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インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

先日、こんなことやるよーとnoteに書いた。


無事、先日7日に開始。小さな一歩を踏み出した。

わたしはTwitterの固定ツイートに、以前からこんなことを提示している。

1年と少しが経過した今も、わたしには書くことしかない。ここに「聞くこと」が加わってできたのがミチイロだ。

人のことをコンテンツのネタにする、ということに抵抗感がある。だから、基本的にわたしが個人で書くものは「わたし」が主語のものばかりだ。

だけど、わたしがただわたしの考えを述べるだけでは、イマイチ浅い。そして狭いと思う。

大したことのないただのひとりが何かを言いつづけるより、いろんな人の何かを伝えたい、そしてそれが、いつか「読んでよかった」と思える誰かに届いたら嬉しい。

だからといって、ネタ探し目線になるのは嫌だ。ミチイロのインタビューを受けてくれている人たちは、わたしがひとりで探して打診しているのだけれど、その人のことに純粋に興味があるから、ということを大切にしている。(自薦、他薦という名の紹介も喜びます)

この人はフォロワー数が多いから、とか。このバックボーンはバズるかもしれない、とか。キャッチーな経歴の持ち主だから、とか。そういった判断をしたくないし、相手にされたと思わせたくない。もちろん、そうした人に打診をすることもあると思うけれど、それらはまったく前提条件ではない、というか。

できうることならば、「話をしてよかったな」と相手が思える機会にしたい。できあがった記事を読んで、自分の人生を肯定できるものを書きたい。

いろいろある。後悔もある。卑下したくなることだってあるけれど、それでもその人が歩いてきた道のりは、やっぱり尊いものだと思うから。

読み手だけにプラスになる(かもしれない)ものよりも、話してくれた本人にとってもプラスになる機会でありたいなあ。そうふつふつと静かに熱く思っている。

今のところ、引き受けてくれた人たちに喜んでもらえていて、ちょっと泣けるほど嬉しい。

「自分が自分のことを好きにならなきゃ、誰があなたのことを好きになるの?」

昔、そんな言葉に触れたことがある。「そうだよなあ」と思いもしたのだけれど、だけど誰かの「いいね」をきっかけに「いいのかも」と思えることだって、やっぱりある。

それは話してくれた人たちもそうかもしれないし、わたしだってそうだ。

ミチイロの記事が、話してくれた人にとって、そんな誰かからの「いいね」につながったら嬉しいし、少なくともわたしは「いいね」と思っている。そして、わたしはわたしで、この活動自体を「いいね」と言ってくれた人たちの言葉に支えられているなあと思う。

ミチイロ、読んでもらえたら嬉しいです。

以前から似たようなことは書いている。映画、グレイテスト・ショーマンを観たときに感じたことを書いたnote。


アイキャッチ画像は、妹でありイラストレーターである松岡ちいこに描いてもらったもの。仕事も承ってます。(勝手な宣伝)




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