「どうする家康」と歴史人物のイメージ
ごめんなさいから、はじめる。
「どうする家康」、3回くらいしか見てない。
ずみ、ごめんね!(なぜだか、私はずっと松本潤さんを「まつずみ」と呼んでいる。理由は何かあったと思うのに、思い出せない)。
母はもれなく嵐のファンだったので、「どうする家康」もしっかり追いかけているようだ。
築山殿(有村架純さんの役)が、歴史的イメージ(母が勝手に持っているイメージ)と違いすぎるとか、ずみの家康がしょぼくて不安で、弱すぎるとか、文句たれたれなのに、嬉しそうに話している。楽しいことは良きことなりと思って、不平の類は聞き流す。
母によれば、歴史上の人物イメージをぶち壊すドラマ、「どうする家康」、なんだとか。
歴史上の人物を描いていくのは、ドラマでも小説でも、フィクションというものになった時点で、正解も不正解もないと思う。大まかな史実はもちろん大事だけど。
ただ、長い長い時間のうちに、たくさんの人の思い込みとか、人気のあるエピソードや、後世の人が書いたもの、作ったものの影響によって作り込まれたイメージというものがあって、その方が「それらしい」感じがしたりするのだと思う。
「おんな城主直虎」の時の築山殿は、菜々緒さんだった。
母に言わせると、築山殿と言ったら、菜々緒さんのようなイメージが強いようで、どこかほっこりするイメージのある有村架純さんは、迫力不足なんだとか。
家康のイメージだって、腹黒古狸なイメージが強いけど、神様扱いの東照大権現から、へっぽこな弱小地域の小主まで、考えてみれば、人生紆余曲折あって、どこを切り取るかで色々な描き方ができるはず。
ドラマを見ていない私が書いてもなんの説得力もないのだけど、フィクションを楽しむというのは、思い描いていたものや、自分の中のイメージをリニューアルするチャンスなんではないかと思う。
それは、歴史小説とか、大河ドラマに限らずの話。物語を楽しむというのは、意外性を楽しむことも含まれている。
思わぬところでの、どんでん返し。思わぬキャラクターの登場や発言。。。
予想通りの、型通りの物語なんて、正直飽きちゃう。
新しい、その作り手自身のオリジナリティがあるから、物語はいきいきするし、続きが読みたい、見たい、どんなふうなんだろうと興味がかき立てられる。
「どうする家康」は、意外性の道を突っ走っているようだけど、それはそれで価値のあることだと思う。
妥協することなく、歴史ある大河ドラマを異次元へ連れて行ってほしい。
見てない私が書いてもな、とは、思うけど。
有村架純さんといえば、映画「るろうに剣心」の巴さんから、朝ドラの「ひよっこ」まで、随分役に幅がある素敵な俳優さん。私が見た中での「どうする家康」の築山殿も、こんなお茶目な築山殿もいいなあと思っていた。
母の迫力不足という感想は、その通りかもしれないけど、それはこのドラマではあえて描くことのない部分なんではと思うのみだ。
ドラマを楽しむというのは、自分の思い込みと比較して、違う違うと首を傾げることではないと思う。
もっと素直に「新しい!」と喜んで見ればいいのにね、と思う。大好きなずみの出ているドラマなんだし。
【今日の英作文】
「私はずっと見たことのない違う世界を見たいと思ってきました。そのひとつがきっと、現代アートなのだろうと思います。GW中に現代アートの展示会に行けたら最高だな。」
"I've always wanted to see different worlds that I've never known. One of them might be contemporary art. It would be wonderful if I can go to a contemporary art exhibition during GW.''
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