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トラックの荷台に乗って黄金の岩を目指した日

そこに今にも落ちそうな黄金の岩(しかも巨大な)があると言われれば、目指さないわけにはいかないのが人の性というものだろう。ミャンマーに1泊2日だけ滞在することになったわたしは、必ずゴールデン・ロック(現地語でチャイティーヨー・パゴダ)を見にいこう、と決めていた。

夕暮れ、空港からホテルに直接向かってチェックインを済ませると、中国系のホテルオーナーに「ミャンマーでは何をするの?」と尋ねられる。

「ゴールデン・ロックを見たいんです」
「ツアーは?」
「高いからバスで行きたくて……」
「バス! 予約は?」
「ありません」
「大変だ、今日の夜の便に空きがあるか調べよう! (スタッフに向かって)電話して!……空きがあったけどバス停はここから少し遠い、19時までに出るけどいい? 僕が送っていこう、山の上には綺麗な部屋が無いけどいいかい? でも、バスのスタッフに個室を用意するよう言っておくよ、オーケー?」

こうしてあれよあれよという間に、わたしはヤンゴンに降り立ったその日の夜に深夜バスで山へと向かうことになった。1泊5,000円ほどもしたホテルの部屋が無駄になるが、親切なオーナーに出会えたからまあ良いだろう。準備を済ませ、車に乗り込む。

10分〜20分ほど車に乗り、辿り着いたのはヤンゴン・セントラル駅前のバス乗り場だ。昼間の写真こそ綺麗な建物だが、すでに日が落ちた後、街灯もほとんどなく野犬がうろついている。ここがRPGのフィールドなら、確実にバトルが始まっていただろう。

数十分待った頃、バスが到着した。今回わたしが参加するのは、現地の人々がチャイティーヨー・パゴダに参拝するための、完全なるローカルツアー。乗客もガイドも全員がミャンマー人。誰も、英語は話せない。はぐれたら絶望だ。

ついてきてくれたホテルオーナーとツアーガイドが会話をしている。ビルマ語はわからないが、おそらく「日本人がいるから絶対に置いて帰らないで。何かあったらホテルに電話してくれ」と伝えてくれているような気がする。そしてオーナーはわたしにも、「山頂に行くには麓でトラックバスに乗り換える必要がある。これを逃さないようにね。その時間になったら、迷子になっていないか電話するから。」と名刺を渡し、最後にもう一度ガイドに強く念押しをしてくれたのだった。

そうして出発したバスは、深夜3時頃に山の麓に到着した。そこで数時間仮眠をし、乗り換えをして山頂に向かうのだ。現地の人々は食堂の奥にあるスペースで雑魚寝をするが、わたしは特別に2階の個室をあてがってもらえた。

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この緑色のドアの向こうには、絨毯が一枚敷いてある2畳ほどの空間があり、一応電源も使える。しかし固い木の床であることに変わりはないし、時々虫が這っている。それほど抵抗は無いものの、快眠とはいかない。図太い人間だと思っていたから、自分に少し失望した。

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大音量の音楽で朝6時に叩き起こされ、1階の食堂で朝食をとる。メニューがまったく理解できなかったわたしは、炒めた飯が不味いわけがない、という大原則にしたがって注文をした。はぐれたら終わりという絶望の淵に立っているとき、人間は食で冒険をする気力が失せるということは覚えておいても良いだろう。

いよいよ山頂へ向かうためのトラックバス乗り場へ向かう。

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見ての通り、トラックの荷台の上半分を屋根に改造し、およそ4人×7列の座席に寿司詰めで移動するのがトラックバスだ。「株式会社○○」と日本語が書いてある車両もあり、久しぶりに日本のことを思い出す。お父さん、日本の貨物輸送を引退したトラックは、ミャンマーで人を運んでいました。

やっとの思いでバスに乗り込み、カーブのキツい坂道をすごい馬力で登っていく。そうして辿り着いた山頂付近、ここから黄金の岩まではもうすぐだ。

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ああ、本当に頭の上に乗せてものを運ぶんだ、とか、本当に「タナカ」を顔に塗ってるんだ、とか、様々な確認と発見をする。色鮮やかな民族衣装に目を奪われながら、一歩一歩黄金の岩に近づいていく。

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ここの門では靴を脱がされる。山頂付近の地面は当然だが熱い。足の裏で地面の熱を感じながら歩けば、すぐそこに見えた。ゴールデン・ロックだ。

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嘘みたいに金色で、今にも転がり落ちそうな黄金の岩が、そこにある。なんか紙粘土で作ったみたいだなと思った。

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せっかくなら近くで拝みたいものだが、残念ながら女性は触ることができない。まあ触ったところで感想は「金色だ…」くらいのものであろうし、別に良いだろう。

触らないのであれば、黄金の岩の周りにいるのはほんの5分もあれば十分だ。帰るまでは2時間ほどあるので、山頂を散策して暇を潰す。

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遠くの山並みを見て、なんだか懐かしくなった。小さい頃、車の窓からこんな風景を見ていたような気がする。

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山頂へ入ってきたのと反対側の景色は、息を飲むほどの美しさだった。

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照りつける日差しに斜面に重なり合う屋根、それが作り出す影と、その頂点に見える金色のパゴダ。見たままに収められない自分の写真の腕を恨む。そしてわたしは、屋根が作り出す影に吸い込まれるように路地へと入っていく。画像11

ぶら下がる大量のビーチサンダルとTシャツ、細い路地を駆け回る子供たち、立ち話をする女性たち。階段を上り下りする足は、なんだかフワフワして地に足が着いてないみたいだ。

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やがて興奮も冷め、路地を出て帰りのトラック乗り場へ向かう。バスに乗り遅れては困るので、早めに戻っておこうと思ったのだ。しかし、この帰りのトラックが最大の難所であった。

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このトラック乗り場、順番なんてあったもんじゃない。列もあるし階段もあるのだが、とにかく早く帰りたい人たちが、横から後ろからよじ登り、飛び乗ってくるのだ。律儀に待っていては本当に帰りのバスを逃してしまう。2台目を見送ったあたりで流石に遠慮している場合ではなく、周りの人を牽制しながら無理やり乗り込んだ。

やっとの思いで乗り込んだは良いが、帰りのトラックは本当に死ぬかと思った。猛スピードでヘアピンカーブの急勾配を下るのだ。そして前日からほとんど眠れていなかったわたしは、身の危険を感じながら居眠りをしていた。一番端の座席だったので、何度も落ちないように引っ張ってくれた隣のミャンマー人の方には感謝しかない。

そうそう、最後にこの神様(?)の話をしておこう。

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「ちょっと拝んで行かないかい?」

路地から出てフワフワと山頂を歩いていたわたしは、おじさんに声をかけられた。疲れと興奮ですっかり判断力を失っていたので、促されるままに近づいて手を合わせる。無事に帰れますように、とかそんなことを祈りながら。そしておじさんは言った。

「お金をあの部分(鉢巻き)にねじ込むんだ。200チャットね」
「でも今、小さいお金が500チャットしかない」
「大丈夫大丈夫。待ってて」

何が大丈夫なんだ……と後悔していると、おじさんはおもむろに既に像の鉢巻きにねじ込まれている賽銭を抜き取り、お釣りをくれたのだ。そんなのありかよ。律儀なんだかなんなんだか。さっきまでの後悔はどこかへ行き、ふっと脱力してしまった。

この神様のご利益か知らないが、恐怖の高速トラックから乗り継いで無事に街へ戻ったわたしは、休む暇もなく帰りのフライトでミャンマーを後にしたのだった。


※1年以上前のため、数字は正確でない場合があります。

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