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「やりたいこと」が「やるべきこと」に変わってしまう瞬間が嫌いだ

晩ごはんを考えながら気を失っていた。

ここ1週間は、通常の連勤に加え、休日に「大掃除」という大仕事があったゆえに、実質の休みというものがなかった。
極め付けに昨日(日付け的には今日)のサッカー。クロアチア戦を延長の後のPK戦までしっかり観てからの就寝。
今日は普通に朝から仕事だった。

フッと気を抜くと簡単に落ちてしまいそうな睡魔との闘いは、勝てそうに思えたけれど、いつのまにか負けていた。

ハッと目を覚まし、時計の針が23時をまわるのを見て
「あ、毎日投稿」と思う。

昨日みたいにつぶやきも考えた。
けどあれ、140字に収めるのって、意外と労力が要る。時間も掛かる。
書きたいことがあるのであれば、こうして通常の記事で書きはじめてしまったほうが、案外簡単だったりする。
画像もみんなのフォトギャラリーから借りられるしね。



『毎日投稿』は、まだ『やりたいこと』だ。

仕事から帰宅し、その足で台所の片付けを済ませる。
その後、晩ごはん作り&毎日投稿までの自由な時間あるいは通勤や昼休みなどのスキマ時間に『やりたいこと』があれもこれもあったのだけど。
ここ2日ほどで、ソレは熟成してしまったようで、いつのまにか『やるべきこと』になってしまっていることに気が付いた。

ああ、嫌だ。

自分の記事(メインアカウント)を取り上げてもらえるなんて、通知を見てすぐに飛び付きたいほど嬉しいことだ。すぐにでも読みに行ってコメントしたい。

noter仲間の方が出版された本なんて、すぐにでも読んで感想記事書きたいほど楽しみにしていたじゃないか。

大掃除で部屋の模様替えをして、いつもと違う新鮮な空間であれこれできるのを、模様替えを完成させるのを、仕事から帰ったらやろうってワクワクしてたじゃないか。


ソレがすぐにできずに置いているうちに、熟成してしまった。熟成して、違う味わいになってしまった。

やらなければ、少しでも早く、やらなければ。


やりたいのにやれていないことが、溜まっていくほど熟成は早くなる。

あれもこれもやらなきゃ、と思うと、あれもこれもできていないんだという憂鬱さに襲われる。

さっさと行動してしまえばいいのだけど、ソレが身体よりも脳を使うような物事だと余計に腰は重くなる。

頭で考える前に身体を動かしてしまうことは案外難しくないのだけど、それが頭を使う物事だと、そううまくはいかない。



とはいえ、このままでは、脳の片隅にいつまでも『やらなければ』が蓄積されて、それに容量を使ってしまうことは、脳の働きをさらに悪くする。

負のスパイラルだ。

抜け出すには、やはり、
つべこべ言わず動くしかないのだろう。



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