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7月3日(火)たくさんの人が好きなものを、好きになれないときに。

6月25日のnoteにも書いたような話だけれど、ここ最近はずっと、どうしてもサッカーの盛り上がりに乗り切れないことに罪悪感を感じていた。

興味は人それぞれで当たり前と頭ではわかっていても、みんなが楽しそうにしているものの良さがわからないことは、どうしたって居心地が悪いのだ。

それに、自分は興味の幅がかなり広いほうだと自負していたから、「サッカーの話を楽しく聞けない自分」が、とても気持ち悪いし、認めたくなかった。



何にでも興味があるし何にでもなりたい私だけど、「スポーツ」は昔から興味の範囲外だった。

建築家になりたい、社長になりたい、芸能人になりたい、研究者になりたい、デザイナーになりたい、バレリーナになりたい、とにかく自分には無理だと思ったり可能性が閉ざされるたびに悔しい気持ちになっていたけど、憧れの職業の定番・スポーツ選手になりたいと思ったことは一切ない。(本当にごくたまに、あんなに早く走れたらどんな気持ちだろう、と思ったりはするけれど。)

そのくらい、人生の範囲外なのだ。



カンボジアにおいて、サッカーは大きな話題のひとつだ。カンボジアの情報を提供する仕事をしている以上、ある程度知っておかなければならないだろう。「サッカーを好きにならなければならない」という強迫観念みたいなものは、そういうところからも来ていると思う。

......という話をしていたら、「何にも悪くないじゃん」というようなことを言ってくれた人がいた。そう、悪いことではないんだと思う。

興味の矛先なんてみんな違って当たり前なのにこんな風に悩んだりして、誰にでもいい顔をしたい、八方美人な態度とってしまうことにもまた嫌気がさす。



いろんなものに興味は持っていたいけど、他人の話に耳を傾けるばかりではなくって、自分の純粋な興味を突き詰めることに意識を向けないと、誰かのコピーみたいな人生で終わってしまうなあ。


もしいただけるなら......都心までの交通費にさせてください......