昔は支那では火と云ったんですよ。」 「火星とはちがうん

          『土神ときつね』(宮沢賢治)

          『茨海(ばらうみ)小学校』(宮沢賢治)

          すると野原は、だんだん茨が少くなって、あのすずめのかたびらという、一尺ぐらいのけむりのような穂を出す草があるでしょう、あれがたいへん多くなったのです。私はどしどしその上をかけました。そしたらどう云うわけか俄かに私は棒か何かで足をすくわれたらしくどたっと草に倒たおれました。急いで起きあがって見ますと、私の足はその草のくしゃくしゃもつれた穂にからまっているのです。私はにが笑いをしながら起きあがって又走りました。又ばったりと倒れました。おかしいと思ってよく見ましたら、そのすずめのか

          『茨海(ばらうみ)小学校』(宮沢賢治)

          『風博士』(坂口安吾)

          風博士の遺書  諸君、彼は禿頭である。然り、彼は禿頭である。禿頭以外の何物でも、断じてこれある筈はずはない。彼は鬘を以て之の隠蔽をなしおるのである。ああこれ実に何たる滑稽!然り何たる滑稽である。ああ何たる滑稽である。かりに諸君、一撃を加えて彼の毛髪を強奪せりと想像し給え。突如諸君は気絶せんとするのである。而して諸君は気絶以外の何物にも遭遇することは不可能である。即ち諸君は、猥褻名状すべからざる無毛赤色の突起体に深く心魄を打たるるであろう。異様なる臭気は諸氏の余生に消えざる歎き

          『風博士』(坂口安吾)

          『若菜集』より「春の歌」(島崎藤村)

          たれかおもはん鶯の 涙もこほる冬の日に 若き命は春の夜の 花にうつろふ夢の間と あゝよしさらば美酒(うまざけ)に うたひあかさん春の夜を 詩集『若菜集』は島崎藤村の最初の詩集です。明治29年頃、24歳だった東村は仙台へ行き、古い静かな都会で過ごしながら宿舎で書いた詩稿を毎月東京へ送り、雑誌に掲載していたものを一冊に集めて翌年に出版しました。東北の遅い春を迎えながら書かれたという状況を想像したり、詩集と言いながら七五調で書かれた文体が軽やかで甘く、声にするのがただただ楽しく、

          『若菜集』より「春の歌」(島崎藤村)

          『貝の火』(宮沢賢治)

          南の空を、赤い星がしきりにななめに走りました。ホモイはうっとりそれを見とれました。すると不意に、空でブルルッとはねの音がして、二疋の小鳥が降りて参りました。  大きい方は、まるい赤い光るものを大事そうに草におろして、うやうやしく手をついて申しました。  「ホモイさま。あなたさまは私ども親子の大恩人でございます」  ホモイは、その赤いものの光で、よくその顔を見て言いました。  「あなた方は先頃のひばりさんですか」  母親のひばりは、  「さようでございます。先日はまことにありが

          『貝の火』(宮沢賢治)

          『化鳥(けちょう)』(泉鏡花)

            けれども木だの、草だのよりも、人間が立ち優った、立派なものであるということは、いかな、あなたにでも分りましょう、まずそれを基礎にして、お談話をしようからって、聞きました。  分らない、私そうは思わなかった。 「あのウ母様(だって、先生、先生より花の方がうつくしゅうございます)ッてそう謂つたの。僕、ほんとうにそう思ったの、お庭にね、ちょうど菊の花の咲いてるのが見えたから。」(本文より) 子供が語る、子供の視界から見えた物語・・・といえば中勘助の『銀の匙』を思い出しますが

          『化鳥(けちょう)』(泉鏡花)

          『チュウリップの幻術』(宮沢賢治)

          「ええ、全く立派です。赤い花は風で動いている時よりもじっとしている時のほうがいいようですね。」 「そうです。そうです。そして一寸あいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣りのあいつです。」 「あの小さな白いのですか。」 「そうです、あれは此処では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等でしょう。」  洋傘直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。 (本文より) 2月の上旬にチューリップの鉢を買ってきました。

          『チュウリップの幻術』(宮沢賢治)

          『春になる前夜』(小川未明)

          とあるお仕事で、「日本のアンデルセン」と呼ばれる小川未明の作品を1年ほど読み続けてきました。主に短編が多かったのですが、そこで感じたのは「小川未明のお話はハッピーエンドが多い」ということです。子供の微笑ましいエピソードや四季のうつろい、小さな出来事での喜びなど、いわゆる「古き良き日本」を描いたものが多く、読んでいて心が温かくなります。 朗読教室のテキストを探していても、普段読書をしていても、「傑作には悲しいお話が多い」と感じることが多いのですが、小川未明のこの『春になる前夜

          『春になる前夜』(小川未明)

          『雁の童子』(宮沢賢治)

          その時童子はふと水の流れる音を聞かれました。そしてしばらく考えてから、 (お父さん、水は夜でも流れるのですか。)とお尋ねです。須利耶さまは沙漠の向うから昇って来た大きな青い星を眺めながらお答えなされます。 (水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、平らな所でさえなかったら、いつまでもいつまでも流れるのだ。) -本文より- ちくま文庫の『宮沢賢治全集6』の解説では、「原稿用紙に赤いインクで”西域異聞三部作中に属せしむべきか”と書」かれていたとあります。西域もの(西遊記のようなカ

          『雁の童子』(宮沢賢治)