【菅野完への反論】『冷戦構造』は本当に時代遅れか?

フジサンケイグループなのに極左っぽい主張ばかり取り上げていることで有名な「フジサンケイ版LITERA」こと、ハーバービジネスオンラインにて、「内閣が2つぐらい飛ぶ」「8割間違いなし」など、数々の大ヒットデマをかっ飛ばした大砲、ノイホイこと菅野完さんがコラムを寄稿されておられますので、反論していきたいと思います。

 いや、より厳密にいえば、過去30年の歴史は、「憲法改正を真正面から議論すべきだ」と主張して誕生する「リアリズムを標榜する第三極の新党」が、次から次へと誕生し、野党としても第三極としても機能しえず、例外なく、消滅するか自民党に吸収されるかの末路を辿っていることを物語っている。この法則に例外は一切ない。

はい、いきなり間違ってます。なぜなら「日本維新の会」が、消滅もしておらず自民党に吸収もされていません。同党は、途中「維新の党」になったり「おおさか維新の会」になったりと紆余曲折はありますが、土台となる地盤は継承されており、同一政党と見做して良いはず。同党が発足した当初は、橋下徹の人気と指導力だけが頼みの、典型的なワンマン政党かと思われていましたが、橋下徹が党を離れてからも勢力が衰えることなく現在まで続いています。同党が「野党として、或いは第三極として」機能しているか否かについては見解が分かれるかもしれませんが、少なくとも消滅の兆候もなければ自民に吸収される兆候もないことは事実です。

ただし、同党が憲法改正をマーケティング戦略として積極的に活用してきたかというとそうではなく

 考えてみれば当然ではある。土台、「憲法改正に前向きな新党」なる軸足は、マーケティング的に無理がありすぎるのだ。

という、この部分の指摘に関しては、概ね正しいと言えます。

『冷戦構造』は本当に時代遅れか?

 確かに日本には、抜き難い反共思想が存在している。日本は時代遅れの冷戦構造がいまだに国内政治を規定してしまっているため、ロシア革命直後に考案された古臭い反共プロパガンダがいまだに根づいているのも事実だ。

これ、容共主義者が必ず口にする常套句ですね。しかし、冷戦構造が時代遅れだという明確なエビデンスを彼らが示すことはありません。逆に、冷戦構造が今もなお息づいているエビデンスは沢山あります。まず、朝鮮半島。それから、中国と台湾。そう、1989年にベルリンの壁は壊されたけど、有刺鉄線が張り巡らされ対人地雷が埋め込まれた38度線は30年経った今もそのままだし、中国と台湾の対立もずっとそのままです。

そう、東アジアだけは世界の潮流と関係なく、冷戦構造がそのまま温存されてしまったのです。

そんな中で、日本だけが、冷戦構造とは無関係でいられるでしょうか。そんなはずはないですよね。

また「反共プロパガンダ」とやらが根付いているのは日本だけでしょうか?アメリカでは、トランプ大統領がバイデン氏のことを「共産主義者」などと呼んで罵ってますし、韓国でも保守派の市民や政治家たちは文在寅大統領のことを罵るときに「共産主義者」という言葉を使います。共産主義が間違っていた、というのは、もはや世界共通の認識です。

そして、近年では「米中新冷戦」という言葉も盛んに聞かれるようになってきました。もちろん、これは「資本主義vs共産主義」といったイデオロギー対立の図式とは若干ニュアンスが違うかもしれませんが、しかし、中国とその衛星国をまとめて「レッド・チーム」と呼んだりしますし、習近平氏は毛沢東路線への回帰を強めているという指摘が多々あるのも事実です。

国民は『現状批判を忌避』しているのか?

そして、日本共産党が、口では民主主義を守るというようなことを言っていますが、本質的には独裁体質の政党であることは、党委員長が20年も変わらなかったり、そもそも党委員長を選出する党員投票もない、ということからも明らかです。

また、30年近く続く不況の結果、生活苦に喘ぐ人が増え、苦しい生活に喘ぐ人にありがちな「強者への精神的共依存」傾向が強くなり、共産党のように現状を批判することそのものを忌避する層が増えた側面もあろう。

これもデタラメです。まず「共産党のように現状を批判することそのものを忌避する層が増えた」という主張は

 有権者はバカではない。「非自民が自民党を否定する」よりも「自民党みずからが自民党を否定する」方が工数も少なく納期も短いことをちゃんと理解している。

という菅野氏自身の主張と矛盾します。こういうのを「自家撞着」と言います。

容共支持者の典型的な特徴の一つに「政権」vs「批判勢力」という、非常に単細胞的なモノの捉え方をする傾向があります。政権の批判勢力は別に共産党だけではありません。それこそ、「日本第一党」だって政権を口汚く批判しています。じゃあ共産党と日本第一党は共闘できますか?できませんよね。

政権批判と言っても、批判のベクトルは1つではないのです。例えば「軍事費を削れ」という政権批判と「軍事費が少なすぎる、もっと増やせ」という政権批判は、真っ向から対立するわけです。

共産党や労組に対する批判の1つに「イデオロギー闘争ばかりやっていて労働者のためになることを何もしてくれない」というものがあります。「憲法9条を守れ」、「集団的自衛権は憲法違反」、「辺野古基地反対」、「原発反対」みたいな主張が強すぎることが、共産党や容共野党に対する忌避感の最大の要因であって、政権批判が忌避理由ではありません。菅野氏の言葉を借りるなら、「憲法改正に反対する勢力」なる軸足もまた、マーケティング的に無理があるのです。

必敗の路線 vs 確かな野党路線

 小選挙区比例代表並立制が生まれてから、自民党が下野する政権交代は一度だけ発生している。政権交代とまではいかなくとも、与野党伯仲の選挙結果になった選挙は複数回ある。こうした選挙に共通するのは、「共産党が候補者調整した選挙」という点だ。むしろ、「共産党が候補者調整をしてくれない選挙では、当の共産党を含め、非自民の全ての政党の議席が伸び悩む」「共産党が候補者調整をしてくれた選挙では、非自民の全ての政党の議席が伸びる」と表現した方が、より実態に近い。

 にもかかわらず、「共産党との協力を否定してみせてこそ、有権者は喜ぶはずだ」という、現実を直視できない、数字を読めない、お花畑な夢みがちな幼稚な策士が国政選挙間際に必ず現れ、野党の結束を乱し、結果として、自他ともに、業火に焼かれて死んでいく…という愚かな失敗を、野党勢力は30年にわたって繰り返してきた。

この主張は一見正しいように思えるが、不思議なのは「ならばなぜ、共産党との合併を考えないのか?」ということだ。共産党が合併に応じてくれないと言うなら、共産党との協力を望む人たちが共産党に入ればいいだろう。菅野氏に限らないが、この種の容共主義者の言っていることは、要は「共産党は野党の下駄の雪となれ」ということであって、決して共産党を尊重はしていないのだ。「候補者は出すな、しかし協力はしろ」というのは、非常に虫の良すぎる考えであって、共産党に対してあまりに失礼すぎる。

むしろ、自民党から石破氏を引き抜くとか、与党から公明党を引きはがすなど、自民党を弱らせる工作を仕掛けたほうが、政権奪取の近道なのだが、菅野氏らはなぜ共産党との選挙協力にこだわるのか理解できない。自民党が下野したとき、必ず自民党から非自民勢力に移った人たちがいた。細川政権のときは小沢氏らや新党さきがけ等。鳩山政権のときは国民新党や鈴木宗男氏等。

 が、現実はそうならなかった。あの時、希望の党に群がったお花畑たちの稚拙な分析を嘲笑うかのように、「共産党が候補者調整をしてくれた選挙のみ、非自民陣営の議席が伸びる」という平成30年の歴史の鉄則が、あの選挙でも示された。あの選挙で、「共産党との選挙協力など有権者から嫌われるはずだ」と嘯いていた連中は死に、「共産党との選挙協力」を選択した人々が野党第一党に躍り出た。これほど皮肉な結果もあるまい。

これも実に笑わせる分析だ。野党第一党と言っても55議席に過ぎず、あまりにも志の低い話である。しかも、日本共産党はこのとき大幅に議席を減らしており、まさに菅野氏のいうように、共産党の献身(犠牲)があってこその野党第一党への「躍進」だ。そして、この選挙で自民党は全くダメージを受けておらず、所詮は野党同士でパイの奪い合いをしていたにすぎない。

玉木氏は確かに菅野氏の指摘する通り「必敗の路線」に嵌り込んでしまっているかもしれないが、それは決して、枝野路線が勝利することを意味しない。もちろん、もしも玉木氏や前原氏らが大人しく合流に従っていたとしても、結論は同じことだ。

自民党は、野党が結集しても分裂しても必ず勝てる仕組みが整っている。これを崩すには、「共産党との選挙協力」は戦略として正しくない。たとえリスクを取ってでも保守政党を立ち上げて、自民党を切り崩す以外ないのだ。共産党との選挙協力は、単なる生存戦略としては正しいと言えるが、それは「確かな野党」「日本社会党化」への道なのだ。




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