見出し画像

どこかで、きっと関係は生まれている

1995年4月。

わたしは大阪に引っ越してきた。無職だった父の再就職先が大阪だったから、愛知県から引っ越すことになったのだ。

その数ヶ月前、1995年1月17日。阪神淡路大震災があった。

愛知県に住んでいたわたしは、ふだんと同じように眠っていた。朝起きてニュースを見てはじめて、「こうべ」というところで大きな地震があったのだということを知った。高速道路がなぎ倒された映像を憶えている。

ただ、愛知県でも震度1程度の揺れはあったのだそうだ。当時、電気ストーブが倒れてくる位置でわたしたちは寝ていたらしく、そのストーブを支えるために、母は咄嗟に目覚めたのだと聞いている。

もっとも、親も目覚めてはじめて、震源地と実情を知ったのだけれど。


それから結婚するまでの間、わたしは大阪で育った。だから、毎年この日には学校で地震の話を聞かされてきたし、「本棚が倒れてきたんだよ」といった体験談を友達から聞くこともあった。大阪といっても南の方だから、被害はさほどなかったのらしいけれど。


ただ、そのときに関西にいなかったこともあり、地震とわたしとは、言ってみれば無関係だった。伝えられる特番や記事に心を痛めることはあるけれど、直接的なかかわりはないものだった。


何年前だったか、わたしは、それが間違いであったことを知る。

わたしの父が再就職の舵を切ったのが、阪神淡路大震災であったということ。

そして、採用された先が大阪だったことにも、地震が関係していたということ。


わたしの父は考古学に関する仕事をしている。再就職先を探す際、再度、専門職の道を志す気持ちはあまりなかったらしい。

それよりも、家族を養うために一刻も早く仕事を、という思いの方が強かったのだと聞いている。

しかし、地震があった。惨状をテレビ越しに見ていた父は、「ああ、やりたいことをやらなきゃ。人は死ぬんだ」と思ったのだそうだ。

以前、似たようなことをnoteで書いている。

やりたかった専門職にもう一度挑戦させてほしい。その思いを芽生えさせたきっかけが、父にとっては阪神淡路大震災だった。


採用先が大阪だったこと。これは、父の仕事に関係している。

商業ビルやマンションは、工事の前に土壌調査が行われる。遺跡などが出てこないかを調べるためなのだと父から聞いたことがある。これを行うのが、父の仕事だ。

地震で壊滅的な状況になった神戸では、復興のために工事がどんどん増えることがわかっていた。助っ人に大阪の父の採用先が必要になることが決まった。会社は採用人数を増やすことにした。そうして、父が雇われた。


遠いところで、それでも確かに、愛知県にいたわたしたちと神戸の地震はつながっていたのだ。


世の中では、いろいろなことが起こる。一見、無関係に思えるようなことも多い。無関係だと思ったとたん、興味を持とうとせずに見知らぬふりをする人も多い。

しかし、空がずっとつながっているように、まったくの無関係だと言い切れるものは、実は少ないのではないかと思っている。

そもそも、モノやコトが流通し、拡散する現代では、どこかで自分とかかわっているものだらけなのだから。


無関係だと決めつけてバッサリ切り落としてしまうことは、わたしはやめたい。




お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。