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旧劇場版でトラウマを負った私がシンエヴァを観た話

※6000字にも及ぶ駄文の前半1000字弱はただの過去のバカ話ですが、ネタバレ突入前に注意書きがありますので、それ以降は映画を鑑賞してから読んでね。

旧劇場版でちょっとした手痛い記憶があった私はあんまりシンエヴァを観に行く気になれなかったのですよ。

あれは、確か私がまだ中学生だか高校生だったころ。

テレビシリーズの再放送か何かを録画したものを友達に借りて、母と二人で2日間で全話完走したわけだけれども、おそらく1週に1話であれば「あれはどうだったのか?」とか推理しながら見るのが楽しいアニメだったと思うのです。でも2日で完走すると、回収されなかった伏線の数が多すぎて、「なんじゃこれ?」ってなるわけですよ。そのころすでに旧劇場版がレンタルビデオにもなっていたので、「旧劇場版をみたら解消されるのかな?」なんて意気揚々とレンタルビデオ店で借りてきて鑑賞しました。

母と。

察しの良い方ならわかりますよね。
旧劇場版の冒頭……

うっ…

白い液体…

サイテーだ……

サイテーすぎるだろ、マジで。

気まずすぎるお茶の間、

思春期の多感な時期に、オカンと一緒に何を見せられてるの感。

軽くトラウマなのですよ。

そんなこんなで新劇場版を華麗にスルーし、シンエヴァも見ない予定だったわけですが。

おととい、Clubhouseをのぞいたら私が見える部屋の半分くらいが「シンエヴァを語る部屋」、3割くらいが「雑談(シンエヴァ禁止)」残りが意識高い部屋だったり、特に指定のない雑談部屋でした。で、私は一見のエヴァにかんしては特に指定の無い雑談部屋に入ったわけですが、やはり入ってくるは、エヴァの話をしたい人(笑)

ということで、エヴァの話を一通り聞いた結果、真夜中にチケットを買うことにしたのですが、

近所の映画館ではどうやらIMAXとMX4Dと普通のあるようで。

IMAXは画面が大きく、3D音響のもの。MX4Dは椅子が動いたり水しぶきや風が顔にくるようなものだそうで、

MX4Dで見た人は水しぶきがかかって

「目が…目が…」

なんて、どこかの大佐のようなことになったようなのだけれども、私の心配事は、

「旧劇場版の冒頭のようなことがあって、例の液体的な水しぶきが顔にかかるとかものすごく嫌なのだけれども」

「ないない、っていうかそれはやだわwwww」

という合唱とともに初MX4Dでの鑑賞をすることになったのであった。


⚠️CAUTION⚠️
以下「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」ネタバレを含みます。










以前の新劇場版をすっ飛ばしてシンエヴァをみた感想

「あれ?これ続きもの?よくわからない展開になっとるぅぅん!」

「っていうかマリって誰よねん?」

「マザコンvs母じゃね?」

「女しか話を動かさない話」

っていうのが、難しいことは抜きに久々に見たシンエヴァの感想でした(笑)

この記事では、新劇場版を序・破・Qをその後見た上での妄想的考察を書いていこうかなと思っています。
TVシリーズ、旧劇場版みたのは大昔だし、他の考察とかもあんまり読んでないし設定とかも詳しくないけれども。

妄想的考察
▶︎ループ説について

考察サイトを読み込んだわけではないのだけれども、聞いた話をちょこちょこと拾っていくと、ループ説があってテレビ版、旧劇場版、新劇場版と並行世界であってさらにループしているって話だそうだけれども、うろ覚えのテレビ版と今回の新劇場版のオチをひっくるめると、結局のところエヴァンゲリオンって「シンジの心象風景を描いた妄想というか空想の話」だったんじゃないかななんて思ったりするわけです。つまりところどころに現実がありながらも、基本的には観ている側と同じような現実を生きているんだけれども思い出だったり心象風景を思い返す中にエヴァンゲリオンのような空想のものが出てくる。

そのキーになってくるのは、ヘッドホンステレオと電車と天井。
この3つはより現実に近い世界の属性のものなのではないかと思っていて。

それ以外は、妄想なのかなーなんて思ったりするんだよね。

さらに言うと、同じ妄想を含めた出来事をループするように思い返しているわけだけれども、現実のシンジもちょっとづつは年を取って経験した現実によってループ内容がかわってるんじゃないかな?なんて。

アスカの名前が変わって、さらにクローンって話になったのは、「現実のシンジ」とは思春期になんらかの決別をしていて、「大人になった現実のシンジ」とは会わない人になったからなんじゃないかななんて思う。ケンスケに持って行かれたのかもだけれども。
それでも、シンジの思考にはずっと影響を及ぼし続けているわけなんだけれども、毎回ロクな目に合わないのは、気の毒だけれどもあんまり良い別れ方をしてないんでしょう。あの性格だしね(笑)
たぶん。

新劇場版のオチをみるに最終的な彼女はマリなわけだけれども、劇中のマリが14歳の割には歳食っていそうなのは、現実のシンジが会ったのがもっと大人になってからで、現実のマリ自体がそれなりの歳だからかなぁなんて思ったりするのです。

一方で、髪の色が薄く目が赤い、綾波レイと渚カヲルはたぶん「現実のシンジ」の世界で実在しない人物じゃないのかなって思う。他の登場人物はあり得そうな髪の色や目の色をしているけれど、あの2人だけ妙にファンタジックなキャラクターデザインなので。(遠い記憶だけどテレビシリーズの最終回では、にこやかな綾波レイとか出てきた気がするものの)

「新劇場版:序」でも綾波レイはいないところからお化けみたいに突然現れる。感情が薄くて人物像がはっきりしない理由は、生まれる前に死んであったことないお母さんの幻影だから、実際にどんな人だったかが、想像ができないってことなんじゃないかななんておもったりするんだよね。
対して、渚カヲルについては、シンジ自身と重ね合わせた「理想のお父さん」の幻影なんじゃないかなって思ったりして。だからQでは一緒にピアノを弾いてるし、シンエヴァではゲンドウがピアノを弾いていたという話が出てきたり、「渚司令」なんて呼ばれているシーンがあるんじゃないかなって。

お父さんとの確執を起点にした、ループする思考だから自分自身と理想のお父さん像を重ね合わせのカヲルは何度もループ見る。

そんなこんなで、この記事ではループ=「繰り返されるシンジの思考説」という切り口から妄想的考察を進めていきたいと思う。

▶︎シンジを取り巻く女たち

■ミサト
何度ループしても、同じように描かれるシンジが14歳時点でのミサトはおそらく「シンジの現実」でもいっときはミサトの家で同居してたんだろうなって思うんだよね。天井とヘッドホンステレオの描写もあることだし。恋とは違うけれども、母的に接してくれてる人だったんだろうなって思う。
ただしQとシンエヴァの描かれ方的に、「現実」の時が進むに従い、お父さんと同様の「通じ合えない人の側」へと行ってしまった人なんじゃないかなって。その間で何があったかを考えると、自分の本当の息子ができたのでしょう。それで、シンジのことを気にかけながらも、他人みたいになっちゃった=艦長になったってかんじではないのかな。

■綾波レイ
亡くなったお母さんの幻想。シンジが初号機(1)に対する、零号機(0)のクルーってあたりからもシンジの闘いの起点だけれども、「シンジの現実」では存在するか怪しい存在だなーなんておもったりするんだよね。ゼロだし。前の項目にも書いたように、レイとカヲル以外はおそらく「シンジの現実」では存在する人物だと思うのだけれども、会ったことがないからいまいちどんな人なのかつかめていない人。そして、白い方黒い方ともに人間味の薄さと、黒い方に至っては人間味を持ったら死んだのは、人間味をもってはいけない母の幻影なのかなーなんて思ったよね。

■アスカ
旧劇場版で最終的に残ったのは、それがアスカの意思ではなくてシンジの意思だった場合、旧劇場版時点の「現実のシンジ」にとっては、同化しないで一緒にいて欲しかった人または、強烈な印象を与えた子なんだろうけれども、最後の一言は「気持ち悪い」(笑)(観たのが昔すぎてうろ覚えです。)
旧劇場版時点で、シンジにとって恋愛対象だったかもあやしいけど。ちゃんと意識してないにしても何かしらの意識はあったんだろうなって。
それに対して、新劇場版時点の「現実のシンジ」にとっては過去の子って感じなのかなって。
セリフからも、もしかしたらシンジよりも先にちょっと「大人になった」かもしれないけれども、母にはなれんかった。ってあたりがポイントじゃないかなと思うのですよ。とおもう理由はマリの項目で。

■マリ
メタ的にシンジにとってのエヴァが何か?って話になってくると思うんだけれども、マリが弍号機になんなく乗れるのって、自分の次に大事な子が弍号機パイロットになるって話なのかなって思ったりするんだよね。Qで冬月が見せてくれる写真に、マリが写ってる説もあるけれども、まぁそのあたりはさておき。
前の項目で「現実のシンジが会ったのが14歳よりも、もっと大人になってからで、現実のマリ自体がそれなりの歳だからかなぁなんて思ったりするのです。」なんて書いたけれども、それなりにシンジの精神年齢に合わせつつ手のひらでコロコロしてくれる人なんじゃないかと(笑)常に斜に構えていたりして。
一応シンジと闘ってはくれてるんだけれども、コックピットの中はジュースだらけだったりちょっと退屈そうだったり。この雰囲気ってものすごくミサトっぽいんだけれども、ミサトはあくまでも子供に対する大人としてずっと接していて「頑張れ」とは言ってくれても一緒に戦ってくれる人ではないんだよね。結果的にQやシンエヴァでは、向こう側(お父さん的な人)に行ってしまったけれども、マリは実際の年齢はともかく少なくとも目線を合わせて一緒に闘ってくれてる。そこがミサトとの決定的な違いかなって思うんだよね。そして、結果的に「現実のシンジ」をエヴァの世界から決別を促す人って感じだよね。お父さんのことを「ゲンドウくん」なんて言ってて裏コードも知っててというあたりを、メタ的に考えてみると、「めちゃくちゃシンジのことを現実でも知っている人(少なくともシンジはそう思っている人)」ってことと読み解けるんじゃないかなって思う。
マリとアスカの対比みたいな話の方が多いけれども、私的にはマリの微妙なミサトっぽさの方がちょっと気になったりして、レイに対して生みの親に対する思いを投影する一方で、マリって育ての親とまでは言わないけれどもいっときでも親切にしてくれたミサトの投影がマリだとするならば、

どんだけマザコンなのよ?

なんて思ったりしたのでした。

■何が言いたいかと言うと、、、
結局のところ、エヴァンゲリオンって、シンジを取り巻く女+親父との確執のこじらせ話じゃないの?

▶︎エヴァの呪縛とは?

大人になったトウジやケンスケたち。また、年をとっているミサトや律子。それに対して14歳のままのシンジとそっくりさんとアスカ。

エヴァの呪縛、、、14歳のまま、、、それって厨二病じゃね?

なんて思わずにいられなかったわけですよ。

思考のループの中で成長できないこの3人。

最後の大人になって、声優が神木隆之介に変わったシンジって、マリと出会うことによって厨二病と決別した。そんな話だったんじゃないかななんて。

一応、エヴァのパイロットという都合、マリも14歳なのかもしれないけれども、斜にかまえてまくってたり謎に余裕をかましてたりあれって14歳のふりをしてシンジに付き合ってくれてる大人だよね、なんて思う。

そして「エヴァの呪縛」にさらされてるのは、シンジだけでなく視聴者と、そして庵野監督であったりそのスタッフであったり。観てる側も作ってる側も全員なんじゃないかと。そこから解放するために、どうしてもスッキリと終わらせる必要があったのではないかなって思うんだよね。

正直に、アスカが「好きだった」といったのって蛇足だと思うんだよね。それでもそれに白黒つけなければいけなかったのは、結局どうだったのヨォ!っていうあたりを文字通り「スッキリ」させたかったのかなって。

考えてみれば庵野監督自身何年エヴァに振り回されてるのよ?くらいのかんじだったのかもしれないし。

▶︎現実のシンジの描写は

新劇場版ではヘッドホンステレオの描写が多くあった気がするのだけれども、ヘッドホンステレオが現実と妄想をつなぐものではないかなって思っていたりして。

その中で一番現実に近い場所は、電車の中。
次は、病院の天井とミサトの部屋の天井。

今回新劇場版をはじめからみたのだけれども、逆に言えば電車に乗っている風景と天井以外は全て妄想な可能性があるなって思ったりするんだよね。

妄想の半分くらいは電車の中で、もう半分くらいは家や病院のベッド上で。病院やミサトの部屋の天井はともかくとして、妖怪大決戦みたいなのがあるようなあの状況で電車が断線もなく何事もなく走ってるってちょっとおかしい気もするんだよね。あれは心象風景だと言われればそうかもしれないけれども、むしろ現実があちらのほうなんじゃないかと思う。

そして、ヘッドホンステレオがはじめのうちは25と26のループをずっとしているのだけれども、マリと会うことによって27、28へと曲が進んでいくわけだけれども。25とか26って何かなってずっと考えていたのだけれども、テレビシリーズが26話まで。旧劇場版も25話、26話だったと思うのだけれどもそのあたりなのかなぁ。もしかしたら別の考察があるかもだけれども。

最後の場面では、電車から降りた駅にいる大人になったシンジは、声もテレビ版からの声優:緒方恵美さんから神木隆之介に変わってる。そして、現実にいるマリ。
ループの執行人の役割をしていたカヲルはQで消滅、過去の母の幻影の綾波レイはネルフから離れられないという理由で消滅、アスカも生きてるんだか死んでるんだか(昨日みたばっかりなのにうろ覚え)。

電車の行き着いた先に駅があって、ホームの対岸には他のキャラクターもいながらも(レイとカヲルがしゃべってるってあたりからもやっぱりカヲルってお父さんの幻影なんかなーとか)、大人になったシンジがマリに手を引かれて駅から出るというオチは、もう妄想の世界なんていらないって話じゃないかななんて思ったのでした。

エヴァのキーワードって「母」なんだろうななんて思ったのだけれども、ふとシャアのララァに対して「母になってくれる女性だったのに!」みたいのがよぎってきて、なんだろうなって。

結論、

エヴァって結局、新説母を訪ねて三千里みたいな話だった。

別に旧劇場版を母と見たの根に持ってるわけじゃないんだからねっ!


あ、世界設定ぶん投げでガバガバ考察しているので、あんまり深く突っ込まれてもわからないです。

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