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学習の目的パラドックス

「何で勉強しなきゃいけないの?」
この単純で素朴な疑問は、子供の頃誰しもが抱いたものではないでしょうか。
この質問に対して大人はどのように答えればよいのでしょうか。
今回は学習の目的について考えます。

必要性という莫大なエネルギー

子供がこの質問をする時の状況をイメージしてみましょう。
恐らく宿題やテスト勉強に追われており、嫌気がさしてきた頃です。
本当は外で遊んだり、好きなことをして過ごしたいのにそれが許してもらえない。
子供が経験する「やりたくないけどやらなければいけないこと」の代表例が勉強でしょう。

なぜ勉強が嫌に感じるのでしょうか。
テストでいい点数をとったり、それが大人に褒められたり、我慢の先には良いことも待っているはずです。
最も大きな理由は、勉強の必要性を理解できないからだと考えています。

「必要は発明の母」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
発明には莫大なエネルギーを必要とします。
電球を発明したエジソンは、フィラメントに適した燃えにくい材料として日本の竹にたどり着くまでに、約6000種類の材料を試したと言われています。
尋常でない時間とお金をつぎ込んだ結果、電球の発明に至ったのです。

このとき、エジソンがここまでエネルギーを投入できたのは、それだけ安定的な明かりの必要性を感じていたからでしょう。
火事場の馬鹿力という言葉にも似ていますが、必要に駆られたときこそ、人間は想像以上の想像以上のパワーを発揮します。
それだけ必要性というものにはエネルギーがあるのです。

必要性に気づく難しさ

一方で、子供たちの目線で勉強について考えてみると、今勉強していることが何に活用できるのかが分からない、という残念な事実があります。

ひらがなが読めれば漢字の練習は必要ないと感じ、電卓があれば九九や暗算の練習は必要ないと感じることになります。
しかし、実際に漢字が読み書きできるようになるとその利便性に気付かされますし、買い物に行ってみるといちいち電卓アプリを開く方が煩わしいと感じるのです。

ここからわかることは、勉強して習得したものを使ったときに初めてその利便性に気づき、必要性を知ることが出来るということです。
必要性こそが勉強の大きなエネルギーとなり得るのに、その必要性に気づくためには勉強しなければいけないのです。
この残念な事実をわたしは「学習の目的パラドックス」と呼んでいます。

大人にとって勉強は手段であり、勉強の先の利益が目的として明確に見えています。
必要性のエネルギーを有効活用出来るので自分の意思で勉強に取り組めるのです。
しかし経験の少ない子供にとって先の利益を見通すことは難しく、「大人に言われたから」というエネルギーに乏しい理由のみで勉強に取り組まなければならないのです。

子供が大人へと成長していく段階で色々な経験を経て、少しずつこの事実に気づいていきます。
明確な目的があり、そこから逆算して必要なことを勉強出来るように変わっていきます。
大人がみんな口を揃えて「もっと勉強すれば良かった」というのはこのためです。

素直な子供が勉強する

必要性という強力なエネルギーを使うことが許されずに、子供たちはどうして勉強ができるのでしょうか。
それは前述の通り、「大人にいわれた」からです。
親や先生のいうことを素直に聞き、素直に課題に取り組んでるのです。

たしかに、競争に勝つ喜びや単純に勉強に面白さを感じるなどといったことがモチベーションに繋がっていることもあります。
勉強が好きという稀有な例もあるかもしれません。
しかし、基本的に大人に勉強しなさいと言われることがなければ、勉強を始める動機が無いのです。
だからこそ、勉強につまづいたり飽きてしまったとき、エネルギーを欲して勉強の必要性を知りたがるのです。

何と答えるべきか

冒頭に戻りますが、子供に勉強の必要性を問いかけられたとき、どのように答えるべきでしょうか。

一般的には勉強の仕方を勉強するため、という答えがよく聞かれます。
将来仕事を始める時、仕事を覚えて身につける必要があります。
教わったものごとを自分のものにして、自由にアウトプットできるようにするプロセスを身につける練習として、勉強が適しているという説明です。

この回答は間違っていませんが、限定的です。
練習としての勉強であれば、それが数学でなくても良いと感じるのです。
将来そのような仕事に就くことは無いから、もっと実利的なことで練習するべきだと考えるのです。
これはもっともなことです。

これに対し、わたしの回答は「勉強するまで理解できない」です。
勉強をする前にその目的や有用性を理解することは出来ない、と正直に説明するのです。
子供は勉強するに足るエネルギーを欲していますが、残念ながら必要性のエネルギーを使うことができません。
素直に勉強に取り組めるように、褒めたり面白さを伝えるなど、代わりとなるエネルギーを供給してあげるのです。

ソクラテスが説いた、無知の知のようなものです。
自分が理解出来ないことを理解出来れば、必要性のエネルギーをすっぱりと諦めて、素直になれる可能性があります。
周囲の大人の役割は、それを伝えてあげることと、素直に勉強できる環境を提供することだと確信しています。

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