「5年後10年後のキャリアプランは?」という質問が苦手な私のキャリアプラン
『ケーキ屋さんになりたい』
それが、ある意味
私の中で最古のキャリアプラン。
ケーキ屋さんとはケーキを作る側なのか、
経営する側なのか、はたまた販売員を指すのか、
述べよ
とツッコミたくなる2021年30代の自分がいるが、まぁそこは置いといて、
ケーキ屋さん=ケーキが食べれるわけではない
と気づいた段階でこの案はなくなった。
次に古い記憶は
『本を書く人になりたい』だった。
当時本のファンタジーな世界に没頭するのが大好きな妄想しがちガールだったのだが、
この案も
小学生のころ塾で一応1番上のクラスにいたにも関わらず、教室史上最悪の国語偏差値を叩き出し、大嫌いな国語の先生に集中マンツー教育を受けるというトラウマ体験により、没になった。
今となっては、もはや
本なんて一年に一冊読めば良い方、
という本苦手人間に変身してしまった。
(きっとこれも一種のPTSD)
子供の頃の卒業文集に書いた通りの職業/キャリアにたどり着いた人はどれくらいいるのだろうか。
本当にその通りの道を進んでいる人のことをもちろん心から尊敬しつつ、
もし、大半実現していたら、この世は野球選手だらけで年俸何億がうじゃうじゃいて、
大変なことになっているはずだとも思う。
だから私は、
キャリアや夢なんて描いていた通りになることの方が少ないと誰しも卒業文集の経験則から分かっているはずなのに、
何故大人たちは、
「5年後10年後の具体的なキャリアプランはなんですか?」
という質問をするのかすごく不思議なのだ。
今日はそんなことを考えながら私らしい働き方について書いていきたい。
思えば社会人になってから一度もプラン通りにいったことはない
まずは、社会人になってからいかに自分のキャリア/人生プランが破綻してきたかを思い出したい。
プラン破綻1: 目指していた仕事と全く違う内容の部署を何故か希望する
スタートダッシュから早速だが、
仲良い同期が希望しているからという理由と、
研修の時に出会った海外本社の仕事をしているかっこいい女性社員がその部署だったからという理由で、
特に仕事内容に興味がないのに、入社前の希望と
全く違う配属希望を出してしまった。
プラン破綻2: 海外本社転籍バリキャリプラン
→駐妻主婦&母プランに転向
部署を選んだ理由はわりと適当だったが、
プラン破綻1の理由となった憧れの先輩と同じく
海外本社の仕事をするために、
自分のたてた○年後のキャリアプランに従い、
私は結構一生懸命働いた。
ところが、
時が熟したタイミングでプラン通りに応募した本社のポジションは日本は対象外だと門前払い。
履歴書さえ見てもらえず。
ちょうどそんなヤサグレ状態の時に私に結婚を申し込んでくれたのが100%海外転勤がある職業の夫だったので、
海外本社転籍のキャリアプラン年表を破り捨て、
もう駐妻になって仕事辞めるか、夫の転勤に合わせて融通がきく部署に異動して細々とキャリアを積もうと決めた。
プラン破綻3: 駐妻主婦&母プラン
→海外本社転籍パワーカップルに転向
さぁ、結婚式も終わって、ハネムーン後は妊活でもして、そこら辺でちょうど夫の転勤が来て、子供は帰国子女…と新たなプランを作り直していたのだが、
夫の海外転勤が思いのほか早く決まってしまい、そもそも
10代の頃から心に決めていたイタリアハネムーンがキャンセルになってしまった。
(ちなみに今でも行けていない)
しかも、なんと夫の赴任先が
私の会社の海外本社のある国だったので、
ここで欲が出てくる。
やっぱり海外本社への転籍を目指したいと、
駐妻主婦&母プランは中止。
急なスタンス変更にドン引きしているであろう夫を横目に、これは神様からの思し召しだと勝手に受け取った。
プラン破綻4: 海外本社転籍パワーカップル
→コロナで出国できず待機に
駐妻としてついて行くどころか、
夫を半年以上待たせ、夫の会社にも制度交渉やら面倒な騒ぎを起こして、
やっとの思いで海外本社のポジションをゲットした私はもう一度破り捨てたキャリアプラン年表を作り直していた。
が、日本法人への退職届けも出した段階で、
コロナにより渡航中止。
一旦退職を取り下げ、渡航できる日までの限定、越境リモートワーカーとして本社の仕事を開始した。
プラン破綻5: コロナで出国できず待機
→現地採用ポジションを失う
思いの他コロナが長引き、
そうこうしているうちに、
大規模な組織改変が始まり私を採用してくれた海外本社側の人たちもクビ候補になってしまい、
さらに夫のビジネスもコロナで思いの外上手く行かず、帰任すると言い始めた。
せっかく契約書まで書いたのだが、
自分の進退さえ分からない中で来るか来ないか分からない日本人にポジションは空けてあげられないと、ここで現地採用のポジションを剥奪された。(そりゃそうだ
さすがにこの時ばかりは泣いた。
プラン破綻6: 日本法人側の部長に乗せられて想定外の仕事をすることになる
どうにか越境リモートワーカーとして今までの仕事を続けられないかと交渉している段階で、
日本側の部長に海外本社から募集がかかっていた期間限定プロジェクトに後輩が応募したがっているのだが、1人だと無理だろうから名前が知られている君とセット売りで応募させてくれ、
という謎提案を受ける。
可愛がっていた後輩だったのと、
面白そうなプロジェクトではあったので今の仕事も続けられるなら良いですよと、
半分ずつのエフォートの約束で日本から2名セットで応募することに。
それがまさかの後輩は落ち私だけ採用され、
あれよあれよと期間限定プロジェクトにて想定外の形で正式に越境リモートワーカーのポジションに着くこととなった。
どうしてこうなったのか
こうして、今までの社会人生活でざっくり数えただけで6回もプラン破綻を繰り返したわけだが、
会社のキャリアなんちゃら研修で作れと言われて真面目に作った○年後のキャリア年表は、
破り捨てられたり、
また貼り付けられたり、
上書きされたり、
(物理的にはもちろんもう持ってないが)
もはや何が書いてあるか分からない
ぐちゃぐちゃのズタズタ状態である。
計画も何も、ひたすらに
「周りの人の言葉」や「環境」に
流され、影響され、
ただ海の漂流物のようにゆらゆらと波にボコボコにされながら流された結果今に至っている。
私らしい働き方とは
でも、全く今のところ後悔はしていない。
そして、明日には
その部署・会社・仕事・国・地球がないかもしれないこのご時世、
「5年後10年後の具体的なキャリアプランは?」
なんていうのは愚問なのではないかとさえ思っている。
そんなの分かるわけないじゃないかと。
分かるわけないし、
結局私は自分の直感を信じて目の前の選択肢でその瞬間に面白そうな方・ワクワクする方を選んでいるだけなのだ。
強いて言うなら、そして私だったら代わりに、
「自分が生き生きと出来る仕事・環境・働き方はなんですか?」
と聞く。
なので、
○年後の具体的なキャリアプランを立てない
というのが私のキャリアプランであり、
「私らしい働き方」。
これからもこうしてゆらゆらと、
先が分からない未来を楽しみたいと思っている。
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