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2014年6月の記事一覧
無理でも無駄でも説明する
ゴータマ・ブッダの有名な態度に「無記(avyākata)」というのがあって、これは「世界は有限か無限か」、「霊魂と身体は同一か」といった形而上学的な質問には、彼が黙していっさい答えなかったことを指す。
この無記については、「それはゴータマ・ブッダの逃げではないか」とか、「彼はごまかしたのではないか」などと、しばしば言われることもあって、正直なところ、私もミャンマーに来て自ら実践を試みるまでは、そ
ウ・ジョーティカ師のこと
久しぶりに、ウ・ジョーティカ師にお会いする。『自由への旅』は瞑想者に大人気ですが、一般の人には『許すこと』などの短い説法も人気があって、よく読まれていますよ、と言ったら、「それはよかった。私たちが幸せに生きてゆくためには、他人を許せることが必要だし、そのためにはまず何よりも、自分自身を許せる必要がありますから」とのこと。
例えば彼の著作の『スノー・イン・ザ・サマー』などは、原英文を配布しているサ
見えてもあまり嬉しくない
ミャンマーで出家された日本人僧侶の方とお会いした。この前とは別の人。『自由への旅』を読んで非常に役に立ったので、訳者の私と話したいと思ってくださったようだ。相変わらず、『自由への旅』は瞑想の実践者たちからは圧倒的な支持を受けている。これはやはり、早く紙で出すことも考える必要があるのかもしれない。
その方は日本でも大乗の僧侶をされていて、それも普通の檀家寺ではなくて祈願寺に居たのだという。安産や合
たまたま会った「いいやつ」に
近くに中国人がやって来たのでしばらく話す。宋明理学の話をしたが、現代中国では、それらはあまり人気がないらしい。たしかに、彼は禅にはとても興味があると言っていたのに、大慧宗杲のことを知らなかった。あのへんの思想はすごく面白いから、もうちょっと調べてみるといいよ、俺も中国語をもっと勉強するから、と言って別れる。
私は昔からなぜか「中国人運」には恵まれていて、彼らに関しては色々な評判を聞くけれども、私
「現実」や「事実」が変わるということ
数日前の記事に、インド文化圏の人々にとっては輪廻転生が「事実」であるということを書いた。私たち日本人の多くが死んだら無になるという物語をなんとなく「事実」であると信じているのと同様に、インド文化圏の多くの人々が、輪廻という物語をなんとなく「事実」であると信じているという話である。
このような書き方をすると、それを読んだ日本人の方の中には、「日本人は『科学的』だから輪廻を信じず、インド文化圏の人々
海はサメやクラゲや電気ウナギがいるから怖い。足がつかない所、底が見えない所は見ただけで身がすくむ。海の生物もグロテスクなのが多いし事故は多いし津波の被害は計り知れない。だけど海っていいな。そんな感じで中国が好きだ。
http://togetter.com/li/681370
同じことでも何度も言う
私がミャンマーでどうしてもやらなければならないと思っていたことは二つあって、一つは『自由への旅』の翻訳であり、もう一つは『仏教思想のゼロポイント』の執筆であった。後者はまだ原稿ができただけなので出版できるまで安心できないが、とりあえず作業は一段落したのでほっとしている。
前者の『自由への旅』の翻訳のほうは、一年以上前に終わっているのだが、いまのところ三千以上のダウンロードがあって、無料公開ゆえの
笑いが止まらなかった想い出
無防備で隙だらけの人の後ろ姿を見て笑いが止まらなくなる事がたまにある。うなじを見て吹き出す事もあるし、何かを食べている時の斜め後ろ45度くらいの位置から顎の動きを見て顔が長くなったり短くなったりするのが可笑しくてしょうがない時もある。WATARIDORIという、ただ飛んでいる鳥を撮っただけの映画を見に行った時も笑いをこらえるのに苦労した。笑う要素など一つも無い映画なので一応まわりを見渡して確認し
もっとみるパラメータ極振りのキャラ
回線状況が回復したので、久しぶりにニコ生とツイキャスで生放送をやった。「ニー仏さんのやってることからして、ニコ生のような放送でのアウトプットが適切かどうかはわからない」とも言われたことがあるが、「ニー仏の文章は小難しすぎて読めない」という人もいるし、そういう人も放送だと話をわかってくれたりするのは、喋りのアウトプットのよいところだ。
ただ、そんなふうに本人はわかりやすい話をしているつもりでも、や
『仏教思想のゼロポイント』のこと
ゴータマ・ブッダの仏教が「人間の生きる健全な道」を説いているという認識は、近代日本において飽きることなく語られ続けたドグマである。だが、実際のところ、これは正確な認識とは言い難い。ゴータマ・ブッダの教説は「人間的」なものでは決してないし、少なくとも多くの現代日本人の価値観からすれば、「健全」なものでも全くないからである。
例えば『スッタニパータ』でも『ダンマパダ』でもよろしい。ゴータマ・ブッダ自
そのへんをふらふらしてる小汚い生き物
ミャンマーはどこにでも犬猫がいる。もちろん飼い犬や飼い猫ではなくて、いわゆるノラである。日本ではノラ猫はまだしも、ノラ犬というのはほとんど見なくなったが、インドから東南アジアのあたりを旅行された方はわかると思うけれども、このあたりの国では普通にノラの犬猫がふらふらしている。というか、インドさんくらいのレベルになると、ノラ犬どころか、ノラ牛とかノラ猿とかノラ猪とかもふらふらしてるので、まあ犬猫などは
もっとみる「ありのまま」フレームワーク
在留邦人の方々と食事。皆さん90年代からミャンマーに関わってこられた、古株の人たちである。「民主化」以前のミャンマーには、邦人が来ることもほとんどなかったから、そのころからミャンマーに関わっている人たちは、このようにたいてい知り合いであるらしい。「ミャンマー関係の日本人」で一つの小さな村があったようなものだそうな。
もちろん、現在のミャンマーは「アジア最後のフロンティア」などと言われて、ビジネス
「資格」としての関西人
中国地方出身の知人がいるのだが、彼は関西弁が好きだったので、東京の大学に進学した際にはそれを喋っていた。自然な関西弁だったので、東京の人たちはもちろん、関西出身の人たちにも受け入れられていたのだが、ある時その「関西人」の一人に中国地方出身であることを知られることになった。すると、その瞬間に、それまで彼の関西弁を受け入れていたその「関西人」は、彼が関西弁を使うことを批判しはじめたのだという。
この