2024年4月10日 憧れの先輩には程遠い
新年度に入って、10日過ぎました。
皆さん、元気でやっているのかな、と思います。
ここでいう皆さんとは知人だけでなくて、
通りすがりにこの文章を目にしたあなたも入ります。
どうですか?
4月上旬。
年度が変わると所属が変わったり、場所が変わったり、人が変わったり、システムが変わったり、
苦手とする変化がわらわらとやってきます。
変化には慣れるしかないとわかってきたので、ぶつぶつ言いながら何とかやっています。
さて、変化は苦手な事だと以前からわかっていたのですが、
最近、同じくらい苦手で、
まだ対応策をものにできていないものに気がつきました。
それは、
自分がそれなりに経験があることを
ほとんど、その経験がない人に教えることです。
「やってみるとひどく難しい事だ」と最近、感じています。
突き詰めると
「まあ…とにかくやってみてください」の一言に尽きるのですが、
その言葉は、冷たく聞こえる可能性もかなり高いということもわかっています。
「人によっては上から目線だ」と怒ることでしょう。
ここで、「まあ」と言っているのは、
本当にどう伝えれば良いかわからない…という意味での、
逡巡ゆえの言葉であり、
間投詞のようなものです。
しかし、そう取らないと言われたらそうです。
「とにかく」もあまり良い印象を与えないような気がします。
「一言かける」のが存外に難しい、と思います。
特に絶対的なマニュアルがある仕事でない場合、
より伝えるのが難しいと思うのです。
レシピのある料理ですらも
その通りに作っだからと言って、
100人が、100人とも成功するわけではありません。
おそらく、何人かは失敗するわけです。
レシピは、どの国でも短く平易な文章で書かれるのが基本です。
あれを読んだとしても、
うまくいかないわけですから、
レシピやマニュアルがない物事を
他者に伝えるのは本当に難しいという事になります。
料理のように、具体物がない場合は、さらにそれが難しくなるわけです。
また、その人なりに、
自由にやって欲しいと思う一方、
どうしても守って欲しいルールもあります。
そのルールを守らないと、
本人も周りも困った目に合う可能性がある場合は
やはり、そのルールを無視はしてほしくないと思っています。
(このルールというのは、法律と呼ばれるものから、職場内での不文律など様々な段階があると考えてください。)
またそういうルールについて、
「言われたから守る」ではなく、
どうしてそういうルールができたのか、
どうして守らねばならないのかという理由も
説明できた方がよいのでは、と考えています。
思考を停止してルールのみを守る事は時にものすごく危険です。
ルールは形骸化しやすいものです。しかし、形骸化したから破っていいというのはあまり良い理由ではないように思います。
ルールを破った際に「何故?」と問われて、自分なりの説明、意思表明ができるべきではないかと思うのです。
とは言え、
ルールを守ることやルールを学ぶ事ことに、囚われてしまうと、
自由に挑戦できなくったり、その人らしさがなくなったりします。
それは、それで、もっとよくないかもしれません。
その人らしさ生かし、残したまま、より良く動いてもらうためにはどうすればいいのか。
どう伝えれば良いのかというのは非常に難しい事です。
自分の経験を振り返ってみると、
良い先輩は、おおらかに見守ってくれていたものでした。
いつもは、少し離れて、
にこにこと様子を見ていて、
危うい時には、さっと声をかけたり、やんわりと誘導してくれていました。
そのことを思い出すと、
この記事のように、「こう言えばいいだろうか」「ああ言えばいいだろうか」と考えているのは
すでに距離が近すぎ、前のめりすぎとも言えるでしょう。
尊敬すべき先輩たちは無駄なことをくどくどということはなかったのです。
自分がああいう振る舞いが自然にできるとは思っていませんでしたが、
そもそもが間違っていたような気がします。
先回りしたレクチャーなどかえって邪魔でしかないのかもしれません。
ああ、そう言えば、
その代わり、尊敬すべき先輩たちは、こちらの質問にはいつも、丁寧に答えてくれていました。
こうして思い返してみると、折に触れて、よくしてもらったなぁと思うのです。
そして今の自分がそれには全く至っていないこともよくわかります。
せめて、以下のことは頭に置いておこうと思います。
基本は、見守り、どうしてもの場合だけ①〜④を伝えることとする。
①伝えることがある場合は、レシピのような短く平易な言葉で伝える
②絶対に守って欲しいルールを伝える
③疑問点については、気軽に質問して良いと伝える
④②を守った上で、自由にやって良いと伝える