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2024年6月30日 自分だけの現実逃避

現実に疲れた時、
何をするのが1番なのかは、
その人によるものです。
例えば、
友人のひとりは旅行の計画を立てて、
しばらくすると本当にそこへ出掛けてしまいます。
大抵は、遠く、海を渡ったところにある場所へ
旅立つのです。
南の島や遠い異国、その先がどこであっても、
彼女にとって、旅行が得難い楽しみであり、
現実の疲れを癒すもののようです。

先日、旅行の計画を立ててもらったのですが、
計画の最中から、
心底嬉しそうな顔をしていました。
そして驚くべき短時間で、
経路や時間を調べ、
チケットとホテルを手配し、
オプショナルツアーまで、見つけていました。
こちらからすると、旅行の計画や手配など、仕事と同様に大変なものなのですが、
それ自体がすでに、楽しみとなるようでした。

別の友人は、
アンティークアクセサリーやカバンを購入したり、
ライブに出かけているようです。
アンティークのアクセサリーを購入できるサイトをこまめにチェックしていると聞きました。
アンティークアクセサリーは、それなりの価格なので、
見ていると、かえってストレスが溜まりそう…などと思ってしまいますが、
それはそれが楽しみにならない人間の考えなのだと思います。


また別の方は、
パン屋巡りを趣味にしていて、
休日に、遠出をして素敵なパン屋に出かけ、
パンを購入しているようです。
出不精な人間からすると、
休みの日に、早朝からパン屋へ出かけるということが、
大変億劫なわけですが、
これも言わずもがな、好きな人にとっては最高の楽しみであるのです。

皆、それぞれの現実に疲れた時の対処法があるというわけです。
それでは振り返って、自分はどうしているか、と考えますと、
現実的な行動よりも、「妄想」が1番の楽しみであることに気づきました。

最近では、旅行にも買い物も「そこそこ楽しいこと」であって、
現実逃避にはなり得ていないのです。
むしろ、
「ここではないどこか、今の自分ではない誰か」の
人生に想いを馳せること、
「妄想」が1番、楽しいかもしれません。

最近のお気に入りは、大河ドラマに影響を受けて、
平安時代、1000年以上まえの
京に住んでいたとしたら…という妄想です。
姫君や貴族であることを想像することは少なく、
出来るだけ、位のない人間であることを想像しています。
だって妄想したところで、結局は自分なんですもの、
やんごとなき血筋では、あまりにも、遠すぎます。

今年の大河ドラマであれば、
主人公の家族に仕える従者や乳母、
もしくは、もう登場が終わった猿楽の団体、
文字を教えてもらっていた農民の娘、
そういう人物であったなら、ということを考えています。
朝は日が昇ったら粗末な寝床から、
起床し、ゴワゴワした着物を少し整えて、
水をくみにいく際の薄青の空。
空を見上げる余裕もないほどくたびれているのか、
素足で歩くと砂埃が立ったのだろうか、とか、
そんな中でも楽しみにしていることがきっとあっただろう、それは何だろうとか、
そういうことを、考えるともなく考えています。

以前には、
平城京や長岡京に勤める下級役人だったらということをしばらく真剣に考えていたこともありますし、
江戸の町の埋め立てをしていた人間は何を思っていただろうと考えたり、
吉原の仕出し屋で働く人間の生い立ちを考えたり
北海道の開拓民の暮らしを想像したり、
フィンランドの海に立つ、灯台の灯台守の暮らしとはどんなものだろうとか、
アメリカの土地にそもそも住んでいた人々の暮らしに興味を持ち、そういう暮らしについて、考えていたこともあります。
妄想の発火点は、
小説や漫画やアニメ、ドラマなどで、そう言った世界に触れてというものが多いです。
ですから、一時期繰り返し読んだ、マーガレット・アトウッド「侍女の物語」の世界の
主人公を管理する側、
安直な言葉で言えば、敵側の、「小母」たちの人生をめまいがするほど想像したことがありました。
(結局、続編で、「小母」たちの人生が明らかになり、狂喜乱舞したのですが…。)

このように、想像する舞台は架空の世界でも構わないのです。
様々な人の暮らし、考え方、振る舞いを想像する時、今ここにいることから離れ、
狭くなりがちな視界を広げることができるような気がします。
本物の「現実逃避」です。
1日の終わりには、
1000年前の京の1日に、
数百年前の江戸の1日に、
海を隔てた遠い国の灯台の1日に、
数百年前の砂埃まう乾いた大陸の1日に、
まだ見ぬ、空想の都市の1日に、
思いを馳せます。
美しい朝焼けや満月だけでなく、
空腹感や暴力や怒声、悪臭、そんなものにまで、
詳細に想像するのです。
しばらく、別の人生を考えると
今の人生が愛おしく、尊いものに思えます。
そして、孤独や不安をこじらせずに済むのです。
あまたある人生の中で、今この人生を生きる不思議を思うと、
目の前の現実に、煮詰まった頭や気持ちがほぐれてきます。
何とかなるだろう…と不思議と勇気が湧いて来ます。

さて、今日は、大河ドラマで見かけた
地震の後、屋敷を片付ける人足か
握り飯をもらいに来た親のない子どもの人生を想像してみようかと思います。









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