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自信の素

 ふだんは慎み深い教授もこの時ばかりは声を上げた。

「出来た! ついに完成だ!」

 注射器を手に実験を補佐していた助手も、喜色を浮かべて教授に振り向いた。

「おめでとうございます先生!」

「ああ、ありがとう」

 教授の指に挟まれた試験管の中で、無色透明の液体がキラリと光った。

「この薬は、文字どおり我々の『自信の素』になる」

 教授は潤んだ目で遠くを見つめた。

「思えば、これまで私は研究者としてずっと日陰を歩いてきた。研究資金に窮してよその大学でも非常勤の授業を掛け持ち、恐ろしく出来の悪い学生たちに中学レベルの数学を教えたりしつつも、どうにかこうにか自分の研究を進めてきた四半世紀。この不遇は、ひとえに私の自信のなさに起因している。私は生まれてこのかた、何につけても自信がなかった。そのせいで研究助成金の申請がうまく通るような立ち回りができず、きみにもずいぶん苦労をかけたな」

 目鼻立ちの整った顔をほころばせ、助手は照れくさそうに鼻を掻いた。

「いえ、先生のご辛労に比べれば僕なんて。いやまあ、僕も自信がないせいで今までずいぶん損をしてきましたね。ずっと好きだった女性に想いを打ち明けないまま別れ、何年か後に彼女の結婚式で再会したら、実はその昔、彼女も僕のことが好きだった、なんて、告白されたりしたこともあります」

 教授は深くうなずいた。

「そう、我々に足りないのは自信だ。自信に満ちた愚者は自信のない智者を凌駕する。きみに比べて容姿も頭脳もはるかに劣っている男が、きみよりずっと女にもてて年収も高い、などという例はザラにあるだろう。才能は自信を伴ってはじめて、その力を発揮するものなのだ」

 つい熱っぽく語ってしまい、気恥ずかしくなった教授は咳払いをしてつづけた。

「とにかくこの薬は、我々のように能力はあっても自信がないためにそれを発揮できていない人々にとって、天の配剤となるだろう。無論、麻薬成分は含まれていないから依存症を引き起こすこともないし、抗うつ薬がもたらすような眠気、めまい、過度の高揚感や活動性亢進(こうしん)などの副作用もない」

「あっ、でも……」

 実験用のマウスを指でいじりながら、助手が言った。

「人体でのテストはまだですよね」

 頭を撫でられたマウスは落ち着いていて、逃げようとしないばかりか助手の腕づたいに堂々と肩まで上ってきた。

「我々が使っても大丈夫でしょうか」

 教授の表情がみるみる曇った。

「うーん……マウスにはなかった副作用がある可能性も否定はできないな」

 助手の肩に乗っていたマウスが、ついに頭頂部にまで這い上がった。

「そもそもそのマウスは、はたして己の能力に対する自信に基づいた行動をとっていると言えるだろうか。単に向こう見ずで思慮が浅いだけではないのか。だとすればそれは、ただの蛮行にすぎない」

 教授は試験管をのぞき込み、ため息をついた。

「ダメだ。こんなもの、捨ててしまおう」

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