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命と経済を切り分ける意味不明な議論を展開させた不愉快の象徴

国内での新型コロナウイルスに対する扱いが「5類」相当となる。

新型コロナの感染症法上の位置づけを「5類」に移行するかどうかについて、厚生労働省は1月27日に専門家による部会を開き意見のとりまとめを行うほか、移行する時期について早ければ1月中にも方針を示す見通しです。

政府は新型コロナの感染症法上の位置づけを、原則としてことし春に季節性インフルエンザなどと同じ「5類」に移行する方針です。

コロナ「5類」移行時期 早ければ1月中に方針示す見通し 厚労省(NHKニュース)

不要な議論を呼び、不要だったビジネスを増やし、人々の仲を裂いたり、リモートワークを促進したり、あらゆるエンタメをぶち壊したりして、まさに人々の人生をぐちゃぐちゃにしながら、新型コロナウイルスというものはまさに嵐のように過ぎ去っていく。


ずっと不愉快だった。

マスクの是非も、ライブの是非も、旅行の是非も、すべてが不愉快だった。

コロナが無ければもう少し残ったかもしれないハンコ文化も、もう少し適応に時間を要したかもしれないリモートワークも、人間がいろんなことに神経を尖らせながら少しずつ崩していたものを一気に崩され、少しずつ積み上げていたものを勝手に積み上げられたような、環境に振り回されることが、とにかく不愉快だった。

コロナ陰謀論者が出てくることも、苦しいほどのマスク信者も、礼儀礼節が理解できないアンチマスク信者も、本来であれば無用だった諍いが横行し、しかもそれが人間同士ではなくウイルスによって引き起こされていることが、我々の丁寧な我慢や意思をぶち壊されることが、ひたすら不愉快だった。


命と経済を天秤にかけるような会話を何度も耳にした。正解のない(そもそも破綻している)思想で他人に何かを強いる。新型コロナウイルスを振りかざして、他人に何か制限をかけようとするその様子は、心の底から苦しかった。ウイルスじゃあるまいし。双方の想像力があと少しだけあれば、と考える日々だった。

「活動できるようになった」「活動するようになった馬鹿が増えた」という思考ではなく、これを機会に「どうすべきか」「どうあるべきか」を改めて考えてほしい。政府がどんな決定を下そうと、サイエンス的にエビデンスが出そろっていても、常に何かを傷つけうる。

道徳的な正解など無いのだということを、一人一人が肝に銘じて行動するようになることを願うだけである。

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