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私のnoteの書き方

自己紹介記事を固定記事として、一番初めに置いておく、というのがnoteのオススメで、皆さんがよくやっているのを知っている。

私はやっていない。

プロフィール欄も、全然こだわっていないので、始めた時のままだ。

誰かの役に立つとか、誰かの喜びに繋がるとか、「自分以外の誰か」を想定して、テーマを決めた記事すら書いてない。

そんな私のスタンスは、すぐ見通されてしまうだろうと思うので、隠してもいない。

私には、いつか文筆家になりたいという夢がある。でも、私の中では今の状態、気持ち、書き方じゃ、永遠に無理だろうなとも思っている。

「自分以外の誰か」に向けた何かを書くということは、「誰かの心に届け!」と少なくとも思わなくてはならない。

それが、私には重くて、難しい。

そうなると、何を書いたらいいのか、さっぱり分からない。

誰かのために生きるとか、誰かのために何かをするということが、実は怖い。押し付けがましい感じがして。

それから、自分は何も持たない空っぽの存在だと、大きく認めてしまうようで。そもそも、何かを持っていると自負できるようなものはなく、空っぽなんだけど。それが誰かのためと言って書いたもので、発覚するのが怖い。要するに、臆病だ。

そんな私がnoteを続けているのは、純粋に(悪文だろうと)書くということが好きだから。

そんな私の文章を読んでくださって、スキをおしてくださる方が、毎日いるというのは、本当に奇跡のようだと思って毎日スマホを通して、皆さんを拝んでいる。

自己紹介の記事をあえて書かず、トップにも持ってこないのは、私には紹介するようなことがないから。誰かのため、何かのためという目標すら、今はない。だから、役に立ちそうな自己紹介なんて、書きようがない。

もっと目標や目的を定めて、あらゆる記事を書かないといけないのかもしれない。

荷が重いなぁ。。。

と言って、書いてなくて、やってなくて、やる気もない。

noteの心地良さにあぐらをかいて、好きなように書いて、書き散らす。

たとえ何者かになれなくても、私は私でいいやと、最近は思う。

スキの数もビュー数も全然関心がなくて、ダッシュボードを時々見て、この記事をこんなに見ていただいて!とびっくりしたり。ふむ、あの時頑張って書いた記事は、どこかに消えたな。と思ったりしている。

「〜しなければならない」とすることは、大抵つまらなくなって、義務化する。一番望まないパターン。

楽しくnoteを続けたいので、たぶんこれからも自己紹介記事もないし、プロフィール欄もあんまり変わらないんだろうな。と思う。

お楽しみ感が少ない人で申し訳ありませんと思う。

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