『ライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye)J.D.サリンジャー ~ここは、「勝ち負け」を決めるための場所なんかじゃない!
今回は、昨今では村上春樹氏の翻訳でも知られる、「ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)」(1951)を取り上げます。
すでに多くの評論や解釈が行なわれてきた作品なので、ここでは特に個人的に印象に残った人物や場面などを挙げ、感想は末尾で少し述べるにとどめておきます。
尚、記事内の日本語訳の一部は、野崎孝氏版(白水Uブックス)をベースに少し調整を加えさせていただいております。
クリスマス前夜、ある少年の孤独な三日間
まず、作品の概要をまとめておきます。
主人公がニューヨークのダウンタウンを(一見)でたらめにさまよう話が延々と続くものなので、ドラマチックな「あらすじ」らしいものはありません。
内容は、ホールデンの、世の中や人々に対する愚痴、泣き言、罵倒、内省、、、それが新書サイズで300頁以上、ほぼ全編を通して続きます。
その口調や不平不満が感覚的・倫理的に合わない方にとっては、「何を甘ったれたことを」と序盤で辟易してしまうかも知れません。
逆に、波長が合ってしまった読者にとっては、ホールデンに乗り移られたような感情移入に捉えられてしまうはずです。
そして彼の声が始終脳裏に響くことになる・・・そんな中毒性がある作品と言えるかも知れません。
ひりひりした痛みに満ちた内容なのですが、ユーモアにあふれた語り口と、登場人物たちの生き生きとした描写が、この作品の大きな魅力と救いになっています。
また、最後のシーンがたいへん美しいので、ネタバレ前提で言及させていただきたく、あらかじめご了承ください。
「気に食わないこと」だらけの世の中
序盤、ホールデンは独立戦争の勝利を記念する砲台が置かれた丘の上に立ち、退学処分となってしまった高校に独り別れを告げます。
眼下では、他校とのアメフトの試合が行われ、盛大な応援が行なわれています。しかし、彼はもうそこにも、どこにも属しません。
そして、彼の三日間に及ぶニューヨークでの「旅」が始まります。
祖母からクリスマスの小遣いをもらっていたホールデンは、バーを梯子して酩酊し、数少ない知人を呼び出そうとしたり、人々にからんだり、暴力を受けるなど、流転の数日間を過ごすことになります。
何もかもが気にくわない、それなのに彼は人恋しくて仕方がないのです。
そんなホールデンの足跡を追ってみます。
前半の足どり
嫌い、嫌い、嫌い!
序盤、ホールデンは、お世話になったことがある老スペンサー先生宅へ別れのあいさつをしに行きます。
スペンサー先生は、こう諭します。
「人生は競技だとも、坊や。たしかに人生は、誰しもがルールに従ってやらなければならない競技なんだ」
「はあ、そうです。わかっています」
とこたえながら、彼の内心は、猛反発をしています。
老若を問わず、彼は周囲の気に入らないことに対して次々と毒舌を放ちます。
特に彼が嫌悪感を露わにするのは、世にはびこる「インチキ」“phony”や「俗物たち」“snobs”です。
競争社会の中で落ちこぼれてしまったホールデンには、まわりが敵だらけに思えてしまうのです。
彼には10才になる妹フィービーと、作家の兄D.B.がいます。
三つ下に弟アリーがいましたが、白血病によってすでに他界しています。
批判の矛先は、兄のD.B.にも向けられます。
ホールデンは、兄が書く、子どもたちを扱った小説などがかつて大好きでした。
しかし兄は、今ではハリウッドで売れっ子の脚本家となっています。
ホールデンは、映画界のセレブリティたちを嫌悪しています。
また、D.B.が乗り回す「4000ドルもするジャガー」をもこきおろします。
彼は「車」も大嫌いなのです。
両親についてはあまり語らないのですが、「弁護士」という父の職業もやり玉に上げられます。
また、立ち寄ったナイト・クラブ(彼はよく酒を飲む)のアーニーという黒人ピアニストも気に入りません。
数少ない「お気に入り」
彼は、人が別れ際に言う”Good luck“という挨拶なども嫌っています。
単なる社交辞令にそこまで目くじらを立てなくても、とも思うのですが、彼の目に映る世界は「インチキ野郎」とチープな虚飾、欺瞞だらけなのです。
いっそギャングにでもなった方が楽なのに、と感じるのですが、彼は暴力が嫌いだし、ましてやグループで「つるむ」ことなど大嫌いなのです。
ただ、彼が「好きなもの」もいくつかあります。
レストランでたまたま隣に座った二人組の年配の尼さんに、彼は好感を持ちます。素朴に親切でつつましやかだからです。
そして子どもたち全般のけがれなさを愛おしく思っています。
しかし誰よりも、すでに他界している弟アリーと、賢いフィービーに対して非常に深い愛情を抱いています。
この二人はこの話の中で大きな位置を占めることになります。
アリー
大好きだったアリーの死を未だに受け入れられないホールデンは、何か落ち込むことがあると亡き弟に話しかけます。
空気銃を討ちにボビーという友人と遊びに行ったときのことを、ホールデンは度々回想します。
「一緒に連れていってよ」とせがむアリーを「危ないから」と置いてきぼりにしてしまったことを、今でも後悔し続けているのです。
そして独り言の中でアリーにこう呟きかけるのです。
「いいよ、うちへ行って、おまえの自転車を取ってきなよ。ボビーの家の前で会お。」
また、ニューヨーク彷徨の初日、場末のホテルでポン引きに誘われ、娼婦のサニーを部屋に呼ぶことになります。
金だけ払って彼女を帰すと、窓の外では夜が明けようとしています。
ホールデンはここでも独り、アリーに話しかけます。
また、終盤でも、彼がアリーに救いを求める場面があります。
回想がアリーの墓参りになると、矛先は再び大人たちに向けられます。
後半の足どり
フィービー
アリーと同様に、ホールデンは10才の妹のフィービーをとても大切にしています。
不出来なところが多いながらも心優しい兄のことが、彼女も大好きなのです。
街で散々な目に遭ったホールデンは、夜、彼女に会うために自宅に忍び込みます。寝ていたフィービーは兄の帰宅に大喜びしますが、勘が鋭い彼女は、すぐに兄の放校を察します。
「お兄ちゃんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ?」
「・・・好きなものを一つだって思いつけないじゃない、一つでも言ってごらんなさいよ」
彼女に詰問されたホールデンは答えます。
「アリーは死んだのよ・・・」とフィービーは言って、続けます。
「・・・じゃいいから、何か他のものを言ってよ。お兄ちゃんのなりたいものを言ってよ・・・あなたは何になりたいの?」
するとホールデンが「ライ麦畑」について語ります。この物語の象徴的なテーマが述べられる箇所です。少し長くなりますが重要なところなので挙げておきます。
「ライ麦畑~」は、歌の題名です。ただ、「~つかまえる」のところが本来は「ライ麦畑で会うならば」が正しいことをフィービーに指摘されます。
ホールデンが曲名を「勘違い」していたことは重要と思われ、これは終盤の大事な場面にて発展した形で言及されることになります。
ホールデンがフィービーの部屋を去る際に、彼女は「ホールデン!」と呼び止めます。何かまだ大事な話かと思ったら、
「あたしね、げっぷの出し方を練習しているのよ、聞いて」といってそれを披露します。
深刻なやりとりの後なのに、このようなユーモラスな場面が随所に出てくる、そんなところもこの作品の大きな魅力となっています。
キャッスルとアントリーニ先生
フィービーに会った後、彼は前の高校でお世話になったアントリーニ先生の自宅を訪れます。
アントリーニ先生は、ホールデンが慕う数少ない大人の一人です。
この先生を好きになったきっかけとして、ジェームス・キャッスルという同級生の死にまつわるエピソードが紹介されます。
キャッスルは、周囲からのいじめに抵抗し、相手の理不尽な要求に屈することをよしとせずに寮の窓から身を投げます。
頭蓋を割り、歯が散乱したキャッスルの無惨な死骸を皆がただ見守る中、彼を抱え、自分のコートを血で汚しながらも医務室へ抱きかかえて行ったのがアントリーニ先生なのでした。
酒に酔っていたものの、先生は、ドロップアウトを繰り返すホールデンのことを親身に案じて、アドバイスをしてくれます。
そして、ある学者の言を引き合いに出します。
しかし、疲労困憊していたホールデンには、先生の話は上の空です。
彼は先生宅に泊めてもらうことになりますが、先生に頭をなでられていることで夜更けに目覚めてしまいます。
気味悪くなったホールデンは、引き止めようとする先生にお礼を言って逃げるように立ち去ります。
駅のベンチで朝を迎えた彼は、自問します。
終盤
彼は何もかもが嫌になり、西部のどこかに移住する決心をします。
そのことをフィービーに告げ、彼は最後にもう一度会うために彼女を呼び出します。
フィービーは、スーツケースを持って現れます。そして、「お兄ちゃんについていく」と言って聞きません。
それを止めようとするホールデンですが、彼女は頑として聞き入れません。
(これはフィービーの「作戦」であるようにも思われます)
そしてホールデンは結局折れて、自宅に戻ることをフィービーに約束します。
機嫌を直したフィービーは、遊園地の回転木馬に乗りたがります。
木馬に乗ったこどもたちは、外枠に掲げられた「金色の輪」を回りながらタイミングよくつかむと、もう一度乗れるようになっています。
ホールデンはこんなことを思います。
ふいに大雨が降りだします。
ホールデンは濡れるにまかせます。
読者によっては、アリーの気配をそこに感じるかも知れません。
第二次大戦をくぐり抜けて産み出された、青春小説の傑作
最後に、作品が生まれた背景について、なるべく簡単に言及しておきます。
早くから作家を志していたサリンジャーは、第二次大戦の時代に二十代を生きました。
軍曹としてノルマンディー上陸やバルジ戦の先陣に立ち、ホロコーストも目の当たりにしました。
「ライ麦畑」は、彼が軍隊に入った1941年頃にその原型が生まれ、戦火のさ中にも書き続けられました。
そして帰還後に苛まれたPTSDを乗りこえ、出版社からの拒絶や改訂依頼、さらには禁書扱いを受けるなどの10年に及ぶ紆余曲折を経て、ようやく世に出されたのでした。
寡黙なサリンジャーでしたが、「作者は作品の中に顔を出してはいけない」という文学的姿勢を貫いたと言われています。
個人的にですが、長い年月を経てから再読すると、この作品には多くの観点が含まれているように新たに感じました。
「ライ麦畑で会う」という歌を「ライ麦畑でつかまえる」と間違って覚えていたことは何を象徴しているのか?
最後に、フィービを乗せた回転木馬が彼を幸福にしたのはなぜなのか?
・・・また、輪廻、解脱ということばも浮かんできます。
敵と味方という水平的な対立だけでなく、死者と生者という縦軸もこの物語には埋め込まれている、そしてさらにその上には、これらを超越した「何か」への昇華が示されているのではないか?
惨憺たる物語なのですが、大きな希望と祈りがこめられているのではないのだろうか・・・等など、さまざまな思いが新たに浮かんできた次第でした。
J.D.サリンジャー(1919-2010~アメリカ・小説家)
「ライ麦畑でつかまえて」The Catcher in the Rye(1951)で一躍文壇の寵児となった。
主人公は、高校をドロップアウトした少年ホールデン・コールフィールド。ニューヨークの街を彷徨う彼の、大人社会の「インチキ」~建前や虚飾に向けられた痛切な独白は、特に若い世代の心を強くとらえた。
他には「フラニーとゾーイ」(1961)等を中心とした「グラース家年代記」の連作を執筆。神秘主義に傾倒した隠遁生活の中で作品をいくつか発表したが、1965年を最後として、早くに筆を置いた。