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1人でいたこと

高校生の時のことは、あんまり記憶にない。

たぶん、人と交わることを避け続けて、1人の時間が長かったせいもあると思う。

人は1人では生きていけない、というのは、真実でもあり、嘘でもあると思う。

1人で誰とも会話しないままいると、世界は小さく、狭く、広がりがない。

それを孤独と呼び、寂しいと感じるかどうかは、人それぞれだろう。

私の場合は中途半端だった。すっぱりと「1人って楽でいい!」と思っていたわけではないし、「1人でいて心細くてやだ」と思っていたわけでもない。

なんだかぼんやりして、毎日が幽霊みたいだった。実感がない日々。記憶にも残らない日々。

ここに、人は1人では生きていけないということの意味があるのかなと思う。

毎日が消えていくという言い方は正しいのかわからないけど、誰かと繋がりを持つことで、日々になにか印ができる。でも1人だと、周りがどんなに騒がしくても関係がないから、日々や世界が揺らぐことはなく、印もなく、漫然と過ぎていってしまう。生きている感覚がなくなる、のだと思う。

私は人が意味を持って、毎日を生きるべきだとは思わない。そんなのは、窮屈過ぎると思うから。でも、日々に印のない感じ、何も感じない、ずっと記憶のない日々というのは、生きているということになるのかと思ったとき、生きていけていないということではないかとも思う。

人は確かに1人だろうと2人だろうと、関係なく心臓は動くし、歩けるし、生きていける。でも「生きる」という、感じたり、日々を記憶にとどめたりするような生き方を求めると、生きてはいけないんだろうな。

仙人のように他の人と関係を断ち、霞を食べて生きていくような人生が、高校生の時の憧れだった。

人と関わることが、苦痛でしかたなかった。

今、夏休みが終わる時期を迎えている。現在のご時世で、夏休みが延長されてることもあると思うけど。

夏休みが永遠に終わらなきゃいいのにと思う気持ち、学校に行きたくない気持ち、家で静かに暮らしたいだけの気持ち。よく分かる。その気持ちを否定することは、誰にもできないし、やめなさいって言われて、学校行きます!っていえるものでもないことも知っている。

ただ、自分を大切に、自分の記憶を大切に、ぼうっと生きる時間も必要だけど、そこに飲み込まれてしまわないように、過ごして欲しいと思う。でも、1人でいる、いた時間は、決して無駄ではなかったと、私は思っている。たとえ、記憶がないという時間が生まれたとしても。


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