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『贈与論』を読む。 #165

構造主義の祖である、レヴィ=ストロースに影響を与えたとされるマルセル・モースの『贈与論』を読みました。古典として重要な位置を占めているというだけでなく、物を贈りあうことの意味を考えるきっかけになるという点でも、読む意味があります。今回は自分なりに重要だと感じた部分を引用していきます。


序論

この本で取り扱うテーマを以下のように定義します。

研究の主題は明瞭である。スカンディナヴィア文明やその他多くの文明において、交換と契約は贈り物の形で行われる。これは理屈では任意だが、実際には義務として与えられ、それに対して返礼される。

10ページ

それは給付が、外見上は任意で打算のない自由意志による性格のものでありながら、実は拘束的で打算的な性格のものであるということである。

11ページ

受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け取った人にその返礼をさせるのかという問題である。

11ページ

贈り物が社会的な義務となっている理由を解き明かしていくということです。また、こうした現象は一部の地域だけの風習ではなく、様々な文化に共通しており、現代社会にも機能していることを指摘します。

「受け取った贈り物のお返しを義務づけるメカニズム」は、返報性の原理であったり、ゲーム理論での互恵的利他主義、しっぺ返し戦略という単語でも表現されますが、本書ではこれを文化比較から解き明かしていきます。

第一章 交換される贈与と返礼の義務(ポリネシア)

サモアやマオリなどのポリネシアの文化の例から、以下を重要な体系として見出します。

第一に、物の移転が作る法的な結びつきを捉えることができる。(中略)第二に、贈与交換、つまりわれわれが全体的給付と呼んでいるすべてのもの――その中に「ポトラッチ」を含む――の性質をよりよく理解することができる。

34ページ

また、全体的給付制度とポトラッチには、以下の要素があるといいます。

全体的給付は、受け取った贈り物にお返しをする義務を含んでいるだけでなく、一方で贈り物を与える義務と他方で贈り物を受け取る義務という二つの重要な義務を想定しているからである。

35ページ

第二章の要点とも重なりますが、お返しする義務の前に、贈り物を与える義務それを受け取る義務があることを考える必要があるとしています。


第二章 贈与制度の発展――――鷹揚さ、名誉、貨幣

この章では、トロブリアンド諸島の「クラ交換」が紹介されています。この特徴から贈与の体系を以下のように表現します。

生活は永遠に「与えることと取ること」にほかならない(85)。生活は、義務としてあるいは利益のために、あるいは権勢や奉仕のために、あるいは挑戦や約束のために、与えられ、受領され、返される贈り物のあらゆる方向への絶え間ない流れに満ちている。

85ページ

また、アメリカ北西部インディアンのポトラッチの特徴から、「三つの義務:贈与、受領、返礼」を導き出します。


第三章 古代の法と経済におけるこうした原則の残存

ここまでは当時の文化を比較することで、共時的な贈与の意味を解き明かしてきました。この章では、贈与にまつわる単語の語源などから、贈与に関する当時の認識を明らかにしようとします。

呪術的、宗教的紐帯、法形式の言葉や行為の紐帯に加えて、多くの物の間にも紐帯が明らかに存在する。(中略)われわれは次のことを仮説として述べたい。
元来、物そのものが人格と力を持つとされていたことは明らかである。

200ページ

個人的には、古典ヒンドゥー法について考察している箇所での以下の文章が印象的でした。

贈与は行われなければならないし、贈り物は受け取らなければならない。しかも受け取ることには危険が伴うものである。物が与えられると、それだけで、贈与者と受贈者との間に取り消しのきかない双方的な絆ができる。これは物が食物の場合に時に顕著である。

221ページ

会社の飲み会に参加したくない理由がここにある気がします。「あくまで仕事上の関係性でいたいのに」というあのモヤモヤ感が言語化されているように見えました。せめておごりではなく割り勘にしておきたいという心理は、この双方的な絆を形成したくないことの現れですね。


第四章 結論

この章では、ここまでの贈与、受領、返礼の三つの義務にまつわる考察から、道徳上の結論を導き出します。これらの義務は現代社会でも履行されるべきなのに、実際にはその義務が果たされていないことが諸問題の原因であると結論付けます。

金銭面での価値しか持たない物も存在するが、物には金銭的価値に加えて感情的価値がある。われわれは商業上の道徳だけを持っているわけではないのである。

265ページ

労働者はその生命とその労働を、一方では集団に、他方では雇用主に提供する。労働者が保健事業に協力する限り、彼らの労働によって利益を受ける者は、彼らに給料を払うだけでは済まされない。共同体を代表する国家そのものが雇用主やその協同者と共に、失業、病気、老齢、死亡に対処する一定の社会保障を行わなければならないのである。

269ページ

労働契約、不動産賃貸借契約、必需品の販売契約においては、より多くの誠意、思いやり、気前の良さが必要である。そして投機や高利による収益を制限する方法を見つけなければならないのである。

271ページ

もはや法的な表現の話ではない。人間や人間集団の話なのである。なぜなら、すべての時代を通してあらゆる場所で行動してきたのは、人間であり社会であり、霊魂と肉体と骨からなる人間の感情であるためである。

273ページ

つまり、利己を脱却し、自発的にそして義務的に贈り物をすること。これに間違いはない。マオリ族の優れた格言もそれを述べている。(中略)「貰ったのと同じだけ施しなさい。そうすれば万事うまくいく(14)」。

276ページ

また、資本主義に言及する箇所もいくつかありました。ヴェブレンが指摘する「顕示的消費」と同じような指摘がされています。

富裕層による贅沢品、美術品、遊蕩、従僕への支出は、かつての貴族や、われわれがその慣習について述べてきた未開人の首長と類似していると捉えられないだろうか。

286ページ

また、以下はマルクスの「資本論」ともリンクしそうな箇所だったので、メモがてら引用しておきます。

生産者=交換者はこの贈与が適度に報われることを望むのである。この報いを行わない場合、怠惰と生産性の低下を招くことになる。

288ページ


感想

人類学・社会学的なアプローチを採用しながら、そこから見えてくる結論は、資本主義をはじめとする現代社会の問題点をも浮き彫りにするという展開が面白かったです。物を贈りあうことは、言葉に並ぶ人間に特有のコミュニケーション方法であることをあらためて学べました。今日も「義務」を果たしていきましょう。

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