「宇崎ちゃんを守りたい」と思ったことは一度もない。

この人の記事については前回も色々書いたが、今回は、一点だけ言っておきたいことがある。

少なくとも私は、あの騒動の前に「宇崎ちゃんは遊びたい」という作品を全く知らず、また、騒動をきっかけに作品の存在は知ったものの、特に興味は持ってない。作品を読んだことも一度もない。

そもそも、自称フェミニスト、あるいは自称リベラル勢による表現弾圧は、1990年前後から脈々と続いてきており、近年急速にそうなったわけではない。

細川ふみえポスター騒動を記憶されておられる方はもう少ないのだろうか。本当にしょうもない、ただの難癖としか言いようがないくだらない理由で、ポスターは回収されてしまった。

この記事を読んでいただければ分かるように、フェミニストは最近になって狂い始めたのではない。少なくとも30年くらい前からずっと狂っていた。

当時、フェミニストとしてテレビに出まくっていたのが田嶋陽子先生。現在は昔に比べたら(あれでも)かなり丸くなった印象だが、昔は本当にクソフェミだった。テレビ的には極端な人のほうが対立が深まって面白いんだろうね。火事と喧嘩は江戸の華。

それ以外にも、ちびくろサンボ事件、筒井康隆の断筆事件など、1990年前後の表現弾圧の事例など枚挙に暇がない。

私は当時から、こうした圧力団体に対しては徹底的に戦ってきた……と言いたいところだが、せいぜいネットの隅っこで吠えてるだけでした(笑)。

まあ、そんなわけで、宇崎ちゃんの問題についても他人事とは思えず、加勢したという次第。

私みたいな人は大勢いると思うし、「ただ単に宇崎ちゃんを守りたいだけのノンポリ」が圧倒的多数派だったとは、私にはどうしても思えないんだよなあ。はい、もちろんエビデンスはないですよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?