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蒼のノスタルジア :5

「やっとついたー!」
千光寺の境内で、蒼介が拳を突き上げる。
お守りなどを少し見て回るうちに呼吸も整ってきたが、運動不足を朝日花は痛感していた。
こういう時にへばるのは絶対蒼介の方だったのに…。菜々子に誘われたジム、入ってみようかな、と朝日花は貰ったパンフレットをどこに置いたのか、ぐるぐると思い出していた。

本堂から見下ろす尾道の風景に、二人は息を飲む。
家々の屋根や建物がびっしりと敷き詰められていた。向かいの島と街並みに挟まれるように、深いブルーの海が横たわる。橋が掛けられているのは海の狭くなったところだろうか。
街並みを取り囲む、山の緑。抜けるような青空が、遥か頭上までどこまでも広がる。
空の青も、海の青も、山の青もこんなにも違う青なのだと、飛び込んでくる色彩は豊かに語りかける。

空と、海と、山と、島と、街のすべてが1枚の絵の中におさまるように、神が造り上げた箱庭のようだった。人の暮らしと瀬戸内の自然が織り成す、おもちゃ箱みたいな景色。時計の針が、くるくると逆に回っていくような気がする。

「風が気持ちいい」
景色から目を離さずに、蒼介が呟く。瀬戸内の潮風が長い睫毛と黒髪を揺らす。

「ねえ、ちっちゃい時にも来たのかな、ここ」
街並みを見回しながら尋ねる蒼介に、朝日花は必死で思い出しながら答える。
「んー、どうだったかな…。来たような気もするけどあの時じゃないような気もする。3年くらい前に来た時には確かにこの景色見たんだけど」
「そうなんだ。だからお店の場所とか覚えてたんだ」
「うん、高校3年の時の同級生が留学するから、壮行会と称して来たの。僚平君も一緒だったわ」

僚平のことは電車の中であらかた話してしまったけれど、蒼介はやっぱり少し嬉しそうな顔をする。
中学1年の時に同じクラスになってから、蒼介と朝日花と僚平は、いつも3人一緒だった。8年前の、あの日までは、いつも。

「やっぱり乗らなかったんでしょ、ロープウェイ」
「それは乗らなかったわよ。乗るわけないじゃない。だいたいあの時は車で来たような…。あれっ、歩いて登ったんだっけ」
どうにも記憶がもつれているが、本堂から見たこの景色は、はっきりと覚えている。
あの日見た空と海があまりに美しかったから、蒼介を連れて来ようと思ったのだから。


そうだ、3年前にも、尾道に来た。

高校3年の時同じクラスだった久実子が留学する前に、クラスメイト5人で遊びに来たのだ。ちょっとした同窓会も兼ねることになり、楽しかったのを覚えている。
楽しかったと、やっと思えるようになっていた。

僚平は徹夜で何やら実験に没頭していたらしく、少し眠そうにしていたが、何だかもっともっと見て回りたくなる街だね、また来よう、と帰り道で笑いかけてくれた。結局、あれから一度も再訪していなかったけれど。

それから数日経って、出発の準備中の久実子と、商店街でバッタリ会った。せっかくだから喋ろう、としばらく喫茶店で他愛もない話に花を咲かせていたが、久実子は突然、真っ直ぐに朝日花を見て、こう言った。

僚平君に、尾道で一か八か告白してみたんだけど、やっぱり駄目だったわ。
好きな人がね、いるんだって。まあ、何となくわかってたけど。
何も言わずに留学すると、後悔しそうだったから。それはもういいの。

朝日花、菜々子に聞いたよ。
あの頃、朝日花や僚平君たちはあたしを知らなかったと思うけど、あたしは3人とも知ってた。あの蒼介君って子、とってもかわいい男の子だったから。

朝日花の心が決めることだから、あたしには何も言えないけど。
朝日花にも、僚平君にも、幸せになって欲しい。

言葉を選びながら、久実子が伝えようとしたことは、何となくわかる。

8年前のあの日から、自分をいちばんに支えてくれようとしていたのは、僚平だった。
何も考えられなくなってしまったあの頃も、何も答えなくていいから、と毎日のように顔を見に来てくれていた。

でも。
私は。


そうじゃない。
何か、大切なことを忘れている気がする。


「僚平も来れば良かったのに」
電車の中でも呟いていたことを、蒼介がまた呟く。
「言ったでしょ、今日は忙しいんだって、僚平君。なんか、難しい勉強してるみたい。私には全然わからないけど」
「そうだったっけ、ごめん。せっかくいいお天気なのにな、って空とか山とか見てると、つい思っちゃって」
瞳の色が、空と海を吸い込む。青い風景の中に風に吹かれて時折こぼれ落ちる、青い輝き。この美しい少年を、時を封じ込めた箱庭の中に永遠に閉じ込めてしまいたくなる。

永遠に、閉じ込められたら、いいのに。



第6回に続く
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※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、地名等とは一切関係ありません。


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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は原則月・水・金曜日(たまに日曜日)。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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