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社会に出て気づく「勉強と運動」以外にある数億の個性

「勉強も運動もできない」と、人生を悲観している人はいないだろうか。もしいるとすれば、それは全くの間違いだ。その理由をここに書いておきたい。

のび太の代名詞

みんな、大好きなドラえもんからたくさんの素晴らしい影響を受けてきたと思うけれど、この「勉強も運動もできない」という言葉を広めてしまったことは、ドラえもんが与えた唯一の悪影響なのかもしれない。

もちろんこれはのび太のことで、そもそも「勉強も運動もできない」のび太がいるから、ドラえもんは未来からやってくるのである。

この言葉が頭に入っていると、ついつい子供の個性が「勉強」と「運動」でしか測れないような気がして、実際ぼくも小さい頃は自分が何ができるかを考えるときにこの2つを真っ先に思い浮かべていたことを思い出す。

実際ののび太は、心が優しくて、射撃やあやとりも得意で、そして勇気もあって(特に劇場版の時)決して「勉強も運動もできない」だけではないのだが、子供の頃は、そこまで心が回らなかった。

運動のできないぼく

特にぼくは、運動ができなくて。いや、本当にできなくて。

きっとこれを読んだ人が想像しているよりももっともっと運動ができなかった。

信じてもらうために話すと、小学校の頃クラスの運動能力テストはクラス最下位だったし、ボウリングをすると隣のレーンに玉が入ってしまうことがあったり(これは今でも)、アメトークは好きだけど、運動神経悪い芸人は共感できすぎて笑えなかたりする具合である。

コンプレックスの中の十代

少し話がそれたが、とにかく運動ができなかったものだから、ぼくは人間の2大要素の1つが抜けているぐらいの気持ちでいて、そのため「勉強を頑張らないといけない」といつも思っていた。

かと言って、勉強も中の上といったところで、飛び抜けていいわけでもなく、コンプレックスを抱えながら10代の日々を過ごしていたことを記憶している。

社会に出て気づいたこと

でも、そんなこと全く気にする必要はなかった。

社会に出ると、この世の中には、「勉強と運動」以外に、人が輝ける個性が数億、数兆も存在することがわかったからだ。

服装や髪型が自由で、自由に動き回っている学生の方が、なんとなく個性があふれれていて、輝いているように見える。でもぼくが、人の個性が多様だということに気づいたのは、社会に出てからだった

おそらく、学生というものは、関わる年齢層は限られているし、そのシーンも授業やサークルがメインである。それと比べると社会という場は、年齢層も多様で、活躍するシーンも毎日様々に変わる。だから、その中でたくさんの輝く個性を見つけることができるのだ。

ぼくの身近には次のような人たちがいる。

姉御肌で、後輩たちをまとめるのがうまい人。
どんな時も冷静に物事を判断できる人。
誰に対しても区別なく、同じ対応ができる人。
先輩の話を聞くのが上手い人。
どんな相手にもわかりやすく説明ができる人。

本当に尊敬できる、学生時代に見つけることができなかった個性がたくさんある。この人たちは果たして「勉強と運動」はできるのだろうか。

そんなことはどうでもいい。本当にどうでもいい。

誰一人人生の2大要素なんて気にしていない。みんな、まさに一人一人、素晴らしい個性が評価されているのだ。

だからどうか、自分は「勉強も運動もできない」ことを責めないでほしい。

そして、決して「社会は恐ろしく、つまらない場所」だと悲観しないでほしい。

むしろ、あなたの個性が輝くのは、きっと社会に出てからなのだから。


#8月31日の夜に

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