銀のソナチネ:4

蒼介が小学校に通い始めてからしばらくして、両親が死んだ。事故だった。
葬儀のため急いで帰国した京一は、突然のことに頭がはっきりと働かないまま、二人を見送った。悪い夢を見ているようだった。

目を真っ赤に泣き腫らした梓の隣に、蒼介が大人しく座っていた。ほんの幼かった頃よりも、ますます梓と面差しが似通っている。梓もまた、セーラー服の少女だったあの頃のままのように、まるで変わっていなかった。二人の居る場所だけが、不思議で美しくて儚い、絵画のようだった。


京一が再び日本を離れる前日、蒼介を連れて梓が自宅に戻ると、京一と瑶介は実家で二人きりの夜を過ごした。瑶介が結婚してからは二人だけで過ごすことはまったく無かったはずだった。両親の思い出を片付けながら、京一は少しだけ懐かしい気持ちがした。

「兄さん」
瑶介の声は暗かった。突然親に死なれたのだから無理もない、と京一は優しく、どうした、と返事をする。

「蒼介はぼくの子供なんだろうか」

意外な問いかけに、京一は思わず穴の空くほど瑶介を見つめた。
「どうした。突然何を言い出すんだ」
「兄さん、蒼介が梓にそっくりなことには気付いてるだろ」
瑶介は光を失った目で京一を見つめ返す。

「それは…。確かに蒼ちゃんは梓さんによく似てる。でも、男の子は母親に似るって言うだろう。たまたまあの子はお前よりずっと梓さんに似てしまっただけじゃないのか」
「ぼくもそう思ってたよ。ずっと。でも、蒼介はいつまで経ってもぼくに似ているところがひとつもない。こんなことがあるんだろうか。
ぼくだって兄さんだって、確かに母さんに似た部分もあるけど、父さんにだって似てるだろ。特に兄さん、兄さんは父さんにそっくりじゃないか」
「どうした、落ち着けよ。お前、それじゃ梓さんがまるで…」

そこまで言ってしまってから、京一は言葉を飲み込んだ。
あの梓が、梓が瑶介を裏切ったりするはずがない。梓は瑶介をとても愛している。それは京一には、二人を近くで見ていた京一には痛いほど伝わってきたことだった。
それなのに。瑶介。

「疑いたいわけがないだろう。ぼくだって…。むしろ、梓を信じているからこそ変だと思うんだ」
瑶介は京一と目を合わせずに続ける。
「蒼介は確かに梓の子供だ。出産にはぼくも立ち会った。あの子の産声を聞いたとき、どんなに、どんなに嬉しかったか…」

じゃあ、それでいいじゃないか。そう声に出そうになるのを堪えて、京一は黙って瑶介の話を聞いていた。

「葬式の次の日に、蒼介がぼくのところにやって来て言うんだ。
おとうさん、どうしたの、さびしいの。あのね、僕のおもちゃ貸してあげるね。このロボットがさびしいのを追い返してくれるよ、って。
蒼介にはたぶん何が何だかよく分かっていないのに、あの子なりに異変に気付いて懸命に気を遣ってくれてるんだ…。
兄さん、ぼくは蒼介が可愛い。本当にあの子が可愛い。梓そっくりに生まれたあの子が可愛くて仕方ないんだ。
それなのに、それなのにこの違和感は何なんだ」

兄さん、と呟く瑶介の声は一段と重苦しくなる。

「梓は、ぼくじゃなくても良かったんじゃないだろうか。たまたまぼくがいちばん近くに居ただけで、例えば兄さんが梓の同級生なら…」
「やめろ!」
物静かな京一が滅多に出さない大声に、瑶介は我に返ったように呆然と京一を見た。
「…ごめん、どうかしてた。梓にも兄さんにも失礼だった…」
「瑶介、疲れてるんだよ。突然こんなことが起きたんだ、仕方ない。今日はもう寝なさい。明日になったら、少しは落ち着くよ」
「そうだな、そうかもな…。こんなことが起きるなんて思ってもいなかったから…。
兄さん。もしぼくや梓に何かあったら、蒼介を頼むよ」
「おい、縁起でもないこと言うなよ」
「そうだけど、聞いてくれ。蒼介は、あの子は…。あの子には…」
何か言いかけて、瑶介は口をつぐんだ。
「いや、あの子が大きくなって、兄さんに言う必要があると思ったら、あの子から話させる…」
瑶介がそう思うならそうしたらいい、とにかく今日はもう休みなさい、と京一は瑶介を促した。

寝室のドアが閉まる音を聞いてから、京一は瑶介の言葉をひとつひとつ思い返していた。

瑶介は、何かに気付いて不安になっている。それは、おそらく自分も気付いた違和感と同じものだ。
しかしそれは、何の根拠もない、本当にただの違和感のはずだ。そうだ、そのはずだ。

銀のピアノが叩き付けるように激しいメロディーを奏でる。

瑶介、梓さんを疑うなんて。それだけは、それだけは言わないでくれ。
お前の恋人だから、妻だから、私はあの人を、あの人を、
見つめまいと、決めたのに。




第5回に続く
第3回に戻る
第1回まで戻る
(全7回予定)


--------------------------------------------------------------------------------
主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週5回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

気に入っていただけたなら、それだけで嬉しいです!