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国数社理英、役に立ったか考える。

「勉強しなさい」
と、10代の頃親に言われた記憶がない。母は自分が親からガミガミ言われて嫌だったから、自分の子には言わないと決めていたらしく、ほとんど勉強に関する小言をいわなかった。父はオールマイティな成績を取るよりも、自分の得意分野を伸ばすことを大事と考えるタイプだったので美大に受かったときにこそ一番喜んでくれた。
そのように放任な親のもとで、しかし長女的真面目さでもって自分のメンツが保てると私自身が考える成績をキープするくらいの努力はしていたと思う。けれど、はっきり言って勉強は特別好きではなかった。

「こんな勉強、社会に出てほんとに役に立つの?」

という疑問を小~中の9年、または高までの12年間で一度も考えたことがない人ってこの世に何割いるのだろう?もちろん私も幾度となく考えた。そしてたいていが「恐らく、役に立つまい」という冷めた結論だった。
しかし今、15年以上の社会人生活を経験した私のおおいなる実感を、過去の私にアンサーしよう。

「あのね、今やってる意味のない気がする勉強、ぜんぶとは言わないけど、結構役に立つよ人生に」。

まず「国語」。漢字というのはおとなになっても間違えて時々恥ずかしい思いをする。言葉の認識違いもおそらく過去たくさんしでかしているが、どこかで「皆そうじゃん?」と割り切らなければ、こんな、全世界に向けて公開する文章などとても毎週綴れやしない。

「数学」は未だに夢で登場するほど私のナンバーワン・苦手教科だ。悪夢の中の時間割はたいてい「英、数、理、体(しかもプール※水泳が嫌なのではなく水着になるのが嫌だった)」。成績表で「2」を取ってしまうのも常に数学だった。はっきり言って難しい公式も分数の掛け算割り算も日常生活には必要ないのであの理解不能な時間は少なくとも別に無くて良かったと私個人は思う。
だが「数字」は、おとな社会でトップクラスの最重要科目だ。

一日を思い浮かべてみる。朝起きたタイミングと乗るべき電車の時刻を逆算しながら支度をし、会社では営業成績、売り上げ計算、規定の残業時間と仕事量の調整、会議でウケる数値と言うと面倒くさい数値の判断、帰りのスーパーでは「広告の品!」の文字に踊らされぬよう「1パックこの値段って、100グラムあたりで考えると本当に安いか?」の計算。ドレッシングAとBの成分表示の糖質、脂質、塩分量の比較。
株だの、円安だの、金利だの、年金だの、体重だの、血圧だの…。
おとなたちは常に数字に囲まれ、見張られながら生きている。サインコサインタンジェントは使わずともそろばんで培った暗算は日々の中で非常に役立っているし、数字を見ずに社会生活など送れないのが現実である。
そう、「社会」だ。



誰が作ったのか知らぬが「社会」というのはすごい教科だと思う。基本科目のなかで唯一、「社会は、それなりに今後必要になるだろう」と認めていた気がする。実際、テレビで流れる政治や経済のニュースで登場する単語、たとえば「GDPってなんだっけ…でも絶対学校で習った…」とか、つぶやいている自分がいる。
国と国との関係を「今」だけ見ればなぜ?と思うことでも、歴史を知れば複雑に絡み合う現状が多少は理解できる。親と自分という一代しか違わぬ年齢でも、多感な頃に過ごした社会が違うだけで物事への見方はだいぶ変わってくる。そうだ。おとなになって気づいたが、人間は、性格や家庭環境による違いも大きいが、確実に「どんな時代のどんな社会で生きてきたか」である程度の形成が左右されてしまう。

では「理科」はどうか?
日々お世話になっている薬や、化粧品などを生み出してくれている研究者さんがいて、大変ありがたいのは本当なのだが自分と直接関係のある学びがあったかというとわからない。その昔、会社の入社試験の問題に「食塩水」の問題が出たときは「え!ここに来て食塩水!?」とふきだしそうになったくらい遠い存在である(ん?あれは理科じゃなくて数学か?)。
そんな理科おんちな私だが、最近、ものすごく理科的な用語を耳にした。

いとこがウチに遊びに来てくれたときである。庭で伸び放題だったサクランボとジューンベリーとイチジク(食べられる実の樹ばかり植えていた父母…。)の樹を、造園業に勤めるいとこが剪定してくれた。自分用と知人に僅かばかり配る程度の実を今年もなしてくれたサクランボとジューンベリーの枝を、想像以上にバッサバッサ切りまくるいとこに圧倒されていると、「思ったより切るな、って思ってる?」と半笑いでいとこが言った。
「枝が増えて葉が重なっているところはね、病気しちゃったり弱るから。陰になって光を浴びられないと、光合成できないからね」

光合成……!なんと理科的な懐かしい響きだ…!!!

例えて言えば腰までのロングヘアをベリーショートにしたくらいすっきりしたウチの樹たちは、たしかに明るくなった庭でたくさんの光を浴びて気持ちよさそうにみえた。
イッツ・ナイス。
最後の「英語」。

英語教育はおそらく自分の頃に比べて一番変化しているのだろうな。小学校から今、習うのだっけ。私の頃は中学からだった。
数学の次に苦手で、自覚があったので塾にも通っていた。そこは友だちの紹介してくれた個人塾で、50代くらいの女性が狭いアパートの一室を使って教えており、オレンジ色の蛍光灯が照らすダイニングテーブルを囲み、先生と、テキストを真面目に解く友人と、その隣で常に薄目で頭を揺らし居眠りしていた私……。英語の勉強を思い出すとき、いつも少し胸が痛むのはそのせいだ。そえゆえに、未だに英語を学ぶことからは距離を置いている。海外旅行も何度かしたけれど別に英語がわからなくてもたいして困りはしなかった。言語より、人間的コミュニケーション能力のほうを私は信じている。…が、空港などの事務手続き的な問題においては、今後のAI進化に全力で期待したい。


今、振り返ってみたけれどもちろん個人の見解です。感じることは人ぞれぞれだと思うけれど、勉強は目先の受験や学歴の為にあるわけじゃなく、親の庇護から卒業して以降自分が社会で生きていくために必要なことだったんだなあと折に触れて思うのは、悪い気はしない。
けれど決して優秀ではありませんでしたので、誤字や言葉違いはどうか大目にみてください……。


表題イラスト©宇佐江みつこ




今週もお読みいただきありがとうございました。あなたの、好きな教科はなんでしたか?

◆次回予告◆
『美大時代の日記帳』㉔

それではまた、次の月曜に。


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