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2024年8月14日 武将脳の恋愛論

ふと思いました。
恋とか愛とかを少女漫画で学んだのは、自分にとって恐るべき間違いだったと。
自分のような人間は、少女漫画を読むべきではなく、軍記物とか戦記を、小さい時から読むべきだったのです。
親は年齢や性別を考えて少女漫画を買ってくれていたのでしょうし、
自分自身も喜んで読んでいたわけで、
少女漫画が完全に悪いというわけではありません。
それでも、
自分の本質とは全く異なる「恋愛観」なるものが植え付けられ、それに乗っ取られ、そこから抜け出るまでにかかった時間を思い出すと、
やっぱり、間違い、ミスマッチだった気がするのです。

特徴はないが性格はよい主人公が美しい異性に出会い、恋焦がれ、気付くとその相手にそれ以外にもも、モテてモテてモテまくっている…とか、
隠された魅力がある主人公が、冷たい美形の凍った心を溶かし、唯一無二の人間として大切にされるとか、
そういうお話が可愛い絵柄で描かれていたので、頭にどんどん入力して、それが世界のルールだと思い込んでいたのです。
しかし、それは、自分にとっては、大きな間違いでした。
何故って、それはあまりにも自分という人間とかけ離れた世界の話であり、
もち備えたものとは、
異なるコミュニケーションのスタイルだったからです。
これはつまり、少女漫画が悪いわけではなく自分が少女漫画的な人間では、なかったということです。
この人生の参考にはならなかったのです。
大人になってずいぶんして、気づいたのは、そういう少女漫画的な恋や愛というものは自分の中には本当の意味では存在しない、ということです。
自分の中にあるのは、人間としての尊敬とほっておけないという情です。
それは、先にあげたように、軍記物や戦記における関係性、主従関係や敵対関係、もしくは、戦友との関係性において、起きるものに、近いようです。
長い戦いの間、寝食を共にし、切磋琢磨し、背中を預ける、もしくは、お互いの生死をかける、あるいは、相手を尊敬するからこそ、信頼し、打ち取る、そういう気持ちはとてもよくわかります。
そこには人間に感服したいという欲望があり、
感服できる人間に出会いたいという願いがあります。
(だからこそ、「戦争は女の顔をしていない」に感銘を受けたのでしょう。
極限の状況における、人間同士の結びつきが語られる時、それに惹かれずにはいられないのです。)

「それも、恋愛ですよ」と言われるかもしれませんが、個人的には全く別物です。
恋愛は急に落とされたり、落ちたりするものですが、戦場での関係性、絆はある程度の時間と共に過ごす関係性が必要です。
もし、一瞬で成立したものだとしても、そこには、感服する何か、敬服するやりとりが必要です。
決して、その美しさのみ、その後の穏やかな生活、素晴らしい関係性を約束して、結ばれるものではありません。
その瞬間で別れる、終わるかもしれなくとも、
その人を知り、そのひとが今あること、その人の今この瞬間に興味を持ち、それを肯定したい、という気持ちがあるだけなのです。

また、少女漫画で学んだ恋愛の多くは、出会ってすぐ、ときめくとか、ドキドキするとか、格好良いという、感情があるようでした。
自分にもそういう気持ちがあり、そういうものが、恋愛感情なのだと長く思い込んでいました。
そして、「そういう気持ちは、素敵な相手からもたらされるものだ」と信じていた気がします。
つまり、自分が作るものでなく、突然、与えられるもの、降ってくるもの、湧いてくるものだと思っていました。
漫画で言えば、素敵な相手(花を背負っていたり点描が飛んでいたりする)を眺めるだけで、きゅんとしてり、ときめいたりする、ああいう定番の恋に落ちた場面です。

しかし、ある時、気づいたのです。
そういう感情は、自分のうちから出たものではない、ということに…。
こういう場面ではこうなる…と少女漫画で刷り込まれていたからこそ、そう感じるだけであって、ときめきが自然と湧いてくるわけではないのです。
そんなことよりも、お互いに切磋琢磨すること、お互いのために努力したり、変化したりしていけることに関する喜びの方が、強いということがわかってきました。
その結果、
「関係性とは、不意なときめきに期待するのではなく、永続的に努力で作っていくものなのかもしれない」ということに思い至ったのは幸運だっとしか言いようがありません。
相手からもたらされるもの、ときめきを待っていても大抵不毛なのです。
何故って、そもそもときめきなどは自分に内蔵されていないのですから。
自分に内蔵されているのはときめきではなくて、
信頼に応えてくれる、もしくは尊敬に値するのかどうかを値踏みする、
関係性を構築する努力を楽しむ、武将だったのです。
武将は、ときめきよりも理不尽です。
美醜や素敵さとは、全くかけ離れていても、どれだけみっともなくとも、自分以外認めなくても、
その心意気に、感服すれば、「天晴れ!」となります。
それが敵であれ、農民であれ、(もちろん比喩としてお読みください)
できるだけ、取り立てる、応援する、信頼する、もしくは、その思いを遂げさせてやりたい、もしくは本気で戦いたい、となるのです。

自分が、少女漫画脳ならぬ、武将脳であると気付き、
その真実になれるまでには、かなりの時間と苦労がありました。
やはり、幼い時に刷り込まれたイメージというのは消すの簡単ではないのです。
「幸せにしてくれる」とか「ときめく」などということに頼らない、ということを実践するのには時間がかかりました。
相手に期待しないこと、
自分で幸せになること、
自分で決めたことには労を惜しまないこと、
つまり、相手に期待せず、自分が動いていくということです。
ジムに行って、運動をする、ということにかなり似ている気もします。
動けるようになるまでには、とても時間がかかりました。
今もまだ、その取り組みを続けている最中です。

今では、すっかり武将脳をメインに生きています。
少女漫画は今でも好きでよく読みますが、そういう考え方は薄まりました。
大変、快適、です。

(ちなみに、占星術的に考えると、ネイタル7室に太陽があるからこういう考えに至ったのかしら…と思ったり思わなかったり。)


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