「やめれ」というアドバイスに従わない話
少し前に朝のルーティンを見直したという話を書いた。
朝4時起きはやめ。
朝の筋トレ・ヨガもやめ。
朝の新聞全部読みやめ。
朝の英会話やめ。
……などなど。
そもそも、朝のルーティンが多すぎ、仕事に行く前の朝段階からへとへとになるのは、本末転倒だからという話だ。
当然の理屈なのでよくわかるのだが、それは私じゃない外の人から見た、私の生活の仕方だ。
私が4時起きにこだわりたい理由。
筋トレやヨガをやりたい理由。
新聞を読みたい理由。
英会話をやりたい理由。
私なりの理由を全部、知ったことではない人が「やめれ」と判断したことだ。
朝からルーティンにおわれて、ふうふうしてるのは、変だ。だけど、何をやめて何を続けるかは、やっぱり私が決めないと納得がいかない。
かなり強い口調で「やめれ」と言われたけど、
朝は4:20に起きてるし、朝から猛烈に暑いのでトーンダウンしてはいるものの、ストレッチはしているし、新聞も読むし、英会話に至っては、前となんにも変わらない方法でやっている。
知らない人には、私は優柔不断で、自分のことなのに、自分のことが客観視できず、わかってないと、よく言われる。
でも、私は(親も認める)超頑固だ。やると決めたらやるし、やりたくないならやらない。従わない。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。
最近になって、好き嫌いについては多少軟化した部分もあるけど、嫌だと思ったら嫌だし、やらない。自分がいいと思わなければ、どれだけいいと言われて、仮に試してみることはあっても、従わない。
好き嫌いには、我慢するということがセットで着いてくることが多い。どんな人やものでも、いい所があれば、どうなのかと思うところもある。我慢できる・できないで判断してはいけない場面もあるし、我慢という言葉がそぐわない場面もある。支援員さんが、自分の考えとまるで逆を行くからと言って、その支援員さんが全く信用できないかというと、そうでもない、というような。
「宙ぶらりん」をどれだけ許容できるかが、たぶん社会で生きるためのスキルの高さなんだろうと思う。
さて、今回の朝のルーティン問題に関しては、私の生活のことで、私が解決すべき問題のはずだ。
支援員さんの意見を聞いたり、とり入れたり、実行するかどうかは、私が決めること。
たぶん、朝の起きる時間も、ストレッチも、新聞も、英会話も、「なんにも変わってないじゃん!」、「私があなたの相談に真摯に向き合った結果がこれ?!」と思われるだろうなと想像にかたくない。
朝のルーティンで疲れ果てなければ問題なく、仕事に不都合がなければさらに問題がない。
それを自分で探そうと思う。だったら最初からそうすればいいのに、と自分でも思うけど、私は一度決めたことを覆すのが苦手なので、そのとっかかりが欲しかったりする。まあ、その字のとおり、わがままだ。
自分が生きたいように生きる。自分の生活を自分で決める。
たぶん、今度の面談でとても気まずい思いをするんだろうなと思うけど(何しろ、素直な人なので!)、やっていることはすっぱり話すつもりだ。
のんびりした朝をおくるために、4:20には起きたいし、立ちっぱなしの仕事でぼんぼんに浮腫む足対策はしたいし、新聞は読みたいし、英会話は日々の安定した心の栄養。
自分はどうありたいか、考える良いきっかけをもらったと思う。
叱られても、怖くないもん!
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