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私とリカちゃん人形。強迫性障害の症状の最大の原因(※私の場合)

今から約20年以上前に広汎性発達障害の二次障害として発症。
細かく書くと長いため簡単に説明すると、強迫によって今まで当たり前に出来ていた事ができなくなり、気にならなかった事が気になるようになり、物が捨てられなくなり、溜め込むようになった。何をしても過去の自分自身がやってきた事に本当に正しかったのか?間違っていたのではないか?という事ばかりを考えるようになり日常生活がまともに できなくなった。

強迫を発症した原因は

結婚して自分自身のルーティンが崩れた事。

・夫の不規則な仕事の時間帯に合わせた生活をしていた。
・子供の事についてやその他の事を相談しても話を聞いてくれなかった。
・毎日のように夫からモラハラを受けていた。

(※現在は離婚済)

過去のトラウマの原因となったのは

私の母親だと分かった。

「早くしなさい」「何でできないの?」という言葉を言われる事が多く、私はそういう言葉が嫌いだった。なぜ、そこまで言われるのか分からなかった。私は私なりに頑張ってやっていたからだ。

私が大切にしていた物を母は「もう年齢的に大きくなったから使わないでしょう?」と言ってきて、嫌だと言っても強制的に取り上げられ近所や親戚の子達(私より年下の子)に譲っていた。

母は子供の私の気持ちよりも、他人に対しての見栄?みたいな事を優先していたと考えてしまう。母が私に買ってくれた物はいったい誰の為に買っていたのか、最初から誰かに譲る事を考えて買っていたのか、私のために買っていなかったと思うと悲しくてしかたがない。

これが私の心に大きな傷となって残ってしまう。

私とリカちゃん人形の出会い

幼少期の頃、リカちゃんハウスとリカちゃん人形が私の枕元に置いてあった。オモチャなんて滅多に買ってもらえなかったし、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントなんてものも無かったから、このサプライズは本当に嬉しかった事を覚えている。

どういう理由でプレゼントされたものかはハッキリと覚えていないが、私の誕生日に私が風邪を引いていたのか、家族が出かける時に置いてけぼりにされた事でふてくされて、気が付けば布団で寝ていて目を覚ましたら枕元に置いてあったという記憶が強い。

それから私は、リカちゃんハウスと人形を大切に扱った。遊んだ後は きちんと片付けていた。汚れないように、壊れないように、傷つかないように…...と丁寧に遊んでいた。

私が小学生の低学年だった頃、突然母から「もう大きくなったんだから・・・」と、リカちゃんで遊んでは いけないというような事を言ってきた。私はまだ遊びたかった。オモチャは、これしかなかったからだ。しかし、母がそう言うなら私はリカちゃんで遊ぶ事をやめなければいけないと思った。

すると母が「リカちゃんは親戚の子にあげるからね」と言ってきた。私は「嫌だ」と言い反抗したが聞いてもらえず、強制的に取り上げられ、リカちゃんハウスと人形は親戚(私より年下)の子の手に渡ってしまった。

その後、新しいオモチャを与えられる事もなく遊ぶ物が無くなった私は、新しいオモチャが欲しいという事を言わなかった。外で木の枝を使って庭の砂に絵を描いてみたり、土を丸めて おままごとのような事をしてみたり、近くの川でカニを見たり虫をつかまえたりして遊んでいた。

親戚の家に行く事があった時、暗い部屋にリカちゃんハウスと人形が置かれていたのが見えた。きっと親戚の子が遊んだ後だと思うが、乱雑に放置されていた。私が大切にしていたリカちゃんハウスと人形が、こんな雑にされていた事に酷くショックを受けた。すぐにでも取り返したくなった。

しかし私は親戚の子に「返して」という事を言えなかった。私には姉がいるが、姉にその事を相談したら「だめ」だと言われた。諦めるしかなかった私は落ち込んで我慢した。

それから月日が経ち私は学校の部活動だったり、とにかく学校生活が忙しかった。その頃は音楽を聴く事にも熱中していたので、リカちゃんハウスと人形の事は考えなくなっていった。親戚の家に行く事があった時は、ふと思い出す事はあったが、以前のような気持ちには ならなかった。話が苦手な私は、とにかく早くこの場を離れたい、自分の家に帰りたいという気持ちが大きく、頭の中は「帰りたい」でいっぱいだった。

時が経つにつれ、私はリカちゃんハウスと人形の事を考える事は無くなった。

大人になって結婚して娘が生まれた私は

娘の為に人形を買う事になる時がきた私は、無意識のうちに避けていたのか、リカちゃん人形以外の着せ替え人形を選んでいた。

娘が大きくなってから聞いた話だが、リカちゃんを買っては いけない雰囲気を私は出していたらしい。

その頃リカちゃんを見た時、私は過去の事を思い出したのか、どう感じたのかは今現在は思い出せない。

それからの私は広汎性発達障害と二次障害の強迫性障害に苦しみ続けて、克服するには どうすればいいかを調べて昨年(2020年から)自分の過去を振り返り遡っていく事になった。

過去を振り返る

幼少期から思い出せる範囲で考えていくが、とてもつらく苦しかった。考えても私の強迫症状「確認(形や色が気になるなど)」や「捨てると二度と出会えない不安」といった事が、何の部分と関係しているのか分からなくモヤモヤしていた。過去を振り返れば、幼少期の家庭環境そしてリカちゃんの事を思い出し悔しくて泣いてしまうというのが続いた。しかし根本的な事は分からず、振り返る作業は何回もする事になった。そのたびに心が苦しく精神的にも体調も悪くなるばかりだった。過去を考えたくないのに考えなければならない作業は自分自身を追い込み苦しめるだけだと思い、振り返る事を私は やめるようになった。

ようやく真相に辿り着く事となる

強迫症状から意識をそらすために、集中する事(趣味)を見つけるようにと昔通院していた精神科の先生に言われたのが約20年前。そして昨年の8月頃、手帳にシールや紙を貼ったりするデコレーションを始める事になった。手帳は「ほぼ日手帳」のカズンサイズ(A5)使っているが、娘がオリジナルサイズ(A6)を使っているのを見て、サイズ的に可愛いと思い私も欲しくなってしまった。

無駄な買い物かもしれないと考え購入を迷ったが、娘と話し合い何度も考えた結果、買う事になった。私は見た物が気になって確認が止まらない強迫があるため、娘にオンラインショップを見てもらい手帳カバーやその他の必要な商品が、どれだけあるか簡単な言葉で教えてもらった。私は汚れが気になるため暗い色を選んでしまうが、娘は、そんな私に明るい色を買ってみるのはどうかと提案してきた。

そして「いちごミルク」というカバーの商品説明をしてもらった時に、

” しばらくかわいいものから離れていた人も、
ことしは思い切り、かわいいカバーを選びませんか。 ”


・ほぼ日手帳 https://www.1101.com/store/techo/
・ほぼ日手帳 2021 > 手帳ラインナップ > カラーズ / いちごミルク [オリジナルサイズ(A6)] https://www.1101.com/store/techo/ja/2021/pc/detail_cover/oc20_colorsichigo/ より引用

という言葉に私はトキメキを感じた。もちろんカバー名も色合いにも、ときめいた。

そして買ったものの何に使うかは決めていなかったため、すぐに使い道を決めないとだめだと思い、どう使うか悩んだ結果、私が小さい頃にしていた事、やってみたかったけど できなかった事を、この手帳でやってみる事になった。

それは、人物のイラストを描く事。

アニメなどのキャラクターを模写して描いていた事はあったが、自分で考えたキャラクターイラストは、ほとんど描いたことがない。学生の頃は絵を描きたくても学校で使う色鉛筆や絵具しかなく、それを趣味で使うと消耗した時に新しく買わなくてはいけないため、遠慮して使う事ができなかった。今は、だいたい必要な画材は揃っている状態なので、この手帳を使って描いてみようと思った。

50代になって自分の考えた人物のイラストを描く事に挑戦するが、描いていくと何故か過去に連想していき、私が大切にしていた「リカちゃんハウスと人形」の事を久しぶりに思い出した。手帳カバーの色合いが、よく見るとリカちゃんハウスの色と似ていると思い娘に調べてもらうと、やはり色の組み合わせは合っていた。不思議な事に、いちごミルクの手帳カバーを見ていると癒され懐かしい気持ちにもなった理由が分かった気がする。それから涙が止まらなくなった。

あの頃、母によって強制的に取り上げられたリカちゃんハウスと人形。リカちゃんが私を呼んでいる気がした。幼い頃の自分の悲しかった気持ちが溢れてきて、雑に扱われていたリカちゃんを助けなければいけない、というふうに思ってからは取り返したくてたまらなくなった。

これでハッキリ分かったのは、私の強迫性障害の症状である「物が無くなる事への不安」は、大切にしていた物を母親によって強制的に奪われた事によるトラウマが原因である。

今思えば、あの頃はリカちゃんを大切にしすぎていた為あまり遊べていなかったと思う。だから母は私がリカちゃんで遊んでいないと感じたのかもしれないのは分からない事だが、そうでなくとも私が嫌だと言っているのだから取り上げるのは おかしい。今でも思い出すと悲しくて腹が立つ。

しかし原因が分かったところで、もう母は この世にいない。母が私の大切なリカちゃんをあげる事になった親戚の子にも連絡は できない。なぜかというと強迫性障害のせいで巻き込みをしてしまうようになってからは、迷惑をかけてしまうので実家や親戚や友達には私から連絡をしないように決めているから。引っ越しをしたため連絡先は教えていないし、私は実家や親戚や友達の連絡先があるものは全部捨ててしまっているから分からない。

娘に、どうすればいいか聞いてみたら

「今更・・・とは思う。自分から距離を置いて連絡しないように頑張ってきたのだから、どこかで出会う以外は連絡先が分かったとしても、しないほうが良いと思う。もし連絡すれば歯止めが利かなくなり崩れていく気がして怖い」

と言われた。

それでも私は連絡したい気持ちと取り返したい気持ちが、まだ消えない。後から思ってハッとした事がある。それは、もし取り返せたとしても、リカちゃんハウスの付属品など一式揃っていない状態だったとしたら・・・と考えたら怖くなった。たとえ壊れていたとしても、全て揃った状態で戻ってきてもらわないとだめだと思っている。そう思うのは広汎性発達障害の こだわり からきているものなのか、強迫性障害の症状によるものなのかは分からない。

原因が分かったのにモヤモヤしている。このモヤモヤを解消するには取り返すしかないという事は分かっているが、それができないから前に進めない。連絡をして確認するだけでも・・・というのは簡単な事のように思うかもしれないが、複雑な事情が絡んでいるため簡単ではない。

では、どうするか?

今発売されているリカちゃん人形を買う事にした。かなり迷って悩んだが、買った事に後悔はしていない。良かったと思っている。自分だけのリカちゃんが手に入った事によって何かが変わるかもしれない、もしかすると強迫症状も薄れていくかもしれない、そんな期待もあった。しかし強迫症状は今も強くなるばかり。

心残りな事3つ

リカちゃんハウスと人形を手放したくない事を母に、もっと強く反抗しておくべきだったと後悔している事。

取り返したい事を言えるタイミングは、いくらでもあったのに言えなかった事。子供の頃の私を助けてあげられないのが申し訳なく思い自分自身を責め続けている。

両親と姉、親戚や友達は私が広汎性発達障害がある事と強迫性障害で苦しんでいる事は一切知らない。生きづらさを感じていた事、苦しんでいた事、一人でずっと抱え込んでいた幼少期の事などを、できることなら伝えたかった。

強迫性障害は人生を狂わせる。

私が強迫性障害と離れる時は人生に終わりが来た時である。


(この文章は娘ちゃんが、うろちゃんの話を聞きながら編集作成しました)

うろちゃんと娘ちゃんをサポートで応援していただけましたら、いろいろな事にチャレンジするための費用として使わせていただきたいと思っています。