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死者は消えるか

「プロフェッショナル仕事の流儀」の宮崎駿監督の回を見た。

残念なことに「君たちはどう生きるか」を私は見ていないのだけど、その映画作成現場の舞台裏を追ったドキュメンタリー。

この作品の作成中に、スタジオジブリの高畑勲プロデューサーが亡くなったそうだ。「パクさん」と呼ばれている。

宮崎監督には、大きすぎる人。ある日突然消えてしまったら、途方もない人。そんな存在だったらしい。

パクさんが亡くなって、葛藤と喪失と苛立ちの中で、創作を続ける宮崎監督。

見ていて、苦しくなった。

死者は消えないのだ。

姿かたちが見えなくなって、声も聞こえなくなって、だからこそ余計に輪郭がはっきりする。

誰かの死を「乗り越える」という言い方をする人がよくいる。

私は人が誰かの死を「乗り越える」なんて、できないと思う。

誰かの死は、「乗り越える」のではなく、「忘れる」しか、その痛みも悲しみも辛さも曖昧にできない。

日々の暮らしに、日々の忙しさに、日々の雑多なものに、紛れさせて、いつかその辛さを「忘れる」。

私は、祖父母や、愛犬の死を振り返ってそう思う。そうでなくては、狂ってしまう。

亡くしたという、強烈な苦しみ悲しみは、忘れなければ、生きていけない。

亡くした当初は、そんなだったら、狂った方がましだとか、忘れる日が来るなんて、許せないと思った。死者への冒涜だ、裏切りだとも思った。

私だけは、この悲しみも苦しみもずっとずっと忘れないで、ずっとずっと悲しみ苦しむんだと思った。

文通相手と一度縁が切れた時も、そう思った。

自分が崩壊すると思った。

見捨てられた、一人取り残された、どうして私を一人にするのか、と思った。

どんなに人に慰められても、あなたは悪くないと言われても、後悔と悲しみと寂しさで、自分を責めた。

文通相手は死んだわけではなかったけど、いなくなった。縁が切れたら、どこの誰とも分からない、知らない人になってしまった。

遠く離れて住み、会ったこともなく、声を一度電話越しに聞いただけ。ずっと手紙のやり取りだけだったから。

私は学校でずっと孤立し、病気になり、入院したり、休学したり、復学したり、卒業したり。人生迷子をする中で、文通相手の手紙は、私にとって生きるよすがで、生きる目的で、生きている証だった。

だから、宮崎監督がパクさんを失ったショックが分かるとは、決して思わないけど、「パクさん」「パクさん」と言いながら、部屋をうろうろする宮崎監督を画面越しに見ていて、苦しくなった。

どこかで、監督の姿とかつての自分を重ねて見ていたのかもしれない。

もう手紙なんか来ないと分かっているのに、毎日毎日、ポストを見に行き、年賀状だけはと期待し、来ないと分かって、文通相手の名前を呼んで、部屋中を歩き回る。

疲れると、わんわん泣いた。迷子になったような、生きるための道しるべを失ったかのような気持ちだった。

失う、死なれる、残される。

私の文通相手ロスは約10年続いた。その中で、私は文通相手を思い出さなくていいような時間もあったし、思い出してロスに浸っている場合ではない時間もあった。

でも、宮崎監督は、パクさんを亡くした次の日にも、パクさんとの繋がりを思い出すしかない作業(アニメ映画作り)を続けなくてはならない。

死者を忘れようにも、忘れられない。

死者の影を消そうにも、消せない。

なんていう地獄なんだろう。

今回の「プロフェッショナル仕事の流儀」には、かつて宮崎監督が手がけた映画作品のシーンがあちこちに挿入されている。なんでこんなふうに編集できてしまうんだろう、と思うくらいぴったりと、現実に入り交じっている。

途中で、番組のナレーター(?)が宮崎監督が死んでしまうような気がすると、セリフで言う。

私もそう思った。

このまま、パクさんの影を追い、パクさんの姿をずっとずっと意識しながら生きていたら、死の世界へ連れていかれてしまう、と思った。

過酷な映画作りの中で、パクさんを思い出させるものなしで、作れるものはなく、宮崎監督は結論として、「君たちはどう生きるか」の大伯父というキャラクターをパクさんに見立てる。そして、そのキャラクターの行く末が、宮崎監督が今できること、だったようだ。

私はこのドキュメンタリーを見て、宮崎監督は、全てを造り、壊し、再生させる力持っているから、生きているのだと思った。

パクさんより長生きしているのは、残酷な神様からのそんなメッセージなんじゃないかとも。

ただ、「お前はまだ地べたを這ってりゃいいんだよ」と突き放されたんじゃないと思う。

私よりずっと長く生きていらっしゃる宮崎監督の心のことは分かりようもないし、個人的には知り合いでもない。ただテレビ越しに、宮崎監督の苦悩や創作現場を、垣間見た一視聴者に過ぎない。

恐らく、宮崎監督が映画作りをする限り、生き続ける限り、宮崎監督の中のパクさんの影は消えないだろうなと思う。忘れる暇をくれないのだから。

死者はしぶとく、そもそも消えない。

もし、「君たちはどう生きるか」がテレビで放送されることがあったら、怖いけど、是非見たいと思う。

宮崎監督は80歳を超えるお歳のはずだ。

これからの人生をどうされるのか分からないし、映画「君たちはどう生きるか」を実際に見ていない私には、もっと予想もつかないけど、パクさんを優しく思い出される日がくるといいな、と儚い願いを持った。

【今日の英作文】
同僚のことが心配で仕方がありません。
I can't stop worrying about my coworker after my leaving.

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