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嫌なら嫌と言えばいい(それが言えれば楽なんだけど。笑)

#8月31日の夜に というテーマで何か書けるかな?憂鬱になっている人たちに何か希望を持ってもらえるようなことが書けるかな?と考えていたんですが、出てくる言葉はやっぱり赤の他人の無責任な言葉でしかないよな・・・と感じて書けずにいました。どうもカモです。


夏休みの後半になってTwitterでもこのタグをよく目にするようになりました。

イジメられて辛いなら、学校なんて行かなくてもいいんだよ。

一見すると優しい言葉のように見えますが、春風ちゃんも言っていました。

何故、イジメられている被害者の方が学校に行く権利を奪われなくてはいけないんだ。

ホント、それです。

イジメられてるわけでもなくて、なんとなく学校に行きたくないな、行く意味ってあるのかな、楽しくもなんともないんだけどな、そう思ってる子は「学校に行かなくてもいいんだよ」って行ってもらえるとありがたいんだと思います。

ほかにやりたいことがあるのならそれをすればいいし、学校でなくても勉強することは出来ます。通信学習なんかもあるし、今の時代ならどうにだってなるような気がします。


ただ、学校に行きたいのに行けないという子に「辛いなら学校に行かなくてもいいんだよ」って言うのは違うよな・・・って思いますよね。

しかも、ネットの赤の他人が言ったって説得力もなんもないですよね。

まぁ「こういう選択肢もあるんだよ」と教えることは出来るんだと思いますが。

まわりに相談する人も居ない、逃げる場所もない、もう死ぬしかない、そう思ってる子に、「だったらこういう場所があるんだよ」と駆け込み寺的な場所だったり、相談できるセンター的なところの電話だったりを提示することは出来ると思います。

そういう点では、今はネットがあって助かる命ももしかしたら増えたのかな?という気もします。


(・◇・)


※以下、イジメ描写、自殺描写が出てきますので、苦手な方は『▼その後』までスルーしてください。

▼施設内でのイジメ

僕自身の話になりますが、学校でイジメられたわけではなく、入所していた児童養護施設でイジメのようなことがありまして。

一つ屋根の下で一緒に生活して、同じ釜の飯を食っていた仲間に無視される、ということがありました。

まぁ理由は些細なことで、僕が年上面するのが鬱陶しい、そんなことでした。

事実、一番年上だったんだから仕方ないじゃないかって今なら笑って飛ばせそうなんですけど。

しかし当時の僕にはキツかった。

保母さんや指導員たち大人の言うこともわかるし、年下の子供たちの言い分もわかるしで、板挟みの中間管理職のような状態でした。

精神もかなり疲弊していた。

そんなときに下の子たちが不満を爆発してしまうようなことがあって。

ホント、些細なことだったんですよキッカケは。


当時一番歳の近かった3つ年下の子の気に障るようなことをしてしまったわけです。

そこから不満が爆発して、その子は他の子たちにも僕のことを無視するように命じるわけです。

年下の子たちはまぁいろいろと反発すると怖いって言うのもあったんでしょうね。命令に従うわけですよ。

歳の近かった3つ下の学年は数人居て、コソッと僕に声をかけてくれる子も居ましたが、やっぱりバレると怖い(というか面倒な)存在だったようで表面上はほとんど無視されていました。

学校とはまた違って、施設は生活の場ですよ。僕にとってはそこが家のようなもんです。逃げ場がなかった。

実家があるわけでもなかったので帰る場所もない。


それまででも、ちょっとした喧嘩なんかしたりして、あいつの顔見たくないとか、今日は帰りたくないなということは何度もありました。

そんなときは決まって、小学校からの友人だったHの家に転がり込んでいました。

しかし、このときHは大学受験を控えていて断られました。

いや正確に言うと友人Hに断られたのではなく、Hの母に、電話越しに。

「うちの子は受験を控えてるし、もう家に来たり電話するのやめてもらえるかな

そう言われました。


今のように学生でも携帯電話やスマホを持っているような時代ではありませんでした。

なので僕は友人H本人に相談をすることもできず、道は塞がれてしまったのでした。

他に友人は居なかったのか?と思われると思うので補足しておくと、他の友人はほとんどが社会人1年目で大変なときでした。自分の生活もあるのに僕が転がり込んでいいわけがない、そう思って連絡はしませんでした。(受験生友人Hのことも考えたれや、過去の僕。笑)


僕の退路は完全に塞がれてしまいました。


そして無視される日々を重ねて、誰に相談できるわけもなく、僕は壊れてしまいました。

僕なんて居る意味ないんだ。

僕に居場所なんてないんだ。


持っていた頭痛薬を丸々一箱ぜんぶ飲んでみました。

しかし気分が悪くなっただけでした。


左手首をザックリ切ってみました。

流れる赤い血は生きている証なんだな〜とか思いながら見ていましたがなかなか死ねませんでした。

結局5針縫う怪我で終わりました。あと少しで神経に届いていたらしいですがギリ神経は無事で後遺症という後遺症も残らず終わりました。


そしてこのリストカットで僕の自殺未遂が発覚し、指導員が出てきて「なんでこんな事になってるんだ?」と問題になりました。

キッカケは些細なことすぎて、指導員も理解に苦しんでいるようでした。

とりあえず仲直りしろみたいな話になっていましたが、ここまで来て仲直りできるわけねぇだろって感じでした。

そして話し合い(?)が終わったあと、部屋を出る際にボソッとあの子がつぶやきました。


「本気で死ぬ気なんかないくせに。構ってほしいだけやろ。」


次の日、僕は学校へ向かうために乗る電車にフラっと飛び込もうとしました。

しかし、サラリーマン男性に腕を引っ張られました。

腕を引っ張られた僕は反動で駅のホームに尻餅をついていました。

僕の腕を引っ張ったサラリーマンは何を言うでもなくそのまま電車に乗っていきました。

まぁ普通に飛び込まれたら迷惑だし、飛び込もうとしてた子に関わりたくもないですよね。笑


なんかもう、死にたいんだけど、どうやったら死ねるのかよくわからなくなって、死ぬのもめんどくせぇなと思ってやめました。笑

生きてるのも面倒だけど死ぬのもいろいろ面倒だな。

それが僕の答えでした。


それからも、僕を無視してるあの子は徹底無視を続けていましたが、まわりはチラホラと話しかけてくれるようになり、以前のように戻りつつありました。

それから一月くらいがたった頃でしょうか。

徹底無視をかましてたあの子が突然普通に声をかけてきました。

内心「は?なんやねんコイツ?」と思いましたが、まわりの目もあるので僕も普通に応えました。

そこからは、なんか普通に、あの子が以前と同じように話しかけてきます。

いや、以前よりなんか仲の良いアピールなのか?呼び方が変わりました。

なんやねんワレ?

内心思っていましたが、まわりにこれ以上迷惑かけたくなかったので仲良くしました。笑


(・◇・)


▼その後

社会人になってから友人に自殺未遂の話をしたとき、決まって「なんで相談してくれなかったんや」と言われました。

とは言ってもねぇ、現在のように携帯電話があったりメールで気軽にやりとりできるような環境があって、話すことができていたらたぶん相談してたと思いますけどねぇ。

友人Hにさえ「なんで相談(以下略)」って言われましたよ。

はぁ・・・、Hのおかん、これは連絡あったことすら言うてないねんな、とガッカリしました。なんか親との溝作っても仕方ないしなと思って言いませんでしたけど。

実際、このHの母親に断られたことがトドメを刺したと言っても過言ではなかったですからね。でもそれを僕がHに言ってしまうと、たぶんHは母親のことを責めたでしょう。なんで連絡があったことを言わなかったんだ?とか、僕が自殺まで考えてたことも。

僕の過ぎ去った出来事で他人が揉める必要なんてありませんから。


(・◇・)


施設を出てからも、当時の施設仲間から「会いたいね、集まろうよ」なんて同窓会みたいな感じで声がかかったりしました。

当時の職員なんかも来ると言うことで、それは懐かしいねという感じで何回か飲み会に参加したことがあります。


ある日、大学の頃の友人Oとお茶をしているときに、施設仲間から当時お世話になった保母さんと指導員が結婚するからお祝いしようって連絡が来ました。

当時お世話になった二人が結婚と言うこともあってこれは参加しないとな、と思ってはいたんですが、実は、当時のメンバーと飲み会をすると、決まって帰りにパニック発作に見舞われていたんですよね。

それを友人Oに言ってみたところ「やっぱり無理してるってことちゃうん?」と言われました。

友人Oは僕の自殺未遂のことも知っていました。そのころはまだ仲良くなっていなかったんですが同じクラスだったので、包帯を巻いた僕の左手首は嫌でも目に入り気になっていたそうです。

「体調崩してまで行く必要ないんじゃない?」

友人Oはそう言いました。

徹底無視してきたあの子と表面上は仲良くしていましたが、やっぱり心の中では許せずにいました。それでも仲良くしないとまわりが心配するしという理由で仲良くしていましたが、それは僕の体が、心が、悲鳴を上げる行為でした

それでもやっぱり、お世話になった人たちだから、そう思って我慢していました。呼ばれたら行かなきゃいけないものだとどこかで決めつけていました。


そんな僕に友人Oは「無理して行かなくてもいい」という選択肢を与えてくれました。


よくよく冷静になって考えると、僕の世界はそこだけじゃないんだし、何を守るために僕は昔の施設仲間との集まりに無理して行っていたんだろう?そう思います。

まぁ家族にしても、学校にしても、会社にしても、そこだけの小さな世界で回ってるわけじゃないんですよね。でもその小さな世界の人間関係、しがらみに囚われがちなんですよね。

嫌ならやらなければいい、行かなければいい、それだけのことなんだけど、何かしらに囚われて、やらなければいけない、行かなきゃいけない、って思ってしまう人って結構居ると思うんですよ。

逃げたら負けだとか、やることに意義があるとか、そういう教育をされてきたのかな?なんとなく日本人ってNOって言えない人が多い印象ですよね。


嫌なら嫌と言えばいい。

あたりまえのことなんだけど、言ったらいけないようなそんな気がしてしまうから、側にいる人が「嫌なら嫌って言っていいんだよ」そう言ってくれると、救われる心がたくさんあるのかなという気がします。

(・◇・)
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