銀のソナチネ:3

銀のピアノが鳴り始めてから一年ほどして、前々から検討していた留学を決断し、京一はしばらく日本を離れた。
学校を出てからは、海外勤務のある会社に就職し、さらに長期間日本を離れて暮らした。
両親が寂しがるので年に一度は帰国したが、本当はずっと、戻らずに仕事に没頭していたかった。

いつ、この胸のピアノの音色が聞こえてしまうかわからないから。
梓と瑶介の、邪魔をしたくなかった。


ごく平均的なサラリーマンとなった瑶介は、長い交際を経て梓と結婚した。

白いドレスに身を包んだ梓は、この世のものではないかのように美しかった。梓の腕を取る瑶介の手は、気付かないうちにすっかり逞しくなっていた。

幸せになって欲しい、と心から思った。
けれど、ピアノの音は、それでも鳴り止むことはなかった。
楽譜を破り捨てても、破り捨てても、切なく響き続けた。


帰国するたびに、瑶介と梓は時間を作って京一に会いに来た。
梓の腕に抱かれた幼子は、蒼介と名付けられていた。瞳が青いのでそう名付けたのだという。梓の祖父がヨーロッパの出身なので、きっとその遺伝だろうと梓は語った。梓の家は代々女系で、男の子が生まれたと随分驚かれたのだという話だった。
いとおしそうに蒼介をあやす梓は、母親になってもなお、輝くばかりの美しさだった、あの少女の頃のままに見えた。

蒼介は会うたびに姿が変わっていた。瑶介に手を引かれて、無言でよちよちと歩いていたかと思えば、次に会った時には京一をじっと見つめて何か喋り始めていた。まだちゃんと回らない舌で、どうやら「おじさん」と言っているらしい。
子供とはこんなに可愛らしいものだったのか。抱いたことのない感情が、京一を包み込んだ。
その凍てついた心も溶かす様子は、まるで梓のあの笑顔、そのものだった。

蒼介が梓に非常によく面差しが似ていることに、京一はもう気付いていた。
自分の後ろを泣きながら付いて回っていた、幼い瑶介の面影は蒼介にはない。
男児は母親に似るという話はよく聞くが、こんなに似るものだろうか。父親に似た「おじさん」に安心感を覚えたのか、笑顔で駆け寄ってきた蒼介の顔立ちが、結婚式で流れた梓の幼少期の顔に瓜二つなことに、京一は少しだけ違和感を覚えた。
しかし、すぐに考え直す。蒼介はまだ本当に幼い。瑶介に似てくるとしたら、これからだろう。


瑶介に似て欲しい、とどこかで思っている自分がいた。

梓にあまりにも似た幼子の姿は、必死で銀のピアノの演奏を止めようとする京一には、切な過ぎた。


梓や蒼介が安心して暮らせる世の中を作ろう。仕事に、生涯を捧げて。
蓋が開いたままのピアノに、京一はそう語りかけた。




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(全7回予定)


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