いつも生き急いでいる
雑記です.心が落ち着く土日に色んなものを書きます.それまでフォローして待っててください.何か話したいことがあればTwitterのDMくれればそれなりのことは返します.そういって送ってきてくれた人はほとんどいません.なので安心して書いています.ちょっとは人生相談とか期待してるんですけどね.
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結局僕は『生き急いでいる』.
将来の夢は何?って聞かれたら「余生を楽しむこと/老後をのんびりエンジョイすること」と答えていた思春期.何になるかもその時にならないとわからないし,後から振り返れる余裕ができたらそれでいいし,何より人生の幅はいつ広がるかなんてわからない.だから狭めない.色んな事をやってみている.
「何かになりたい」と思って何かを目指した先には「権力」と「地位」という価値のないバッジだけが置いてあった.
「誰かと一緒になりたい」と思って巡り合った先には「虚言」と「破壊」が待っていた.
「疲れた……」と思って流れ着いた先には結局昔とさして変わらない「忙しさ」が待っていた.
周囲が追いつけないスピードで『人生のイベント』が駆け巡っていく.
今もそれは変わらない.今日だと思っていたのが気がつけば昨日になって,思い返せば2週間も前だったりする.いつか死ぬその日まで,僕は何かをしようともがいているのだろう.
歴史上の人物たちは自分よりも若い年齢で人生を終えている.
長生きしたかっただろう彼らよりも「いつ死んでもいい」と思っている僕が長生きしているのは何とも言えない.そんな世界に
「きっと早死にするんだろうなぁ」と思っているけれども,昔々と比べればもう結構な年齢だ.いつ死んでもおかしくない.
だから煙草も始めたし,お酒は一向に好きだし,食事は好きなものを食べたいときに食べるようにしている.お金は生活ができる分だけ手元に残ればいい.あとは考えない.寝たいときは思いっきり寝る.
先のことを考えるのは,やめた.「今」をずっと続けるようにした.
頭の回転が速くなるたびに思考と言葉と時間が早くなる.「そんな風に考えてたっけ?」と思いながら口が勝手に回っていく.ブレーキが壊れた汽車のように,もう加速し続けていくしかないのだろうな,と悟ってしまった.
会社で働く様子はどう見えるのだろう?いつもせわしなくあーだこうだを繰り返し,打ち合わせでは必ず1回笑う雰囲気を作ろうとする.残響禁止令のもと,心がけるようにしているのは「残業代込みの賃金に見合ったパフォーマンスを定時で片づけること」だ.土台無理な話だが.それでもやろうとする.1時間かかりそうな打ち合わせを20分で終わらせるのが得意技になってきた.30分の予定だった打ち合わせは5分だ.「えっもう終わり?」という感想を聞くことが増えてきた.つまらない余談はしないし,楽しい話は飲み会でやりたいからね.
先日主治医にもこんな話をしていた.
「僕には『休んでいた時の穏やかな自分』と『仕事をガツガツやっていく自分』の2人がいます.本当は『休んでいた時の穏やかな自分』が一番落ち着いているのですが,気がつけばかつての『仕事をガツガツやっていく自分』に戻っている気がしていて.仕事をすればするほど戻っている気がします.いつかまた『緊張の糸』が切れて休んでしまうことがあるのではないかと思っていて,怖いんです.」
かつての自分というのはろくな生き方をしていない.それは振り返ればわかること.
穏やかだった時の自分は,時間の感じ方をもっとゆっくり,彩をもって感じていた.
もっと穏やかに生きたいのに,明らかに変わってしまった自分がいる.
歩くスピード,音楽の好み,食事のスピード,話すテンポ,タイピング,言葉を思いつく頻度.
そのどれもが休んでいた時の倍以上のスピードで動いている.
やっぱり『生き急ぐしか術はないか』と思いながら,今日も気がつけば夜で,1日がまた終わっていた.師走の季節だから,と言い訳にできないくらいのスピードでこれからも生きていく.
***あとがき***
身体の自由が利かなくなったら潔く死を選ぼう.
きっとそれが何よりの『自由』なのだろうと
いつも思って仕方がない.
怒りも恨みも哀しみも
感情は消え,残るのは「楽」のみ
気楽、快楽、享楽
いろんな「楽」を愉しみ,飽きたら死ぬ.
生き急ぐには,それくらいがちょうどいい.