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10月6日(土)計15時間。カンボジアータイ国境越えのスリル

10月6日の夜、わたしはカザフスタンーキルギス間、カンボジアーベトナム間に続き、3度目の陸路での国境越えに向けてタイへ出発した。

20時発の夜行バス。寝台列車のようにフラットなベッドが備え付けられているタイプのバスだ。プノンペンからバンコクまで陸路で行くのは大変だと言われたけど、大した問題では無いと思った。

札幌ー東京間を凍えながら夜行列車で行ったことや、青春18きっぷで青森から東京へ移動する最中に郡山で立ち往生してネットカフェに泊まることになったのに比べれば、寝てれば着くなんて楽だろうと思った。なんてったって、25ドルで行けるというのはありがたい。


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バス停に着くと、ナイトマーケットの近くということもあってトゥクトゥクを寄せる場所もないくらいに人がごった返していた。カンボジアは今日からお盆休み。地方出身の人たちが、プノンペンから故郷へ帰るタイミングと被ってしまったというわけだ。バスに大量のバイクが積み込まれていくことに驚いたが、故郷で乗るのだろうか。

長距離バスの利用は何度目かですっかり油断しており、今回使うバス会社はクメール語の案内しかなかったことで危うく乗りそびれるところだった。

なんとかバスに乗り込み、自らの座席である13Aのシートを探す。しかし、一向に13Aが見つからない。A11・12もB13・14もあるが、13Aと書かれた場所はなく、確信が持てない。付近に1か所だけ、座席番号のプレートが溶けて見えなくなってしまっている座席があった。位置的にここであろうと踏んで、座り込んだ。

乗客がひと通り乗り込んだのち、二段ベットの下にあるわたしのシートを不安そうに覗き込んでくる男性がいた。おそらく、隣の14Aが彼の座席なのだろう。「ふつうは、男女で別れているはずなんだけど…...何か手違いがあったみたいだ」と、彼も困惑しているようだった。その態度から、隣で寝ていても、特に問題は起こらなさそうな人だと思えた。


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男性は、故郷のシソポンという街に帰省すると教えてくれた。どんな国にも帰省という概念があるのは今まで考えもしなかったことで、なんだかおもしろい。このバスが途中何度か停車しながら進んでゆくということもその時に知った。

車内はまだ8時というのにすぐに消灯され、真っ暗になる。となりの男性に迷惑をかけないよう、少々緊張しながら眠りについた。


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気づくと外は明るくなり、隣の男性は下車していた。周りの乗客もすべて降りるのを確認して、ここが国境の街・ポイペトであることを知る。

バスから降りてみると、おそらく同じ便に乗ってきた人らしき集団がいたが、バス会社からなんのアナウンスもない。話しかけてみるが英語を話せる人がおらず、かなりのピンチ。SIMカード売りや荷物を無理やり運ぼうとする人などに声をかけられ続け、脳の処理能力は限界を超えていた。

人だかりの奥にバス会社の事務所があることに気づき、キャッチを振り切ってキャリーバッグを押しながら入る。カウンターに辿り着くと、10分は待たされた後に出入国カードを渡された。なるほど、パスポートを回収されなかったわたしは自分でこれを記入せねばならなかったのだ。

書き終えると、そのバス会社の乗客であることを示すネームホルダーを受け取る。「向こうにイミグレーションがあるから、歩いていけ。そこを越えたら、こちら側の国境で待て。」そんなことを言われた気がした。


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歩き始めると、道路を渡れと言われたはずなのに途中でバスに乗っていた人らしい集団を見かけて迷いが生じる。だが、ここで次のバスに乗れなかったら終わり。指示を信じてイミグレーションの列に向かう。そこからは何人か外国人の姿も見受けられて、少しホッとした。

30分ほど待っただろうか、やっとのことでカンボジアの出国審査を通過する。外に出ると、荷物運びやトゥクトゥクの無数の勧誘。バス会社のスタッフの姿も見えないし、カンボジア側の国境で待てというのは聞き間違いだったのかと思い始める。待っているよりも進んだほうがリスクが小さい。そう判断してタイ側に向かって歩き始めた。

想像以上に長い一本道。横を見ると、出国審査前に断った荷物運びの人が歩いていた。視線が合うと、ジェスチャーで荷物を渡せと言ってくる。金を払うのが惜しかったわたしはそれを断る。こんなことを3回も繰り返していると、ジェスチャーで進むべき方向を定期的に教えてくれるだけになった。

15分か20分は歩いただろうか。突然周囲の人が立ち止まったかと思うと、カンボジア国歌が流れ始めた。

時間は朝7時。なんとも言えない美しく滑らかな音色の中で朝陽が輝き、国境越えの不安も辛さも忘れて、まるでトランスに入ったようだった。


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そこからタイへの入国審査場まではすぐだった。設備も綺麗で、だんだんと不安が和らいだのもつかの間、1時間経っても入国できない。ここの国境は非常に混むと聞いていたが、予想以上だった。バスに置いて行かれたらどうしようという不安が、再び首をもたげてくる。結局、列に並び始めてから入国審査を終えるまでには2時間半ほどかかった。

入国ゲートを出ると、今度は次に乗り込むバスが見つからない。なんとなく他のバス会社のツアー客と思しき人の波に乗ってみるが、道路を渡ってどんどんと遠くに進んで行かれる。果たして乗り換えのバスはそこまで遠くだろうか。不安になって道を引き返している途中で、同じネームホルダーを下げた西洋人のバックパッカーの女性を見かけた。

追いかけていくと、わたしが通り過ぎようとしていた駐車場へたどり着いた。しかし近づいていくと彼女も戸惑っている様子で、気づいたら1秒の迷いもなくわたしは彼女に話しかけていた。普段なら絶対にできないが、命がかかっていると人間何でもできるものだ。

何も解決していないが、仲間を見つけて一安心。いくらか冷静になって駐車場を見回すと、同じバス会社のロゴマークが書かれた車両を見つけた。歩いていくと、ビンゴ。それは私たちが乗り継ぐ便だった。もしもあの時、道路を渡っていたら、彼女に合わなかったら、見つからなかったかもしれない。自分の感の強さに感謝した。

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そして後からわかったのは、どうやら私と彼女はやはりバス会社の人が先導してくれる予定だったということだ。それが2人して勝手に国境を超え、迷っていた。わかったつもりになることは旅をする上で危険極まりないと、身をもって実感する。結局バンコクへ到着したのは、予定到着時刻を大幅に過ぎた午後1時のことだった。

もしいただけるなら......都心までの交通費にさせてください......