見出し画像

回遊する言葉

英訳する時、ちょっと悩む言葉たち。「いつも」「かならず」「きっと」。

【用例】

その手紙の最後には、「いつも」サインが記されていた。

「かならず」会いに行くから。

あの人は「きっと」挨拶をしてくれる。

ーーー

単純にas usual や、for sure 、always 、should を使ってもいいのだろうけど、なんか日本語でのこだわりが薄っぺらになってしまう気がする。

「いつも」も、「かならず」も、「きっと」にも、単純な意味以上の感情がこもっているように私は思う。

文末に「いつも」あるサイン。

それを見て動く感情。

いつものサインを見て、ああ、あの人だと思う。

いつものサインを見て、ほっとするのか、苛立たしく思うのか。嬉しいのか。うんざりするのか。

前後関係も人間関係も、何もわからないけど、「いつも」とわざわざあるからには、なにか心が動いている。

サインが記されていた。

だけでも通じるところに、付け足された、「いつも」。

「かならず」、「きっと」も、話者の希望や願望や期待、何かしらの感情が滲む。

私は英語ネイティブじゃない。

勉強はしているけど、全然足りない。

たぶん一生足りない。

この気持ちを、英語ではどう表現するのかなあと、考えることが好きだ。

逐語訳ではない、話者の気持ちを包みこむような人間の言葉。

「絶対、絶対だよ!」と念押ししたくなる「かならず」。

ドキドキするような期待が滲む「きっと」。叶わなかったら、しょんぼりしてしまうかもしれない。

答えなんてない。

多分訳者によって、違う解釈、表現ができるのではないかと思う。

英文学をそういう味わい方ができるほど、私は英語に堪能ではないから、語彙も少ない。

ちょっとひっかかる言い方だなと思えたら、ラッキーレベル。

だからせめて、自分が日本語を母語とする限り、日本語へのこだわりを捨てたくないと思う。

もし、私の文章なり小説なりを英訳するなら、その英訳する人が困るような文章が書きたい。

決定的に「これはペンです。」以上の何かがある文章。

いつもくるくる捻じ曲がって、その表現したいものの周辺を泳ぐように、言葉が回遊しているような文章。

蜂のようにピンポイントで刺す文章も素敵だけど、私はそのニュアンスを捉えるための、動きを大事にしたい。

いつも、かならずは答えが日本語ですらないのかもしれけど、きっと見つけて、表現していけたらなと思う。

【今日の英作文】
私は前の上司たちに深く感謝しています。
I'm deeply grateful for my former bosses.

#日々 #日記 #文章 #エッセイ #毎日note #毎日更新 #アウトプット英作文 #回遊する言葉 #蜂のように刺す言葉 #こだわり #文章表現 #自由な表現 #とは

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?