Care is...? (デザインリサーチ事例) #267
パーソンズ美術大学・Transdisciplinary Designでは、「Design-Led Reserach」という授業があります。この授業は週2回あり、約16週間におよぶ学期を通して3-5人くらいのグループで実際にデザインリサーチを行うというスタイルでした。
グループメンバーの選び方は先生が提示した単語(今回はBody, Perspective, Participation, Power, Movement, Care)から同じ単語に興味がある人同士で組むというもので、私は"Care"という単語に興味がある人たちからなる6人組のチームに入りました。
問題設定
まずは、お互いがなぜ"Care"グループを選んだのかという自己紹介も兼ねて、"Care"という単語で思い浮かぶことをお互いに共有することから始めました。ちなみに、使ったのはmiroやMURALというオンラインでポストイットを使ったコミュニケーションができるツールです。
たとえば、Careと言えば身体的・精神的に他人の世話をするイメージがまずは思いつくでしょう。Careをされる対象として、患者、子ども、高齢者、経済的に貧しい人、ロボット(メンテナンス?)などが浮かぶでしょう。Careをする側としては、人の場合もあれば、動物や機械が行うこともあるでしょう。
こうしたCareにまつわるイメージを出し合ったら、グループで一番最初のHMWを設定します。ここで話題になったのは、「Careをする人は誰からCareを受ければいいのだろうか」というCareの一方向性でした。このことを考えたいとグループで一致したので、"How might we care for caregivers?"(どうすればケアをする人をケアできるだろうか?)という問いをまずは設定しました。
次に、この"How might we care for caregivers?"の意味を明確にしていきます。たとえば、weとは誰なのか?careとは何か?caregiversって誰なのか?を言い換えながら、具体化していきます。
この議論では、Careをする-されるの関係が固定化されたらCareをすることが当然となり感謝されなくなること、そうなるとCareをする人は身体的にも精神的にも疲弊してしまうこと、Careはある職業特有の専門技能ではなくて誰もが日常で行う行為であることなどに注目しました。
こうした議論の結果、"How might we care for caregivers?"という問いが、"How might we reduce the burden on caregivers to support their own mental health?"(どうすればケアをする人のメンタルヘルスをサポートするために彼らの負担を軽減できるか?)というHMWに言い換えることができました。
HMWというデザインツールを使うことで、私たちのグループは「仕事として介護などのケアをする人だけでなく、全てのCareをする人が感じる精神的な負担をどうすれば減らせるかを考えるためにリサーチする」という方向性が明確になりました。
情報収集
この問題設定においてまず、Careをする-されるの関係性がどうなっているのかを知るためにプロボタイプを使うことにしました。
Provotype
考案したのは「ケア絵馬」です。片面に「I take care of…」と書かれ、反対側に「… takes care of me.」と書かれていて、自分が誰をケアしていて、誰が自分をケアしているのかを書いてもらうというものです。書いたら紐に吊るしてもらうことで、ケアをしてもらっていることに感謝する気持ちを引き出せたら(Provoke)いいなという意図も込められたプロボタイプです。
実際に、学校内に設置して他の学部の学生にも参加してもらおうと企画していましたが、某感染症の影響で実施できなくなってしまいました。そこで、急遽Google フォームで同様の質問をつくって対応することに。結果50人ほどが回答してくれました。
家族や友人、ペットや植物と答える人が多数ですが、私たちが注目したのは「I take care of myself.」 という回答でした。プロボタイプをするまでは、Careは二人以上の関係性に発生する現象だと思っていました。しかし、自分が自分をCareするという言い方もできるように、Careは一人の時でも発生すること、つまりセルフケアもケアの一種であることに気づきました。
Semi-Structured Interview
そこからグループの問いは、「現代人はどのようなセルフケアをしているのか?」に移りました。Semi-Structured Interviewでこの問いを調べることになり、私は仕事から帰ってきた韓国系アメリカ人のルームメイトに30分ほどインタビューをしました。
などと雑談をしながら、セルフケアについての話をしていきます。インタビューで分かったのは、彼はセルフケアは意図的にはしていないということでした。ただ、モヤモヤする時はSNSに愚痴を書いたり、友達とオンラインゲームをしたりするそうで、無意識にセルフケアをしていたことも分かりました。
こうしたインタビューを他のグループメンバーも友人や家族にして、セルフケアの実態をリサーチしました。その結果、私がインタビューしたルームメイトと同じく、セルフケアを意識的にしていると答える人はいないということが分かりました。また、セルフケアをしない理由として仕事の忙しさがあると答えるという情報が得られました。
情報収集の前は「Careをする-されるの関係性はどうなっているのか?」という問いだったのが、情報収集のデザインツールを使うことで、「どうしてセルフケアをしないのか? どうすればセルフケアをするようになるのか?」という問いへと変わりました。
センスメイキング
ここまでのリサーチで分かったパターンを整理します。
Careをする-されるというのは仕事上の関係だけでなく、日常生活で発生する関係性である。
人同士の関係だけでなく、セルフケアもCareの一種である。
セルフケアは軽んじられる傾向がある。
その理由は仕事などの忙しさであると思っている。
こうしたインサイトを踏まえて「セルフケアをしないのは、時間的な余裕がないからでは?」という仮説を考え、「もしそうならば、セルフケアをする時間的余裕を確保すればいいのではないか?」という解決策につながる仮説も生まれました。さらに、仕事が忙しくて時間的余裕がないのならば、週休三日制にするということが具体的な解決策になるのではないかという話になりました。
「みんながセルフケアをする社会にするために、週休三日制は有効なのか?」という問いを検証するべく、休みの過ごし方をテーマにしたSemi-structured Interviewを再び実施しました。しかし、週休三日制に対しての反応はイマイチ。どうやら休みの日が増えたとしても、セルフケアをしようというモチベーションがそもそもないし、どうやってセルフケアをすればいいのかもノウハウを知らないということが分かりました。
こうして「週休三日制を導入すれば、みんながセルフケアをする社会になる」という仮説は妥当ではなさそうであることが分かりました。
ということで、私たちは迷子になりました。"I take care of myself"と思う人がいる一方で、休みの日を増やしてもセルフケアにはつながらない。こうしたインサイトを前にして私たちは身動きが取れなくなってしまうのでした。
試行錯誤
"I take care of myself"とセルフケアの軽視という矛盾するインサイトを前に行き詰まってしまっていました。このままではリサーチが進まないので、一旦状況を整理し直しました。これまでに設定した問い、使ったデザインツール、得られたインサイトを振り返ってみました。
ケアをする人の精神的な負担をどうすれば軽減できるのか?
ケアをする-されるの関係はどんなものがあるのか?
二人以上の関係だけでなく、セルフケアもケアの一種である。
仕事などが忙しくて時間的余裕がなく、セルフケアができない。
でも、休日が増えても、セルフケアをしようとは思わない。
ここまでのプロセスを振り返ると、セルフケアに注目すること自体は悪くなさそうです。でも、「忙しいからセルフケアをしない」という説明に基づいて考えていくと行き詰ったので、この仮説を見直す必要がありそうです。
空いた時間をセルフケアに充てない理由はなんだろうかと考えてみると、「セルフケアをするにはお金がかかる」というコメントをインタビューで答えた人がいたことが重要に思えてきました。
セルフケアをするにはモノやサービスにお金を払う必要があるとか、セルフケアをするよりもお金につながる時間の過ごし方をしなければという認識があるようです。こうして、セルフケアをすることは金銭的に贅沢なことであるという認識があるというパターンが浮かび上がってきました。
このパターンをさらに引いた視点で捉え直せば、資本主義では時間=お金という結びつきが強いと言えるかもしれません。また、資本主義では資本の増加につながる行為(個人で言えば自己投資)は評価される一方で、メンテナンスやケアは新たな価値を生まないので評価されていないのではないかという考察もできます。
こうした状況では、セルフケアは消費の一種であってお金がなければできない行為であるという思い込みが生まれます。また、他人のことを無償でケアすることはお金にならない行動なので、資本主義社会ではお互いにケアをする動機がなく、"I take care of myself"という状況が生まれてしまうと考えられます。このように、「資本主義によって"I take care of myself"に陥る状況とセルフケアの軽視の両方が生じるという説明ができるのではないか」というインサイトが得られました。
ただ、資本主義が原因ならば何が解決策になるのかという新たな問いが生まれます。「資本主義がケアを軽視する風潮をもたらしている」というインサイトを得ても、「資本主義をやめて、Gift Economy(贈与経済)のような別の経済システムに転換しましょう」という解決策をデザイナーとして提案・実施することはできません。またもやリサーチの進め方が分からなくなりました。
岡目八目とはよく言ったもので
そこで先生に相談したところ、「参考になるかも」と教えてくれたのが「ベビーボックス」というフィンランド政府のデザインでした。
ベビーボックスは、少子化対策というマクロな問題に対して、赤ちゃんを育てるための必需品をセットにしたギフトボックスを贈るというミクロな解決策を提案しています。この例を参考にすれば、「資本主義社会におけるセルフケアの軽視」というマクロな問題に対して、デザイナーでもできるようなミクロな解決策につながる視点はないかと考えることができます。
資本主義自体をリセットすることはできないけれど、資本主義社会で損得勘定で行動することが当たり前な人たちが、他人のことや自分のことをケアしようと思うにはどうすればいいのだろうか? 贈与経済の精神を体験できるミクロな方法はないだろうか? そんなことを考えて生まれたのが「Care Box」というプロボタイプです。
「Care Box」では、参加者が自分がセルフケアで使うグッズを箱の中に入れて、他の人に渡します。受け取った人は、そのセルフケアグッズを使っている様子を同封されているインスタントカメラで撮影します。これが終わったら、撮影した写真と自分が使うセルフケアグッズを箱の中に入れて、また別の人に渡します。これを何度も繰り返し、最終的には最初の人のもとに箱が戻ってきます。
このプロボタイプの後に参加者にSemi-Structured Interviewをして分かったのは、セルフケアのグッズ自体でケアが促されたというよりも、箱を渡していくという関係性自体に癒されたということでした。前の人が「これでセルフケアをしてね」という想いをこめた物が箱に入っている。今度は自分がこれでセルフケアをしてね」という想いをこめて何かを箱に入れる。こうした誰かが自分のことを想ってくれること、自分が誰かを想うことということの想いのやり取りそのものがCareをする-されるを実感するということでした。
そうした自分と他人との関係性に気づくこと、そしてその関係性に自ら参加していくことがCareなのではないかというインサイトが得られました。人間にとってセルフケアをすることは難しく、他人のことをケアする方が自然なのかもしれませんね。
今から振り返ると、「Care Box」の構造はマルセル・モースの『贈与論』に出てくるクラ交換と似ていることに気づきました。クラ交換とは、ある品を循環型に交換していくことによって部族間の関係を維持するという仕組みです。まさにこの仕組みが、今回のプロボタイプで行われていたのです。
What is Care?
Careという単語を理解することが今回のリサーチの目的だったので、"What is Care?"という疑問に答える形でまとめました。私たちのグループはデザインリサーチで得られたインサイトを以下の4つに絞りました。
以下では、それぞれの説明を日本語訳したものを掲載します。
Care is consumption?(ケアは消費?)
セルフケアには、時間とお金に余裕が必要だと思われている。
ケア(特にセルフケア)は、時間もお金もかかると思われている。セルフケアとは、新しいヘッドホンを買ったりやネイルをしたりなど、自分たちのために新しい商品やサービスにお金を払うことと同義であると思われている。
Care is subconscious?(ケアは無意識?)
セルフケアは意図的になされるものではなく、無意識になされている。
アートや瞑想、料理を習慣にしている人がいた。彼らはこうした習慣を「セルフケア」だと意識してはいないが、たしかに彼らの心身をケアする行動である。
セルフケアは気づかない内にしているもので、セルフケアが不十分な時になって初めて明らかになるものだ。
Care is deprioritized?(ケアは優先されない?)
いくら時間があっても、その時間をセルフケアに使うとは限らない。というのも、人々は生産性向上や効率化を求めている。
他の仕事や用事があると、セルフケアを優先しない人がいる。空いた時間もお金を稼ぐための資源だと考える。この考え方は特に社会人に顕著だった。
常に生産的であるように求める社会的なプレッシャーのせいで、暇な時間が増えてもその分だけセルフケアに時間を使うとは限らないようだ。
Care is connection?(ケアはつながり?)
ケアとは、ケアをする人にもされる人にも恩恵のある相互的な行為である。
感謝をケアと結びつける人もいる。
感謝とはケアの一つの形である。なぜなら、他人、世界、自分とのつながりに気づき、それに感謝することだからだ。
以上が、「What is Care?」に対する私たちのデザインリサーチの結果をまとめたものです。「Careとは何か?」という疑問が浮かんだ時に辞書を調べても、1. 気にかけること、2. 世話をすること、という2つの意味があることは分かりますが、今回のリサーチ結果ほどの深い理解には至らないことがお分かりいただけるかと思います。
まとめ
先ほどの4つのインサイトを要約すると以下のようになります。
私たちがリサーチをした当時は知らなかったのですが、この考察と似たような指摘がエーリッヒ・フロムの『愛するということ』に書かれています。本書では、マルクスを引用しながら資本主義社会では他人のためのに行動する動機がなくなっていることを指摘し、フロイトを引用しながら愛するということは自然にできるようになるものではなく意識的に習得しなければならない技術であると述べています。また、愛の対象は自分、家族や友人はもちろんのこと、最終的には人類全体に向かうべきだとしています。どうやら私たちはデザインリサーチによって、フロムと似たような結論に辿り着いていました。
参考文献 『デザインリサーチとは?』
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