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雲のうえのロールモデル 主婦と起業②

読んでくださる方がいることに驚きまして(いや、ここそうゆう場所だとしても)さらには「スキ」を下さる方がいて、本当に恐縮です。
ありがとうございます。私もじっくり読ませて頂こうと思っています。
そんな1つ前のお話は、こちらへ ↓↓


ちょび白髪にポマードを香らせる男

私には、もったいないくらいの人間力のある祖父がいた。
当時は世界に支店のある大きな会社を経営していて
かっぷくのいいスーツ姿に、ちょっとだけある白髪にポマードが香る。
するどい眼光で世の中を語るかと思えば、
自宅にいる時には、だいたい浴衣姿でらっきょうを食べていた。

野球を見ながら、食卓に広げた頭のいい新聞紙の上で
キョーレオピンをカプセルに詰めて、指を真っ黒にしたり
漢方の「クマの手」なる怪しげな松ヤニのようなものを練っては
やっぱり指を真っ黒にしていた。

能ある鷹は爪を隠す

経営者たるもの、健康には非常に気をつかってか
様々な珍しい、身体に良いというものを取り入れながら、
食後には、アイスクリームのファミリーパックをそのままに
おばあちゃんとつっついて、「食べれなくなるから、やめてよ。」と
眉間にしわを寄せて文句を言う私に、「お前も食べるか?」って笑う。
そんな普通の幸せな日々をたっぷりプレゼントしてくれた。

私が起業することに、なぜこんなにももがくのか。
自分の「働く」ロールモデルと比較して
やる前から、自分との力量の差に恐れを持つからかもしれない。

祖父は手帳を真っ黒にしてメモを取る人で、
難しい言葉や社会情勢や、方針につながる何かは分からなくても
社員の皆さんとその家族を守るという文言は、
記憶に残るほど目にした。

食卓を埋め尽くす母の愛

あれから何十年も経っていて、時代は大きく変わっても
私の「働く」ロールモデルというのは、
旅立つその日まで、一緒に暮らした祖父と、
そこで働く母の姿が色濃くある。

母は早くに一人になって、それからずっと定年まで
祖父の会社に関係して働くワーキングマザー。
朝も早いし、夜も遅い。もう寝る間際の私のそばに来て
外の匂いをまとって、「おやすみ」だけは、かろうじて言ってくれる。
週末にだって家事らしい家事はしないけれど、
料理だけには、とてつもない情熱を燃やした。
当時には珍しい、そんな母が私にとっては憧れになった。

ローリングストーンズを地でいく人々

そのほかには、規格外の兄もいる。あれは30歳だったか、
「お兄ちゃんはハワイに行ってパイロットになる。」といったのを
家族総出で受け流した過去を持つ。
本当に、愛すべき優しい兄はきっと、当時悩んでいる渦中にいて
その後、自分の道を切り開くことになる。

人生にとっても大切な学びであり、豊かなロールモデルとなったのは
パリで通ったデザイン学校の、オリジナリティが溢れすぎる先生たち。
そして、私が勤めたデザイン会社で関わったコシノヒロコ先生は
まさにスーパーウーマンだった。なんというかもう、
存在が唯一無二を軽く超え、非の打ち所がなかった。
彼女を取り囲む人々もまた、あらゆる私の固定概念を強くゆさぶった。

わたしの「働く」とは
「確固たる自分の道を歩む人」

私なんてムリムリ駅は、こちら

立派なロールモデルに囲まれることは、素晴らしい反面、
たまたま日常の生活に続いて現れた場合には、無意識の比較が現れる。
何も体得してない今の自分と、過去さまざまな荒波をチャレンジした結果の
目の前の素晴らしい人格をそのまま、もれなく比べたあげく、
「到底、私なんてムリムリムリ駅」に連れて行ってくれる
音のない、自動運転の列車みたいに。

一周まわって、「今」を見るようになれた時
祖父も母も、コシノ先生もデザインオフィスの人たちも兄も、
何かを成したから、素晴らしいのではない。
月並みだけど本当のことだから、恥ずかし気もなく言おう。
「私も同じように素晴らしい。」生まれた時からずっと。

目指したいものへの、はじまりのはじまり

月並みでも、平然と実感をもって言えるようになった
見方は伝えたいことの一つである。

やりたいことより、安心を得るための消去法として
12年前に私は、夫を支えることなら、どうにか出来そうだと
結婚を前に安易に想像した私は、
自分の密かなチャレンジ精神にひとまずフタをして、
「自営業お手伝い、お任せください新婚生活」のスタートテープをきった。

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