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壮絶な体験へのリアクション

壮絶な体験をした人のnoteを見かける時がある。

noteじゃなくてもいいんだけど、そういう手記というか、経験談を読んだ時、私は何を思ったらいいのかと悩むことが多い。

「大変な思いをされたんですね」とか「分かります」とか「その経験を、私はちゃんと想像もできないけど」とか。。。

同情や中途半端な理解が、なんのため、誰のためになるのかと考えてしまう。

その文章たちに込められた思いというのは、たぶん生半可なものではないだろうし、文章にできるのは、ものすごく限られた情報だけで、書かれたものが経験の全てだとは思えないし。

だからといって、「言葉にできません」とわざわざ断って感想を誤魔化すのは、卑怯だし、勇気を持って書いた人に失礼だと思う。

本当に大変だなと、思えば思うほど、何もコメントが浮かばないような自分の非力さや、心の貧弱さ、語彙力のなさにがっかりするし、申し訳なく思う。

世の中には色々な人がいて、体験記を読んで「私の方が大変だった」とか「そんなの大変なうちに入らない」とか「(書かれたものだけで判断して)まあ、そういうこともあるよ」とかをコメントとして残す人もいる。

不幸の比べっこは意味がないし、書かれたものからしか、分かりようがないとしても、その書かれたものがどんな思いを含むかを考えると、軽々しく「そういうこともある」とは、私は書けないし、書きたくない。

気持ちや体験の全てを語り尽くすことは不可能で、同時進行でカメラを回し、状況と書いた人の表情の一部始終を捉えていたとしても、書いた人の内面は分かりようもないし、カメラが回っているその場面だけが、その書いた人の人生そのものではない。カメラが回っていない時間の方が絶対に長い。

事実はひとつでも、真実は人の数だけある。

と、この間までやっていたドラマで言っていたけども、そしたら書かれた言葉や文章に対して、私は何を思えばいいのか。

また同じ問題に戻ってきてしまう。

noteでは、スキを押すだけにしているけど、それは自分でも納得のいったリアクションではないと思っている。

人はそれぞれ何かしら悩みや問題があって、完璧に丸く幸せに生きてるわけではないから、誰かのコメントで救われたり、傷ついたりする。理解や同情が嬉しい時もあるし、悲しい時もある。

いいコメントができたらと思うけど、それは身の程知らずだ。

私なりの考えをコメントできるようになりたいと、非力ながら思う。

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