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『パリには猫がいない』第4話

第4話「パリの大晦日


ルーヴル美術館に行く朝は、まさかの寝坊から始まった。

前日、フライト明けの状態で観光を丸一日満喫した結果、ワインを呑んで見事に酔いつぶれた。世界一混むとも言われるルーヴル美術館である。予定では、開館する30分前には入り口の列に並んでいるはずだった。

ところが、開館時間の9時を少し過ぎたころに駆け込んだパッサージュ・リシュリュー(ミュージアム・パスや事前チケットを持っている人のみが通れる入場口)はガラ空きだった。すぐに入場して、簡単なセキュリティチェックを通る。拍子抜けするほどあっさりと、天下のルーヴル美術館に足を踏み入れることができた。
ロッカーにコートを預け、まずは作戦通り《モナ・リザ》へ向かう。

事前に目的地までの順路は調べておいたが、その必要もないほど、《モナ・リザ》への道はわかりやすかった。随所に、あの微笑みをたたえた女性の図と「私はあっちよ」という矢印表示が出ている。ルーヴルに来て、彼女に会わずに帰ろうとする人はほぼいないだろうから、親切だなあと思った。
だがしかし、《モナ・リザ》は近づいてからが遠かった。

ここに辿り着くまでの道中、むき出しの大作があまりにも無防備に展示されているさまに目を丸くしたが、一方の《モナ・リザ》は、正面からでは反射して画面が見えないほど分厚い防弾ガラスに守られていた。さらに、作品と鑑賞者との間は半円のレールに囲われ、数メートル以内には近づけないようになっている。両サイドには監視員がふたり。ただし、割とラフな格好をした女性の監視員だった。

朝一番ということもあり、鑑賞者はまださほど多くない。少し順番を待てば作品の最前列まで行くことができた。けれど正直なところ、反射で作品も見づらいし、離れて観るにはかなり小さい作品でもあるため、「モナ・リザを観ている!!」という感動がうまく味わえなかった。
周囲では国籍、人種を問わず、みんな撮影に夢中になっている。最前列まで辿り着いた途端クルッと作品にお尻を向けて、カメラににっこり。
《モナ・リザ》はもはや作品の枠を超えて独立した観光地と化していた。

さて、最重要「《モナ・リザ》アタック」(←開館直後の混まないうちに一直線でモナ・リザへ行こう!という我々の作戦名)を無事果たし、ここからようやくルーヴル美術館をゆっくり堪能する時間である。

展示数約3万5000点。日本でよく見るような横一列で等間隔の展示とは180度違う、巨大な壁を覆いつくすかのようにびっしりと敷き詰められた名品の数々。一点一点を眺めていたらとても時間が足りないので、気になったものだけに足を止めていく。ちなみに同行するRとは、ひと部屋ごとにそれぞれが自由に見て回り、はぐれないよう、次の部屋へ進むときは相手に声をかけて一緒に移動する…というやり方を、昨日のグラン・パレから実行中である。

私はあらためて、ダ・ヴィンチの他の作品からゆっくりと眺めた。
《聖アンナと聖母子》と《岩窟の聖母》。

《モナ・リザ》と同じ作者にも関わらず、これらの作品前がふしぎな程空いていた。仮に、この中のどれかが日本に来ようものなら、たった一枚の為に何万人もの人が美術館に列を成すだろう。その作品と、自分が今、一対一で向き合っているのがなんとも妙だった。
ダ・ヴィンチ作品の実物は、どれも影の色がかなり暗い印象だった。
ルーヴルの照明の具合だろうか。それとも、普段見慣れた印刷物やテレビ画面では、調整であえて影部分の描写がよく見えるようになっていたのかもしれない。

ドラクロワの《民衆を導く自由の女神》は多くの鑑賞者で賑わっていた。
フランスを象徴する革命が描かれた有名な絵であり、奇しくも今ふたたび、パリ市民はデモという形で主張の旗を掲げている。タイムリーな環境が絵のもつ迫力をさらに高めているように感じた。
きっとパリの人たちにとって、芸術的価値とはまた別の意味で、この絵はすごく特別な一枚なのだろうと思う。
個人的には、同じドラクロワの《サルダナパールの死》の荒々しい筆跡を至近距離でまじまじと観られたことにも感動した。

ジェリコーの《メデューズ号の筏》も同じ壁にあった。静的な新古典主義に代わって、激しい動感を表現したロマン主義の幕開けとされている重要な作品である。そしてもう一人のロマン主義を象徴する画家が先ほどのドラクロワ。そのふたりの代表作が並んで展示されている。まるで西洋美術史の教科書の中を歩いているみたいだ。

(と、ここでふと、自分の導線が時代(順路)と逆行していることにようやく気づくが、構わずそのまま先へ進むことにする。)

新古典主義最後の巨匠・アングルの《オダリスク》は想像より、かなりコンパクトだった。なんとも言えない肌感と、しっとりとした描写が筆の存在を忘れさせる。美術史上では少々悪役感のあるダヴィッドも、「どうだ」と言わんばかりの自信に満ちた完璧な仕事が細部まで行き届き、画面に緊張感がみなぎっている。
私はもともと古典絵画が好きなので、中世から長く続いたこの独特の緊張感や、芝居がかった様式美も大好きだ。これらの要素が、この時代を境に表舞台から遠ざかってしまったのは、少し残念に思う。

ロマン主義から印象主義、そして現代へとどんどん美術の表現は広がっていった。しかしそのことばかりが、イコール発展ではないと思う。ロマン主義がより優れており、後退した新古典主義は劣っていたということでは決してない。
奇跡的な名作たちとの出会いの連続に、中学からずっと学んできた美術への思いがあふれ、私の脳内では、熱い芸術論がぐつぐつと煮えていた。

フロアを1階から2階へ移動。(ちなみにフランスでは、地上階を0階といい、日本でいう2階は1階という表記になる。)先ほどのフロアとは、全く違う雰囲気だった。
しかし、なんだかおかしい。
いくらマップ通りに進んでも、目的の作品に出会えない。そばにいたイケメンの係員さんに助けを求めてみると、どうやらこの日は2階の一部が閉鎖しているらしいことがわかった。観たかったジョルジュ・ド・ラ・トゥールも、閉鎖されている展示室にあるらしい。

どのみち、ルーヴルには5日目にもう一度来る予定を立てていたので、次回の楽しみが増えたと思おう。
(また来るね~)
と、閉まる扉に心の中で挨拶し、地下へ降りた。

大勢の鑑賞者に囲まれてとても近づけなかった《ミロのヴィーナス》を遠くから眺め、美大の受験でも描いた《マルス》の石膏像を見つけてRと大興奮し、あとは延々と続く装飾美術の部屋をざざざーっと流した。
ルーヴル初日、ひとまず終了。

外に出て、有名なルーヴルのピラミッドと一緒に写真を撮ったりしたあと、近くのレストランでランチを食べた。
バルサミコ酢の前菜と、チーズのペンネがすごくおいしかったが、お会計の時に金額ジャストで払ったらウエイターのお兄さんが「ん?」と一瞬止まったのでちょっと焦った。

(え?なんか間違ってる??)

しかしすぐに、お兄さんは笑顔に戻り会計を済ませてくれた。
店を出たあと、Rに先ほどのことをきいてみた。
「ちょうどで払ったから、あれ?僕にチップないの?って思ったんじゃないかな?」
あ、そういうことか。

フランスではチップ文化はあるが、特別良くしてもらったと思った時以外は(すでに外食ではサービス料が込みになっているので)チップは毎回払わなくてもよい、とガイドブックに書いてあった。悪いことしたかな?でも、料理が出てくるのがすごーく遅くて、だいぶ待たされたし…まあいいか。

午後は歩いてルーヴルのすぐ近くにある、オランジュリー美術館に行った。モネの《睡蓮》で有名なオランジュリーは、日本人にも大人気らしく、館内パンフレットも「フランス語」「英語」に次いで「日本語」の3種が並んでいた。
確かにここなら、美術が特別好きではない人でも「きれいだな」と楽しむことができそうだ。それにルーヴルやオルセーほど広すぎず、ツアーで来るにはちょうどいい。

美術館を出たあと、セーヌ川沿いを歩いた。
閉店間際の画材屋をのぞいてみる。何かを買うつもりはなかったが、パリの画材屋というだけでテンションが上がる。試し書きの紙を見つけて、『ミュージアムの女』の猫を記念にこっそり描き残した。
あたりはすでに暗くなっており、総菜屋で昨日のように夕食と朝食を買ってホテル・マロニエに戻った。

「ボンソワール」

と、受付の人に声をかける。ボンジュール、とつい何時でも言いそうになるのを、2日目で夕方からはボンソワールに切り替えられるようになった。
自分たちの部屋の鍵を出してもらおうと、続けて
「トゥウェンティーフォー(24号室)」
と申告するも、中々伝わらなかった。ようやく意味が通じると、鍵を渡してくれながらお姉さんが「ヴァン・カーター」と言った。

うん?今、何を言われたのだろう。

「ヴァン・カーター」。鍵に印字された部屋番号を指さしながら、お姉さんが繰り返す。あっ!とようやく気付いた。フランス語で「24」を教えてくれていたのだった。



この日は12月31日。Rが事前に用意してくれた「2019」ド派手パーティー眼鏡をして、ふたりでワイン片手に一足早く記念撮影。
「カウントダウンになったら起こして」
と、Rが仮眠をとっている隣で私はベッドに腰かけひとりでテレビを観た。やっていたのは歌番組で、言葉も全然わからないけど、なぜだかそれが「フランス版・紅白歌合戦」みたいに思えて面白かった。

残った白ワインで甘いチーズケーキをつつく。
大晦日なので大騒ぎや暴動が起きるかも、と少し思ったが、そんな気配はぜんぜんない。
窓の外のパリは、とても静かだった。

(つづく)


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猫を描き残した画材屋さん。/写真by宇佐江みつこ



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