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イベントなんて、忘れていいのだ

そういえば、この間はバレンタインデーだった。

朝からベッドの畳に、カビを発見したりして、それどころじゃなかった。

そうでなくても、ハロウィンしかり、クリスマスしかり、カタカナ系のイベントは、大抵当日忘れている。

それは、なんでなのだろう。

ふと思った。

暦に関心がないわけではない。お正月も、節分の恵方巻きも覚えていたし、暦ではないけど選挙の日だって忘れてない。

カタカナ系のイベントは、特定の人たちのためのイベントと化しているからではないか。

それが、いいとか悪いとかではなくて、楽しむ人が特定されるイベントだと、対象外の人が出てきて、もれなく私もあてはまっているということでは。

お祭りに興味なし、特に祝日でもなし、共に楽しみたい人もなし。縁がないのは当然のように思える。忘れても害がないし、楽しみでもないから。

イベントなんて、そんなものだ。

どうしたら忘れないのかとか、どうしたらそのイベントを楽しめるかとか、イベントの日の後になって毎度悩んできたけど、まったく大した問題ではなかった。

忘れるべくして、忘れている。

クリぼっちという言葉が古いのか、まだ使われているのか、もう違う言葉が似た状況を表す言葉として存在しているのか知らない。

クリぼっちという言葉を、寂しい人とか、自虐として使う人がいる(そもそも、そういう言葉かもしれない)。でもイベントで、自分が対象者ではないことに、そこまで劣等感を感じたり、逆に優越感を持ったりするのは、なんだか変だ。

私は、クリスマスをすっかり忘れて、なんで鶏もも肉がこんなに高いのか!と怒って買い物をするくらい鈍感だった。お正月の筑前煮にはまだ早いでしょ! とか。クリぼっちあるある? 

今年のバレンタインデーの日も、チョコじゃなくて、みかんと金柑を食べていた。というか金柑の甘露煮を作ってほくほくしていた。

イベントなんて、そんなもの。

イベント対象者でなくて悲しいくらいなら、思い出さないくらい楽しいことを、自分で作れば良いのではと思う。金柑の甘露煮をつくるとか。

幸い、カタカナ系イベントは祝日でないことが多いし、忘れる方法はいくらでもある。毎日買い物に行かない、毎日テレビを見ないという手もある。接点を減らせば、忘れることなんてわりと簡単。

誰かに決められた祝い事を楽しむのではなく、自分で楽しみを作っていく日々はどうでしょう。自分でイベントを作ってもよき。

作られたイベントなんて、忘れていいのだ。

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