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『気のいい火山弾』(宮沢賢治)

 苔は、むしられて泣きました。火山弾はからだを、ていねいに、きれいな藁や、むしろに包まれながら、云ひました。
「みなさん。ながながお世話でした。苔さん。さよなら。さっきの歌を、あとで一ぺんでも、うたって下さい。私の行くところは、こゝのやうに明るい楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません。さよなら。みなさん。」
「東京帝国大学校地質学教室行、」と書いた大きな札がつけられました。
 そして、みんなは、「よいしょ。よいしょ。」と云ひながら包みを、荷馬車へのせました。
「さあ、よし、行かう。」
 馬はプルルルと鼻を一つ鳴らして、青い青い向ふの野原の方へ、歩き出しました。(本文より)

この物語の主人公は「石」です。この石には固有の名前があったのですが、いつしかまわりの石たちから「べご石」というあだ名がつけられました。まわりの石たちとベゴ石との違いは、角ばっているかいないかです。角(本文中では「稜(かど)」という字を使っています)のある他の石たちの中で、べご石だけは、両端を少し平たく伸ばしたやうな形をしています。ただそれだけが、他の石と違うという理由で、皆から何かにつけてからかわれていました。いつしかべご石に生えた苔からすらも悪口を言われる始末でした。

けれども、べご石はみんなのからかいに怒ることなく、自分の丸い形を受け入れているようでした。からかわれても穏やかに返していく、流していく。そのことは強さに見える一方で、べご石が自分の弱い部分を守っているようにも私には思えました。言い返すことが、いつか自分に返ってくることを恐れている、それは知性なのだと思いました。

物語の終盤では、学者たちがべご石を貴重な石として認識し、上記にあるようなとびきりの待遇を受けることになります。これまで悪口をいっていた石や苔や野原のみんなのべご石への認識が一変します。そこで物語は終わりますが、勧善懲悪の物語と言うにはべご石の最後の言葉が少し切ないです。

けれども、私共は、みんな、自分でできることを
しなければなりません。さよなら。みなさん。

長く生きていると、いろんな価値観が交錯し、変化していく。特にコロナ以降はその傾向が顕著に思われます。でも「自分でできることをしていく」というのは、いつの時代にも通じることのように思います。

8月の賢治コースは『気のいい火山弾』です。
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