うつ病になってnoteに来たら先生と呼ばれはじめ、時にギネスを目指し、今はみんなと句集を出したい件について <86>
私はうつの中にいた。
うつのどん底だ。日本全国にあの体の重さ、動けなさを知っている人はどれだけいるのだろうか。
社会人である私にとってそれこそ想像もしていなかった未来だ。
病休。休職。世の中から置いて行かれたような気がした。
朝散歩がいい。
そう聞いて、意識して朝散歩をした。歩いてもへとへとで、すぐに帰って眠る日々。
好きだったお笑い、ラジオ番組を聞きながら歩く日々だった。
うつ病の私にとって、数か月単位があっという間だった。
うつ病になると世間とのつながりががっつり減ってしまう。
世間とのつながりは主に深夜ラジオ番組のお笑い芸人のトークで、
そんな中、男子高出身のオードリーがアイドルとの番組をはじめ、
がっつり普通のひいきをし、新しい扉を開けているのを横目に、
私も一歩ずつ進んでいた。
(※作者注 おっかけで過去の録画から再生している可能性があり、うつになった時期とは前後する可能性があります)
職場では、同期だとか、先輩後輩だとか、上司だとか、仕事場の8時間勤務の論理で進んでいく。
私はそこから降りざるを得なかった。
私は意地で人生を支えていた。
何とか回復したかった。
うつ病に関する本もたくさん読んだ。
どれぐらい経っただろうか。少しはましになっていたころ、
この世界はうつ病の患者への情報が少ないと思った。
考えをまとめる練習、アウトプットをしたいとnoteに飛び込んだ2021年。
2つ目の記事はしばらくスキ0。
なかなか現実は厳しい世界だった。
noteをはじめて3カ月になり、
しばらく記事を書き続けたとき、あるイベントに気がついた。
note内の俳句大会だ。
みんなの俳句大会
みんなの俳句大会公式。四季に合わせた大会をしています。 👉現在、凍結中。
748 フォロー593 フォロワー
(2024年11月17日現在)
えらく盛り上がっている。
そういえば、うつ病になる前の私の趣味の1つは俳句だった。
私が参加し始めた第二回大会、
白杯全句 197人 516句
参加者は200名弱、どう考えてもnote内の一大イベントだ。
ここでは誰も私のことなんて知らない。
俳句を趣味にしていたことも誰も知らない。
だけれども、俳句を通して誰かを褒めたい。褒め合いたい。そう強く願い記事を書いた。
過去なんて関係ない。俳句の17音のみで判断する。そんな感覚のある俳句という分野がとても好きだ。
俳句大会は2023年まで続き、私も褒める記事を書き続けた。
めろ2022年1月21日 21:21
ミテイナリコ🍁2022年10月26日 19:07
コメント欄に先生という言葉が
うつスピ先生という言葉がちらほら増え始め、
気がつけば俳句大会の公式の審査員になり、うつスピ賞に憧れていましたという言葉ももらうような存在になった。
うつ病になったことで、出来ないこと、やれないことに向かい合う時間が増えた。
私の一歩はnote内でどんな一歩だったのだろうか。
預言者であり創造者
オイラの記憶が確かならば、勝手に賞が始まったのは白杯からです。
この時はまだ、ムーブメントにはなっていません。スターライトうつスピ先生は↑記事でこう書いています。
そして次なる沙々杯で、実際にムーブメントが起きます。
確かに私は、
苦しい中でみんなの句を選び、褒める記事を書いた。
その一歩がどんな一歩だったのかはみんなの心に聞かないと分からない。
最後に記した通り、
自分も褒められたいという意思がほんのり浮かぶ行動だったかもしれない。
けれど、あれ以来、俳句大会に参加するだけでなく、
仲間の句を褒める記事を書く人が増えたのも事実だ。
うつスピ先生から
自分自身も輝く スターライトうつスピ先生となり、
うつ病の私が私設賞として俳句を褒める記事を書き始めたという小さな行動から、俳句を通してみんなを褒め合う記事が増え続けた。
(※作者注 私が始めたかどうかは諸説あります、早い方だったのは確かです)
話は少しとび前後し、
復職が現実味を帯び始めたころ、私はnoteを続ける余裕もないのかもしれないと思い始めた。
辞めることも視野に入れていた。そんな状況を変えたのは、noteのある募集だった。
第一期応募には、みんなの俳句大会も応募し、落選した。
しかし、私はこの企画に賭けようと決めた。
第1期と書いてある。ならば第2期もきっとあるはずだ。
この辺は、言葉の一つ一つを信じる俳人らしい判断だ。
私は、みんなの俳句大会を通して俳句を楽しんだ仲間たちと、
みんなの句の載った句集を作りたい。
うつ病になって何が残ったか。
今までの旅行好きだった自分はいない。
なんとか職場に復帰したものの、完全復帰とはまだまだいかない。
今もnoteのつぶやきでしんどいとつぶやくことも多い毎日だ。
だけれども俳句という文化を楽しむnoter達と出会うことが出来た。
note内で先生となった。
ギネスを目指すという記事は、1~2週間ぐらいでスピードとんざしたような気がする。
けれど素敵な仲間と出会えた。
私は今、note内で創作を楽しむ仲間が出会い、褒め合い素敵な交流をした結果を表したような句集が欲しい。
私の人生が何処に向かうかなんて誰も知らない。
大々的に始まった第一期は1206件応募のあった企画について、
第二期があるかどうかも誰も知らない。
だけれど私の句集を望む記事は、
2024年11月17日現在で<85>まで書き続けた。
#noteクリエイターサポートプログラム で検索して見てほしい。
むしろお金をもらった人たちより記事を書いているのが私だ。笑
ここまで読んでくださった方には、現在の私たちの夢の結晶である句集を見てほしい。
うつ病になってnoteに来たという小さな一歩から、
句集のネットプリントデビューを果たすことが出来た。
うつ病をきっかけにnoteに来た私の、まだ何にも確証のない企画に、
俳句を預けてくださった方がいた。
私はまだまだ夢の途中だ。
うつ病になった。
私の人生の中で、たくさんのものを手放さざるを得なかった。
人生なんて思い通りにいかないものだ。
だけれども、たどり着いた場所であがくことはできる。
このコンテストには、きっと1万件近い応募がある。
すでに読んだ中にも賞を取りそうな記事があった。
だけれど、私の冒険だ。
note内でこんなにも私は冒険している。
noteでの冒険を振り返りながら記事を書いた。
きっと私だけの冒険だ。美しい。
この募集への記事を読めば、私の数年間が分かるような記事にしたい。
そしてナンバリングもしよう。
この記事もみんなの句集へ続く一歩になるかもしれない。
今回で<86>だ。
きっとこれからも #想像していなかった未来 が続いていく。
数年後には、noteの俳句大会をきっかけにした、
みんなの句集が私の手元にあるはずだ。
もう少し元気になっているかもしれない。
念願の旅行に泊付きで行けているかもしれない。
だけれど未来のことは誰も知らない。
今日できることを一歩ずつやろう。
本日も、睡眠をして、明日からに備えよう。
思うように動かない私の身体だけれど、
残ったものを大切に生きていこうと思う。
最後に、今日の一句を詠んでこの記事をしめよう。
歩き来たここが未来で初景色 うつスピ
またどこかで、できれば句集でお会いしましょう。
お時間のある方は、
みんなの俳句大会の俳句たちも読んでみてくださいね。
愛を込めて。