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正解病

やることなすこと、よかれと思ってやるのだが、不興を買う。

渋い顔をされる。

仕事でそんなことが続いている。

うまくいかないな。

と、所長にボヤいた。

「まあ、正解ってないですからね」

そうですよね。

と曖昧な返事はしたけど、ものすごく怖かった。

また出たからだ。

「正解」というワードが。

「正解を求めているのか?」

「答えを教えてほしいのか?」

支援施設にいたころ、支援員さんに言われた言葉だ。

そんなことはない!

と当時思った。

今も違うと思っている。

あくまで「正解」というものは、自分で探して、見つけるものだと私は考えている。

全て、1から10まで教えてもらわないと分からないなんて、いやだと思う。

そんな不自由はごめんだと思う。

私は色々やってみたいし、やれないなんていやだ。

うまくいくことも、いかないことも、やってみなくては、その楽しさも、嬉しさも、悲しさも、悔しさも分からない。

だから、正解を教えて欲しいのかと言われた時、正解だけを求める人間だと思われたのは、心外だった。腹が立った。

だけど、そんな私の気持ちとは裏腹に、私は間違うことを、ものすごく恐れているところもある。

いつもちゃんとしていないと、見放される。嫌われる。役立たずと思われる。

いつもちゃんと、きちんとしていなさい。

それは親から受けた、呪いのような教えだったから。

だから「正解」というものがあるのだとしたら、知りたいと思う気持ちは嘘じゃない。

私だけじゃなくて、多くの人もそうかもしれない。

よかれと思ってやることが正解じゃなさそうな時、試行錯誤して、自分の正しさや、やったことが実際どうなのか、その場に本当にどうふさわしくないものなのかを、体当りして知っていくしかない。

分かってはいる。

でも、ちょっとしたボヤキが、

自分でやろうともせず、人の正しさを鵜呑みにする怠慢な人間(私の偏見を含みます)。

ああ、そうやって見えるんだ。

と思ったら、気持ちが沈んだ。

正解を求めて、他人に何もかも教えてもらおう、頼ろうと思っているわけじゃない。

むしろあなたの正解なんて、知りたくない。

ただ、うまくいきませんと、言いたかっただけ。

正解病とでもいうような、何を言っても、正解を求める人だと言われているような、不本意な心もとなさ。

そんなつもりはないのに。

世の中「そんなつもりじゃなかった」ことばかりで、正解じゃなくてもいいから、道標が欲しかったりする。それすら、正解病の一つかなあ。。。

【今日の英作文】
くだらないことを思いついても、実際やってみるまで、そうとはわかりません。
If you come up with nonesense, you will not be able to see it until you actually do it.

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