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【ダイヤルアップ探偵団】第5回 現代のネットワークは〝パケ死〟の上に築かれた!

90年代末から今世紀初頭にかけて、ブロードバンドインターネットが普及する前夜の「ネット文化」に注目する連載。第5回のテーマは、1999年に世界に先駆けてサービス開始した「iモード」など、ケータイからのネット接続について。

●本稿は、2018年10月に刊行された「懐かしパーフェクトガイド Vol.5」(ダイアプレス) https://www.amazon.co.jp/dp/B07PK2NV65/ 掲載するため製作したものです。noteへの掲載にあたり、改稿・再編集を行っています。

 本連載には「ダイヤルアップ探偵団」という、超イカすタイトルが付されている。これは本誌編集部が出せる知恵をすべて振り絞って命名したものだが、今回は「ダイヤルアップ」接続ではない、もうひとつのナローバンドのことも振り返ってみたい。「iモード」「Jスカイ」「EZウェブ」など、従来型携帯電話を使った「パケット通信」である。

 これらのサービス名も、スマートフォンの普及によって一気に〝死語の世界〟に追いやられてしまった感があるが、かつて一億国民が日常的に利用したサービスである。本誌の話題のテーマとしては比較的新しい部類に入るが、「もはや懐かしい」と感じる人も多いだろう。

 また、2Gガラケーによるパケット通信は「ナローバンド」の範疇に含めるのが適切なはずだ。たとえばドコモの場合、「MOVA」時代の通信体系において、通信速度の理論上の上限は28.8kbpsであり、これをパソコン用モデムに置き換えると、1994年に制定された規格の速度に相当する。

 携帯電話が爆発的な普及を見せたのが90年代後半からである。携帯電話番号が11桁になったのが99年1月。ゲームとしては、みんなプレステを遊んでいた頃だ。

 サラリーマン・OLだけでなく、大学生や中高生が携帯電話を持つようになった。「アムラー」時代の女子高生の必需品といえばポケットベル・PHSだったが、世相語が「コギャル」の頃には携帯電話に変わっていた。

 その後も「ガラケー」の時代が長く続く。コンパクトのような折りたたみ端末が、「ヤマンバ」や「アゲハ」など数多くのブームを見守り、また見送った。

どうしてもケータイが欲しかったんだよね

 ケータイを持っているかどうかは、若者のステータスとして非常に大きなウエイトを占めていた。筆者も「ケータイを持っていなかった頃」のことをよく覚えている。

 中学1年生だった1999年、電車で1時間かけて通学する間、持たされていたのはポケットラジオとテレホンカードだった。教室では休み時間のたびに、「ケータイ組」が端末を見せ合いながら談笑している。割って入ってテレホンカードなんか見せても笑われるだけで、肩身が狭かった。

 あるとき友人の2人が、モノクロ液晶の携帯電話をそれぞれ持ち寄って『パワプロ』を遊んでいた。「ケータイでゲームができるはずがない!」と画面を覗き込んで見てみたところ、内容は、Webページを使った紙芝居仕立てのアドベンチャー。このくらいのWebページなら自分にも作れる……と思ったけれど、試す実機を持っていないのだから仕方ない。

 次の月に知ったことだが、彼らはこの単純なゲームを楽しんだ結果として、何万円ものパケット通信料を取られ大目玉を食ったらしい。モノクロ紙芝居のすべての絵を見るだけで、プレステ1台が余裕で買えるほどの金額をキャリアが取り分として持っていくのだから、コナミもつくづく不親切なゲームを作ったものだと思う。

 ダイヤルアップ接続での失敗経験がある身としては、「パケ死」はたいへん恐ろしかったが、それでもケータイが欲しくてたまらなかった。2000年に、J-Phone初のカメラ付きケータイ「J−SH04」を持ったときは本当に嬉しかったけれど、手に入れる前の辛抱のほうが強く心に残っている。

堪え性がない人間を陥れる「間欠的通信」の罠

 携帯電話のパケット通信は、パソコンのネット接続と異なる「間欠的通信」である。必要なときだけ通信をリクエストし、その都度お金がかかる。メールの送信や単発の調べ物には向いているが、チャットには向かない。BBSのチェックも、まめにしようとすればするほど費用がかさんでしまう。

 しかしこの頃から「魔法のiらんど」のような、携帯電話向けのコミュニケーションサイトが普及する。いわゆる出会い系サイトが生まれたのも同時期だ。したがって2000年あたりから「パケ死」が爆増する。夜中にテレホーダイでアクセスする暗くてマニアックなインターネットとは違って、ケータイの狭い液晶画面の奥には、同年代の女子がいるというのも魅力だった。

 ある友人は「パケ死」のために、お年玉を全額はたいて何万円も「ドコモカード」を買わなければならない羽目に。彼は悔しさのあまり、吉祥寺のアーケード街で突如「ズオオ! ズオオ!」と絶叫し、ドコモショップの前を何往復も全力疾走していた。現代のスマホっ子たちがこのイヤなシャトルランを味わわずに済むのは、素直にうらやましい。

 パケット料金そのものも高かった。Webページに画像が貼られていたら、それだけで十何円かかかる。実際に開いてみないとページの内容はわからず、通信料を節約するために「読み込み中止」のボタンを連打するのが常識になっていた。ダイヤルアップ接続の緊張感に慣れ親しんだユーザーとしても、重荷に感じる課金体系である。

 パケット定額サービスが一般化したのは概ね2005年からなので、この「パケ死」というのは、約5年間のみの現象だったのだろう。しかしダイヤルアップ接続における高額請求とは異なり、あらゆる層に広まった現象だったため社会問題となった。今日採用されている「通信量上限」制という料金体系も、この経験を受けてのものに違いない。

インターネットが画像であふれ返った

 カメラ付きケータイの一般化もまた早かった。初めてJ-SH04を持って登校した日には、「本当に写真が撮れる!」とみんな驚いてくれて鼻高々だったのだが、そんなものは1年もせずに当たり前になってしまった。

 この功績は大きい。デジタルカメラが数万円した時代に、ケータイのカメラならば機種変更で「実質無料」だったほか、いちいちケーブルで接続して取り込まなくても、インターネットに直接写真をアップロードできたのだ。

 現代と比べると画質ははるかに劣るが、それでもこれは革命だった。2000年からの数年間で、「自撮り」以外にもペットや植物の写真など、身の回りのものの具体的な形を共有するのが、かつてないほど手軽になった。同時にネットワークは、「架空の人格を演じるコミュニケーションの場所」という性質を失っていく。

 かくして、パケット通信により「マニア」の手を離れたインターネットが、その後どのような姿に生まれ変わったかというのは、あなたのポケットの中のスマートフォンが教えてくれる通りだ。

★その他の…… パケット通信あるある

1. Windowsのペイントを駆使して待ち受けを自作しちゃう
2. 耳コピの着メロが完成したのが嬉しくて友だちに配っちゃう
3. 「写メール」からURLが届くも、しょうもない写真でガッカリ
4. 「パケホー」登場時にはズルい使いみちも妄想した

第5回プロフィール

著者■ジャンヤー宇都
「jp-t」のメールアドレスをいまだに使い続けている、J-Phone以来のソフトバンクユーザー。写真は、J-Phoneとして最末期の2G端末「J-SH53」(2003年)で当時撮影したもの。

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